第十話【4-3=1】

 ◆


 片倉は当初の見込みがやや甘かったことを認めた。


 自分の命を目いっぱい使っても、大蛙の死の器を完全に満たすことができないかもしれない──大蛙との数十数百の致死香る交錯を経て、そんな結論に至った。


 とはいえ「あと一歩足りなさそうなので休戦しよう」などとは言えない。


 間一髪で躱した舌槍が左耳を抉り飛ばすのをどこか他人事のように認識しながら、片倉は大蛙の次なる死の場所を探りあてて、ぞぶりと短刀を突き刺した。


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 片倉が言うところの「死の場所」とは、簡単に言えば段取りのことである。


 殺したい対象がいたとして、その対象の周囲にボディーガードが何人もいて、監視カメラが何台も設置されていたとしたら殺すことは難しいだろう。


 しかし、そのボディガードを一人一人排除し、あるいは調略し、監視カメラも一台一台無力化していったとしたらどうだろうか。


 殺すことがはるかに簡単になるのではないだろうか。


 片倉は大蛙に対してそういったアクションを仕掛けているのだ。


 だが、一時は均衡してても永遠にそれを続ける事はできない。


 ──こ、れは受けられない。


 そう理解していながらもワンテンポ反応が遅れる。


 そんな片倉の脇腹を舌槍が貫いた。


 まずいと思いながらも体の反応が遅い。


 ゾーンに入域した片倉ではあるが、体を動かす燃料たる血を少し流し過ぎたのだ。


 大蛙もここは勝機とばかりに傷ついた身を翻し、片倉へ躍りかかった。


 そのボディプレスをそのまま受けていれば片倉はおそらく死んだだろうが、そうはならなかった。


 ◆


 海鈴が両の掌を広げ、大蛙に向けている。


 目は大きく見開かれ、髪が逆立ち、尋常な様子ではない。


 PSI能力である。


 それもまともな出力ではない。


 PSI能力とは一部の探索者に発現する特殊能力の一つで、簡単に言えば超能力のことだ。


 海鈴は極めて強力なサイコキネシスで大蛙を宙空に拘束していた。


 だが──


「う、あ……」


 海鈴が呻き、目と鼻から血を流す。


 大蛙の強い抵抗にあって反動が返ってきているのだ。


 意思を波に乗せ、波は粒となって物質と同化する。


 粒と同化した物質は術者の望みのままに振舞う様になる──昨今、量子論により解明されたPSI能力の全貌であるが、決して万能の能力ではない。


 対象の意思が自身のそれより強ければ反動が返ってくる。


 要するに、強いやつには通用させるには代償がいるという事だ。


 海鈴が払った代償は目と鼻の流血だけでは済まず、若く張りのあった皮膚が見る見るうちに乾いていく。


 老化であった。


 若さが、命が海鈴から失われていく。


 海鈴が大金を払ってまでバイオ手術で若さを維持しているのは、絶対的な難敵に対する、文字通り最後の手段として自身の力を通すために他ならない。


 もって2秒か、3秒か。


 その貴重な時間を活かしたのは小堺だ。


 ──もう少し頑張ってくれよ嬢ちゃん。


 糞が、とか、ファック、だとかぼやきながら、小堺は宙空の大蛙に飛びかかって拉げた義腕の先端……尖った金属部分で、何度も何度も大蛙の体表に浮かぶ顔を突き刺した。


 この人面の数々は片倉が努めて避けていた箇所だ。


 つまり、攻撃したらやばいということである。


 そのやばい箇所を小堺は何度も突き刺し、吹き出す体液を全身に浴びる。


 そして全身の皮膚をドロドロに溶かしながら──それでも突き刺し続けるのをやめない。体の大部分を義体に換装した小堺は見た目より遥かにタフなのだ。


 このタフな男のタフな働きがあったからこそ、長くて3秒程度の拘束時間がさらに伸びた。


 そして、沙耶は。


 ◆


 片倉は満身を震わせて怒号した。


 怒りが全身を満たしていたが、それは誰に、何に向けたものなのか自分でも定かには分からない。しかし怒っていた。


 そして、海鈴の命を遣って宙空に拘束されている大蛙のがら空きの腹に、短刀を握りこんだまま突き込んだ。


 この大蛙は恐ろしく強靭なモンスターではあるが、弱点もある。


 腹だ。


 大蛙はその重量故に、単純な押しつぶしが非常に強力な攻撃手段となる。


 押しつぶしだけで死ななくても、動けなくなった敵などどのようにでも料理できる。


 しかしこの大蛙は滅多な事でその手段を取らない。


 なぜなら自身の腹が他の部位より防御力に劣ると理解しているからだ。


 ゆえにこの瞬間ならば確実に殺せると確信した時以外には、必殺の札を切らないのだ。


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 血を浴び、肉を裂き、片倉の腕が大蛙の体内へ抉りこむ。


 重要臓器を次々と傷つけ、かき回していく。


 大蛙は大きな口とその背に浮かべた数多の人面を全て使って絶叫をあげ、抵抗をするが、ままならない。


 そしてとうとう片倉はその半身までも大蛙の体に埋め、最重要臓器である心臓を不可逆的に破壊することに成功した。


 ──殺した、か? 


 次の瞬間、海鈴のサイコキネシスの効力が完全に喪失し、大蛙の死体と共に片倉は地面に落ちた。


 這う這うの体で死体から抜け出す片倉。


 視線の先には沙耶が立っている。沙耶は奇妙な表情を浮かべていた。


 ──片倉さんが死体から抜け出した。私に声をかける。私は片倉さんに駆け寄って、彼を支える。その次ね。


 ◆


「なんとか、やったか……」


 片倉は息も絶え絶えに呟き、二人を見た。


 もはや骨と皮だけになった日野海鈴、いくつかの金属片を残して溶け消えてしまった小堺良平の残骸である。


 当たり前の話だが二人とも死んでいる。


 しかし、なんとか二階堂沙耶だけでも守ることができたのだ。


 口惜しく、悲しいことは事実だが、やれることはやった……と、片倉は思っていた。


 そして怪我は大丈夫かと沙耶に話しかけ、沙耶が片倉に駆け寄りその体を支えて「なるほど、そういうことね」と言った。


 片倉が何のことかと尋ねようとすると──


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 沙耶が片倉と体を入れ替えるようにして身を躍らせ、小太刀を素早く下から上へ跳ね上げる。


 ──まあ、無理か。仕方ないわね


 それが沙耶が最期に思い浮かべた言葉である。


 硬質な金属音と肉袋がはじけたような音が同時にし、沙耶は頭の半分を吹き飛ばされて死んだ。


 沙耶は自身が見たそれに二つの明るい面を見た。


 一つは自身の能力が成長し、探索者として一皮剥ける事。


 いま一つは、その能力のおかげでチームの一人が生還出来るという事。


 ◆


 二階堂沙耶は『六道建設』から大いに期待されていた。


 なぜなら彼女には普通の探索者にはない才能があったからである。


 それは極々短時間の予見能力だ。


 といってもコンマ数秒先の未来を垣間見ることができる程度だが。


 しかしそれだけでも近接戦闘には大きなアドバンテージとなる。


 この能力は非常に強力で、予見した出来事は100%確実に起こる。


 ちなみにこれもPSI能力の一種だが──PSI能力は成長する。


 何度も死線をくぐることで能力そのものの使い勝手がよくなったり、突然変異的に能力が進化したりする。


 いずれにせよ望むタイミングで引き起こせる変容ではないが、人がダンジョン探索を経て生物としての階梯を昇ることがあるように、能力という概念も階梯を昇ることがある。


 この現象は探索者にとって誇らしく、喜ぶべきことだ。


 だから沙耶は4人で背を向けて逃げ出す時に笑ったのだ。


 自身の進化が嬉しく、しかし自身と仲間たちの死が不可避のものであると知ったから。


 沙耶の極々短時間の予見能力が数十分先に起こる未来を予知する能力へ進化したのは、この探索で一人でも生き残るための重要なファクターの一つであったが、残された片倉に強敵を打破した達成感などは欠片もなかった。

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