再開


 次の日の昼休み、同じように四季桜のところまで行ったが誰もいなかった。望んでいたはずの一人の時間なのになんだか少し寂しく感じるのは何故だろうか。冷たい弁当を頬張りながら落ちた桜の花びらを見ていた。


 数週間後、私は終礼が終わってから四季桜のもとへ向かっていた。まさか弁当箱をベンチに忘れてしまうとは。本日二回目となる道を早足で抜ける。涼しいといってもだんだん暑くなってきているこの時期に急いだせいか、汗ばみ始めた。弁当箱を回収したらゆっくり歩いて帰ろうと考えながら目的地にたどり着く。


 私の弁当箱の隣には一度見たことのある大きなリュック、そこからのびる黒い線をたどって桜の木をぐるっと回ると、補聴器のようなものを桜の木に当てている彼がいた。風が吹き、落ちた桜の花びらが舞い上がる。目を閉じて四季桜にすべての意識を向けている彼の横顔から目が離せない。どれくらいの時間がたっただろうか、長年の眠りから目が覚めたかのようにゆっくりと瞼を持ち上げる彼とばっちり目が合う。


「………」


 二人の間に流れる気まずい沈黙。先に口を切ったのは私だった。


「あの、この前はありがとうございました。お礼を言いそびれてしまって…そうだ、ちょっと待ってください」


 私は自分のカバンからあるものを取り出そうとして思いとどまる、手の中には丁寧にラッピングされたクッキー。お礼とはいえ迷惑ではないだろうか、もしかしたら手作りが苦手な人かもしれないし、そんなことをぐるぐると考えてフリーズしてしまう。


「前回の事なら気にすんな、こっちも作ったモノを試すいい機会だったからな」


「作った、ものってこの前の機械やら今の補聴器みたいなのとか自作なんですか?」


「あぁ、まあ半分趣味みたいなものだがな。今のこれは仕事といってもいいかもしれないが……それは?」


 彼は聴診器をずらして他の場所に当てながら私の持っているものに視線を移す。話に意識が向いている間、私の手の中にあるラッピングの半分がカバンから飛び出てしまっていた。


「これは……この前のお礼に作ってきたクッキーです」


 彼は少し驚いたような表情をしたが、すぐにいつもの顔に戻る。そして無言でこちらに向かって歩き出したかと思ったら、ハンカチを敷いてその上に座った。私は慌てて声をかける。


「えっと……」


「座らないのか?」


「……し、失礼します」


 戸惑いながらも少し間を開けて隣に座った。


「クッキー、貰ってもいいか」


 私は持っていた袋を差し出す。彼はそれを受け取るとクッキーを一つ取り出し、少し眺めた後一気に口へ運んだ。


「これ、お前が一人で作ったのか?」


「はい、そうですが……」


 もしかして口に合わなかっただろうか、真剣な顔で考え込む彼を見ながら指先が冷えるのを感じる。


「申し訳ないが一つ頼みごとをしたい」


「わ…私にできる事なら」


「このクッキーみたいな…手作りのものをいくつか持ってきてほしい。もちろんお礼はする、どうか頼めないだろうか」


 どこまでもまっすぐで深い黒色の瞳に私の顔が映る。どんな事情があってこんなお願い事をしているかは分からないが、何となく彼にとっては大切な事なんだということがひしひしと感じられた。


「分かり、ました。ただし条件があります、明日からの昼休み私と一緒にご飯を食べてください」


 予想外のお礼だったのだろう、彼は数回瞬きをした。私は勢い任せに言ってしまった言葉をごまかすように早口でまくし立てる。


「もちろんそれがお礼じゃないですよ、今すぐに欲しいものが思いつかないから考える時間が欲しいんです。それにあなたも私の手作りのものを受け取るタイミングが必要でしょう?」


 思わず前のめりになってしまった私から離れるようにのけぞる彼。


「……分かった、明日からよろしくな」


「はい。こちらこそよろしくお願いします」


 それからは沈黙が続いたが、それは決して気まずいものではなかった。ひらひらと落ちる桜の花びらのようにゆっくりとした心地いい時間だったと思う。家族以外の人としっかり話せたことなんて何年ぶりの事だろうか………

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