第17話-② 流れる星を追いかけて〈下〉

 抱え起こすとライラは虫の息だった。脈はないに等しい。


 背嚢はいのうを放り出し、腰袋こしぶくろを捨てて身軽になる。彼女を背負って夜道をはしった。坂を超えて大岩の下をくぐりぬけ、細道をゆく。


 ライラは途切れ途切れに伝えてくれる。

 体内の魔力が空になったことで生命力がおとろえてしまったこと。

〈魔眼〉にも魔力が通わず、なにも見えなくなったこと。

 心臓や肺までもが静寂に向かおうとしていること。


「もういいの」


 満足そうにライラが言うので、いいわけがあるかと山道を駆け登った。

 走って走って走って、足が千切れそうなほどに走って。

 そして我が家が、見慣れた小屋が見えて。



 



「あ………………」


 逃げる際にも、大雨による土砂崩れで道が塞がっていたことを思い出す。

 小屋は、背面から押し寄せた土石流どせきりゅうをまともにかぶって斜めに変形し、倒れる寸前だった。家の扉はひしゃげて変形しており、這わなければ通り抜けられないほどだった。


 中に人がいたならば無事であるはずがない。


「ああ……、ああ……!」


 メノウの顔が浮かぶ。

 大事な大事なたったひとりの妹。

 薬草の腕輪を作ってくれた妹。むぎかゆを分け合って食べた妹。

 自分の命よりも大事な妹。


 大切な仲間を喪ったライラの痛みを初めて実感する。背骨が折れたような、人の形を保つことすらできなくなるような──……




「兄ちゃん?」




 声がした。

 妹だ。妹の声だ。

 はっきりと妹の声がした。


「……兄ちゃん、なの?」


 傾いた家の影から、ふらりと人が現れる。

 月明かりがその姿を照らし出す。

 メノウだった。


「メ……ノウ……?」


 見ているものが信じられないと、二度、まばたきをする。その間にメノウは駆け出していて。


「兄ちゃん! 兄ちゃん兄ちゃん!」


 突進するように抱きついてきた。みぞおちに痛みを感じて、これが夢ではないとしらせてくる。


「どうして……だって、家が……」

「兄ちゃんが言ったんでしょ! 雨音がしたら地下に逃げろって!」

「あ……」

「おかげで潰されなかったんだよ。地下室の扉が塞がれなかったのは、ふふん、わたしが毎日いい子にしてたからだね!」

「ああ、ああ、そうだ。きっと、そうだ」


 メノウを抱きしめ──ようとして、ライラを背負っていることを思い出す。両手が塞がっていてどうしようもない。

 などと考えていると、再度、メノウがみぞおちに頭を押し付けてくる。

 今度は怒りをぶつけるように、強く。


「め、メノウ? 痛いぞ」

「痛くしてるからね」

「……すまん」

「なにに?」

「置いていって、すまなかった」


 メノウのつむじに、コツンとあごを乗せる。

 するとメノウはふん、とわざとらしく拗ねたような声を出す。


「まあいいよ、許してあげる。……帰ってくるって約束、守ってくれたからね。」

「兄妹の間で嘘はナシ、だろ?」

「へへ……よろしい」


 メノウが頭をぐりぐりと押し付けてくる。

 いつまでもこうしていたい。

 そんな考えがよぎるが、そうもいかない。ライラは虫の息なのだ。担いでいた彼女をゆっくり降ろして横たえる。


「任せていいか、メノウ」

「お、女の子?」

「命が危ない。羅勒草らろくそうはあるか?」

「えと、貯蔵庫にあると思うけど……なにに使うの? お料理?」

「いいかいメノウ、羅勒草らろくそうには魔力を回復させる効果があるんだ。せんじて飲ませてやってくれ」

「わ、分かった! けど、兄ちゃんそんなのどこで知ったの?」

「教わったのさ。

「へ?」


 きょとんとするメノウへ重ねて問いかける。


「馬は無事か? 今すぐ馬がいる」

「あの子なら、ほら、そこの木に繋いでるけど……またどこかへ行っちゃうの?」


 すぐそばの木陰に繋がれた愛馬を見つけて、またがる。〈勇者の剣〉を背負い、暁の騎士団の首飾りを提げて。


「届けなきゃいけないものがあるんだ」

「それは、兄ちゃんがしなきゃいけないの?」

「ああ」

「でもほら、少しくらい休んだほうが……」


 メノウの言葉を遮るようにして、首飾りの宝石があかい光を放ち、点滅する。

 話によれば、その意味は。


「──勇者が困っているらしい」


 北部ほくぶ大平原だいへいげんで戦う勇者・アステラからの救難信号だった。予備の剣が無いことを示す、助けを求める声だった。


「俺はまた帰ってくる。メノウのくれた薬草の腕輪に誓うよ」

「……はぁ、分かったよ。こうなったらなに言っても聞かないんだから」


 頬を膨らませるメノウの頭を撫でる。


「ライラを──その子を任せたぞ」

「……気を付けてね」

「ああ。またすぐ戻るさ」


 メノウに再び別れを告げて、夜道に馬を飛ばし行く。

〈勇者の剣〉を届ける。

 彼らの死が、道のりが無駄ではなかったと示すために。


 部隊の皆にとって〈勇者の剣〉は希望だったのだろう。

 勇者アステラの元まで届けることができれば、そこまで希望の灯を繋ぐことができれば、彼らの悲願は叶う。

 それを自分が果たす。


 彼らと時間を共にしたのはたった数日だし、自分はたまたま居合わせたから頼まれただけの、ただの村人だ。

 そんなことは分かっているし、そんなことはどうでもよかった。

 使命だからじゃない。するべきだからするんじゃない。


 ただ自分に出来ることがあって。

 それをやりたいと思う心があって。

 どうしてやらずにいられるだろうか?

 それがおのれのぞみならば、おのれげよと心が叫んでいた。


「……届けるぞ」


 村まで戻り、邪人に喰われた馬の装備から北部大平原までの地図を手に入れる。

 井戸水をすすり、また馬をる。

 村の外に出るのは初めてだった。

 山に囲まれた土地よりも、地平が遠くに見える。空を広く感じる。 


 遠くで流れ星が一つ、次いで二つ三つと消えてゆく。

 それぞれは短い命だったが、彼らに続けとばかりに流星の群れがやってきた。追いかけるようにして流れ星の消えゆく空の向こう、北部大平原を目指した。


 馬を急かす。

 眠気に意識を失いかけ。

 落馬して捻挫ねんざし、打撲を負い。

 自分の頬を打って目を覚まして。

 手綱たづなを握る手が擦り向けて血にまみれる。

 うわごとのように「届ける、届ける」と繰り返しつぶやく。

 疲労は溜まりに溜まっていたが、さほども気にはならなくて。

 それを何度か繰り返すころには空がしらみ始めて。


「あ……」


 まぶしい光に目を細める。手綱がゆるみ、落馬しかけて、なんとか姿勢を持ち直す。

 朝日だ。

 ついに朝になってしまった。

 首飾りに救難信号が入ったのは深夜だった。おそらく邪族の急襲があったのだろう。それを耐えることができたのか、はたまた。


 その時、朝日の眩しさに照らされて巨大な構造物が現れる。

 要塞だ。

 堂々どうどうたる風格ふうかくで地平線を高く高く押し上げるそれは、北部大平原の歴史の結晶で。


「届ける……」


 この道のりの終着点だった。


「届ける……!」


 最後の追い込みだ、と馬の背を軽く叩く。何度か休ませはしたが相棒はすでに限界だった。だが、おもいにこたえたのか馬は加速する。

 転がりこむように街に入った。衛兵えいへいに止められたが、騎士団の首飾りをかかげて押しとおる。


 住民は見当たらない。要塞ようさいからときこえが聴こえるから、いままさに戦いが行われており、そちらに人員が割かれているのだと分かる。


 ほとんど倒れるようにして街の中心をはしっていく。全身は砂色。血と汗と泥が混じり、そこに枯れ草をまぶして乾かしたような、みすぼらしい風体ふうていで駆けずった。

 要塞の壁面に辿りつくと、適当な兵を掴まえて尋ねる。


「どこですか、勇者は、どこですか」


 足を止めた男は苛立たしげに言う。


「あァ? どこのどいつだ、おめえさん!」


 兵の反応は当然だった。

 誰も自分のことを知らない。ミストラが率いた部隊は壊滅したのだから、情報が入ってくるわけもない。


「俺は……」


 答えようとして咳き込む。気管きかんに張りついた砂が言葉を邪魔する。

 違う、自分が誰かなど、この際どうでもいい。


「どこです、勇者は」

「アステラ殿はいま戦ってるとこだろうが!」


 なんてことだと目を見開く。問答もんどうをしている場合ではない。


「これ、これを」


 暁の騎士団の首飾りを、叩きつけるようにして兵に渡す。


「これはミストラ団長の……? おめえさん、これをどこで──」

「頼みます、これを勇者に」


 背に手を回して得物を手渡す。


「あァ? なんだこれ……って、おい! まさか!」

「〈勇者の剣〉です」


 ようやく届けた。ずっと背負っていた〈勇者の剣〉をようやく届けられたのだ。

 受け取った兵士は血相けっそうを変えてとりでの階段を駆け上がっていく。声が遠ざかるのを、ほうけた顔で見つめていた。


 渇いた地面に雫が落ちる。

 涙がとめどなくあふれていた。なにに涙しているのか、自分でさえ見当がつかなかった。

 とにかく頬を熱い滴が流れてゆく。


「届けた……」


 これでライラに胸を張れる。

 意味はあったと言ってやれる。ミストラが率いた部隊の活躍も、その死も。

 無駄じゃなかったと、言ってやれる。


「俺は、届けた……ッ!」


 誰も見ていないとりではしで、ひとり静かに拳を握った。

 濡れた目をこすると、草でった腕輪が目に入る。メノウの作ってくれた腕輪。

 そこでハッとした。


 まだだ。

 ここで終わりじゃない。泣いている場合じゃない。

 帰らなくては。

 メノウとライラの待つあの場所へ。


 ライラは瀕死ひんしの重体だった。メノウだけに看病を任せてはいられない。

 それに貯蔵庫が無事とはいえ食糧が尽きないわけじゃない。野晒のざらしで目の見えない二人をいつまでも放ってはおけない。


 きびすを返すと、街の入り口で馬にまたがる。もうひと頑張り頼めるかと、たてがみを撫でて歩ませる。要塞ようさいをあとにして、来た道をゆっくりと戻ってゆく。




  * * *




「なに、〈勇者の剣〉だと!」


 アステラは、部下・マウロの言葉に振り返る。

 昨晩からの邪族の波状攻撃はじょうこうげきに、ヒビの入った剣を振るっている最中だった。それを中断してまで耳を傾けるべき単語だった。


「はッ、こちらの剣がミストラ団長の首飾りと共に届けられたとのことです」

「む……叔父上おじうえの……」


 アステラの顔が曇る。本人ではなく首飾りが届けられたことから、彼の身に何が起きたのかをおおよそ察知したためだ。

 しかし、目を伏せたのは一秒にも満たない。それだけで、使命のために気持ちを切り替えた。


「それが〈勇者の剣〉か」


 マウロから受け取ると、思いのほか軽いことを意外に感じる。

 だが、道のりが容易ではなかったことは分かる。ミストラが率いた部隊が死力を尽くしたことも。


「……誰が届けたのだ」

「はい?」

「戦いが終わったら叔父上の生き様を聞かせてもらおうと思ってな。教えてくれ、〈勇者の剣〉を届けた英雄の名を」

「ええと、それが……」


 マウロが歯切れ悪く答える。


「……どこの誰だか、誰も知らぬとのことで」

「なに?」


 戦場へと傾きかけていた足が止まる。


「ですから、

「…………は?」


 アステラは答えに唖然あぜんとし、疑問とも、怒りとも、悲しみともつかない顔へと表情を変え、しまいには微笑んだ。


「やはりいたぞ、英雄はいた」


 言っただろうマウロ、とアステラは嬉しそうに笑う。


「英雄は生まれながらにして英雄なのではない。名など無くとも、どこで生まれようと……人が、英雄にるのだ!」


 それからアステラはひとしきり大笑たいしょうすると〈勇者の剣〉をたずさえて歩き始める。


「さて、我々も英雄になるとしようか──」




  * * *




 要塞をあとにして。

 三歩進むと馬から落ちた。腕にも足にも力が入らない。

 仕方が無いので、手綱たづなって馬の背に自らの身体を括りつけた。馬の背を、力の出ない手で叩いて、一歩、また一歩と進ませる。


 歩ませる……。

 歩ませる……。

 歩ませる……。


 茫漠ぼうばくたる荒野こうやを一頭の馬が歩いていく。




 英雄えいゆうはそうしておのれまっとうした。


 おのれを、まっとうしつづけた。

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