釣り
洞貝 渉
釣り
朝の涼しい外気を期待して早起きしたというのに、今年の夏は四六時中暑くて敵わない。
それでも早朝、まだ人の通りのない田んぼ道は多少なりとも風情を楽しむゆとりがある程度には風が冷えていた。
まだ昇りきらない太陽と赤紫の空、青々とした稲穂をのんびりと拝んでいると、田んぼ沿いにある水路に糸を垂らしている子どもがいる。こんな朝っぱらから子どもが一人歩きしているなんて、親は一体何をしているんだ。
私は少しの心配と少しの好奇心から、子どもの方へと足を向ける。
子どもの持つタコ糸は真っすぐに水路へ垂らされ、さらさらと流れる水の中で気持ちよさげに踊る。水に浸された先端にはなにやらが括りつけられているようで、ははあ、これは蛙かザリガニあたりを釣ろうとしているな、と見当がついた。
「釣れますか」
あまりじろじろと見すぎるのも良くないと思い、声をかけてみた。
子どもは見知らぬ大人を警戒するでもなく、無心に糸の行く末を見守っている。
溝の浅い底には水草がびっしりと生えており、透明な水の流れに沿ってひらひらとなびいていた。
ふいに、子どもが私を見る。
そして手にした糸を私の方へと寄こそうとしてきた。
子どもの楽しみを横取りするわけにはいかないと遠慮しようとしたのだが、どうにも子どもは私に釣りをやらせたいようだった。本意ではないが、少々の魅力を感じていたのもまた事実で、私はつい子どもからタコ糸を受け取ろうと、手を伸ばす。
子どもの手に触れるか触れぬかというところで、カラスが一声鳴いた。
いつの間にか空は赤より青の配合が濃くなっており、私はふと我に返ったように、伸ばした手を引っ込めていた。
タコ糸はするりと子どもの手を離れ、かと言って受け取らなかった私の手にも渡らず、さらさらと水の流れに乗って水路を行きすぐに見えなくなる。
チッ。釣りそこなったわい。
糸の行方を追っていた視線を戻す。
そこに子どもの姿はなく、朝の清々しいあぜ道だけが続いていた。
釣り 洞貝 渉 @horagai
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