第17話-① 流れる星を追いかけて〈上〉

 ザナリが地に伏した瞬間、ライラは己でも驚くほど冷静に行動をはじめていた。悲しみに叫ぶよりも先にすべきことがあると体は告げていて。


 今だ。魔法を撃つんだ。今でないと、邪人の動きが止められたこの瞬間でないと確実に魔法を当てることはできない。

〈魔眼〉に映る全ての魔力の流れが遅く見えるほどに素早く、よどみのない選択。


 ライラは呼びかける。


 ──渡して、〈勇者の剣〉を。


 応じるように伝説の剣が手渡される。

 ライラは迷うことなく伝説の剣を受け取る。


〈勇者の剣〉を使うことには一切のためらいも無かった。

 たしかにここで壊れてしまっては元も子もないが、ザナリの生み出してくれた隙を無駄にして誰も助からないようであれば、どのみち〈勇者の剣〉は邪人に奪われることになる。


 ならば壊れてしまう危険を負ってでも使うべきだと、ライラの脳は即決。

 すらりとした刀身とうしんが月光を反射して夜の世界へ顕現けんげんする。綺麗だ、という感想をすぐさま頭の隅に追いやり、剣先を前方へ。


 ヴァルガへと向ける。


〈勇者の剣〉は魔法の杖だ。

 それを向けるということはつまり、魔法を行使するということで。


ほむらの神よ」


 ライラは呪文を諳んじる。


「踊れ」


 大気に漂う魔力と体内の魔力が渦巻いて集まる。


「弾け」


 魔力を欠片も残さずに籠めるという意志。

 邪人を欠片も残さずに滅ぼすという意志。


万象ばんしょうを照らせ」


 最後の一節を唱える。



「──〈発火〉」



 夜を、光線が貫く。

 勢いよく噴き出した炎が、束ねられて伸びていく。橙から赤へと炎の色は変わり、青へと瞬時に移ろう。またたく間に熱線は太さを増して。


 熱された空気が風を産み、ライラたちの髪をバサバサとはためかせる。

 普段のライラには行使しえないほど高出力の魔法。

〈勇者の剣〉による恩恵おんけいだ。


 魔力の通りがいい。否、。体内の魔力があまりにも綺麗に魔法に変換されるモノだから、気を抜くと全てを消費しきってしまいそうになる。

 それに威力が大きすぎる。に仕込まれた魔力まりょく増幅機構ぞうふくきこうが必殺の威力を実現しているがゆえ。


 だからこそ魔法の反動も大きい。〈勇者の剣〉が手元から吹き飛んでしまいそうになる。暴れ馬を乗りこなす心持ちで、腹に力を籠めて剣を強く握る。幸い足場に不安はない。たくましい背中が支えてくれるのだから。


 必死に魔法を維持する。少しも気を抜けない。

 瞬間的に照射される一六〇〇度を超える熱。鉄すら融解ゆうかいさせる非情の殺意をせいそうというのだから。


 一筋の青い火柱が夜を支配する闇を裂いてほとばしって。



 ヴァルガの左半身を焼き尽くした。



 外した、と思った。

 完璧に制御できた自信はなかったから。事実、狙い通りとは言い難い。頭と心臓を撃ち抜くつもりだったが、半身を炭に変えるにとどまっている。

 だが結果は充分で。


「ァ、アァ……」


 ヴァルガが右手で、己の左胸に触れる。それから左腕、左わき腹。いずれも肉がけ落ち、黒々と焦げ切っている。


「ア……」


 自らの致命ちめいを知り、ヴァルガは何かを求めるようにライラへ向けて手を伸ばす。

 だが、その手はなにも掴めず。


 左半身を欠いた邪人の体は均衡をうしなって地面に倒れた。その体は影に沈むことなく、大地に受け止められた。


 影使いの邪人が立ち上がることは二度と無かった。



  * * *



 ヴァルガの意識は真っ暗な闇の中で漂う。

 何度も訪れた、己の精神だけの世界。ここに光はない。じっとりとした影が頭からつま先までを包み込み、静寂をもたらす。誰もいない、孤独の世界。


「あァ……死んだンか……」


 声は響かず、闇に吸い込まれる。返事はない。

 ヴァルガは独りだった。

 生まれたときからずっと。


 人間の血と邪族の血を引くイキモノなど、他にはいなかった。


 ニンゲンにしては大柄で、怪物のように醜悪で。

 邪族にしては小柄で、天才と呼ぶに相応ふさわしい賢さで。

〈魔眼〉の少女からも似たような匂いを感じたが、ついぞ確かめることはできなかった。


 そうであったとしたら気になることがある。

 なぜ彼女は群れていたのか。いや、群れることができたのか。


 なぜ自分は独りのままであったのか。


 寂しくはない。一人でも生きるのには困らないから。

 憧れもない。どうせ己に並び立つ者などいないから。

 ただ、ひどくひどく退屈ではあった。


 今となってはもう遅いが、少女に尋ねておけばよかった。


「なァ、オマエは退屈じゃなかっタか?」


 声は響かず、闇に吸い込まれる。返事はない。

 ヴァルガは独りだった。

 死ぬまで、ずっと。



  * * *



 ヴァルガが動かなくなったのを確かめるとライラは脱力した。

 体内の魔力が空っぽだ。悠久とも思える永い間、魔法を発動していた気分だった。実際はわずか数秒にも満たないのだが、その数秒でライラの蓄えていた魔力は底をつきた。


 ライラはその身を、魔法を放っている間にもたくましく支えてくれた背中に預ける。〈勇者の剣〉を握る手にはもう力が入らない。震える指先で渡すと、しっかりと受け取ってもらえた。


「終わったわ……」

「……撃つとは思ってたけど、撃つ前に言ってくれよ。心臓が止まるかと思った」

「悪かったわ、でも、そんな余裕……なくって、ね……」

「それもそうか。すまん」


 一呼吸の間でも無駄にはしたくなかった。

 ザナリが死に際に生み出してくれた隙だったから。

 ライラが狩人を視ている。そんな彼女の視線に気づかないはずもなく。


「なあ、ライラ……」


 と声をかける。だが。


「さ、急ぎましょう」


 気丈な声だった。震える声は、腹の底からではなく、のどの上の方だけで絞り出したみたいに不安定に揺れている。


「とはいえ、これからどうしましょうね、〈勇者の剣〉を届けようにも、馬は……もう……」


 言葉の一つもかけるべきだろうか。そんな思いが浮かぶが、いま必要なのはそれではないような気がして。


「いや、馬ならいる」

「え?」

「村からは離れてしまうから考えもしなかったが……一頭だけいるんだよ」

「もったいつけないで教えてちょうだい。どこにいるの、その救世主は」

「俺の家だ。馬を一頭、世話してた」

「それって……」

「ああ──俺たちは〈勇者の剣〉を届けられる」


 ザナリの遺体を広場の端に安置する。二人して手を合わせて拝み、それから村をあとにした。


 ざく、ざく、と歩き始める振動がライラにも伝わる。

 二人は山道を登った。

 といっても魔力が尽きたライラは背負われているだけだったのだが。役目を果たした彼女は大人しく運ばれている。活力に満ちた足取りに身を任せる。ライラを労うような、次は俺の番だとでもいうような気概を感じる歩みに。


「俺さ、妹と二人で暮らしてるんだ」

「なによ急に」

「帰れるんだと思うと嬉しくってな。ほら、君に死の予言を告げられただろう? だから……いちおう覚悟はしていたんだ」

「ああ……あれね。よかったじゃない、ハズレたみたいで」

「そうでなきゃ困るさ。俺は妹の──メノウの元に生きて帰ると約束したから」

「ふふ、美しき兄妹愛ってやつね。いいじゃない」

「からかうなよ」

「からかってないわよ。本当に思うわ、いいじゃない、美しくて」


 私には家族がいなかったからとライラが言った。


「……君たちの部隊だって素敵だったと、俺は思う。ディルクスさんは君を妹みたいに思っていたと言っていた。ザナリさんも、きっと」

「そう、かしら」

「そうだとも」


 いまの君はひとりじゃないと、彼女に伝えるように彼女を背負う手に力をこめる。


「さあ、気合を入れていくぞ」


 我が家を目指して一直線という気持ちで山道を進む。実際には曲がりくねっていて勾配こうばいもあるが、自分が運ばねばという使命感が、まるでさえぎるものなどないような感覚にさせてくれる。


 家まではあと少しだ。

 獣道を抜けて、かつて狐を狩った地点を通りすぎる。それから長い長い坂が立ちはだかり。


 思わず足を止めた。


 息が切れる寸前だった。喉はぜえぜえと鳴り、肺は苦しく駆動する。心臓が全身に空気を運んでいるが、まったく追いついていない。先ほどまでの奮い立った気持ちに、体が追い付いてくれなかった。


「私、自分で歩くわ」

「でも……君は……魔力が尽きて……倒れ……そうだった、だろ……?」

「誰かさんのおかげで少しは回復したわ。あなたにばかり負担はかけられないもの。けど、私の目じゃ、まともに歩くのも大変なの。だから」


 ライラが背中からするりと降りる。


「手を握ってくれる?」


 差し出された真っ白な手を引いて坂道を登り始めた。

 歩いているうちに呼吸は安定しはじめる。一人で無理を通すより、二人で分け合った方が上手くいくこともあるのだと噛みしめながらライラの手を引く。


「よかったら妹と友達になってくれよ」

「私が?」

「ああ。メノウは君と同じで目が見えなくて……そのうえ体も弱いから空気のいい場所でしか過ごせなくてね。友達ってのがいないのさ」

「私が、友達……」

「だめか?」

「いいえ、意外だっただけ」


 ライラが顔を上げる。坂の上を視て、さらにその上、夜空を見上げた。


「友達、友達ね……」


 つられるように見上げると木々の隙間から星々が覗いている。

 夜の空を流星がひとすじ引っ掻いた。光る傷痕はすぐに見えなくなってしまって。

 ライラがぽつりと呟く。


「……ねえ、この任務って意味があったのかな」

「どうしたんだ、今さら」


 怪訝けげんな顔でたずねる。


「俺たちで〈勇者の剣〉を届けて北部ほくぶ大平原だいへいげんの戦いを終わらせる、そうだろう」

「そうね、そうなんだけど……少しだけ、怖くなっちゃった」

「なにが怖いんだ?」

「確かに私たちの部隊は〈勇者の剣〉のためにずっと動いてきたわ。

「なんだって?」


 ライラが足を止めた。


「私は皆と一緒にいたくて、皆の役に立ちたくてここまでやってきたの。もちろん北部大平原の戦いだって止めたいわ。けれどその景色を眺めるなら、皆と一緒がよかった」

「ライラ、君は……」


 目隠しの奥で彼女がどんな瞳をしているのかは想像するしかない。だが、答えは別の形で示される。

 一滴の雫がライラの頬を流れ落ちていって。


「皆が死んでしまったなら、もう意味なんて──」

「あるさ」


 首を振って言葉を遮る。


「……ほんとうに?」


 縋るようにライラは言う。


「私、考えてしまうの。もし任務が上手くいって人類を救えたとして……そこに皆の姿が無かったら、全部無駄だったって思ってしまうんじゃないかって、そう考えたら怖くなる。ねえ、教えて。ほんとうにこの任務に意味はあるの?」


 これまで気丈だった彼女のはじめての弱音だった。


「……俺は託されたんだ」

「託されたって、なにを?」


 胸元から暁の騎士団の首飾りを取り出す。

 あかい宝石が、微かな明かりを受けてきらめく。


「これはディルクスさんに渡してもらった。元はミストラさんのものだ。それからこれ」


 と言って腰にくくった〈勇者の剣〉に触れる。


「ミストラさんから託されたんだ。届けてくれって」


 彼の愚直ぐちょくなまでに高潔こうけつな瞳が、硬い手が目に浮かぶ。


「俺は最初、任務の意味なんて考えちゃいなかった。妹のために金が欲しかっただけで、遠くの戦場で戦う誰かを助けようとか、そんな立派なことは考えちゃいなかった。そりゃそうだよ。俺はただの村人で、たまたま道案内として選ばれただけなんだ」

「なら別に、あなたがする必要は──」

「でも、俺が託された。他でもない、


 たとえ偶然だとしても。

 たとえ誰でも良かったとしても。


「俺が、あとは頼んだぞって頼まれたんだ。元はといえばたまたま巻き込まれただけだ、たまたまその場にいただけだ。


 だから、やる。


「そうすれば……彼らの想いを果たせれば、きっと意味は生まれる。彼らの死は無駄じゃなかったって胸を張れる。だから意味はある! 意味があったことにしてやるんだ!」


 繋いでいたライラの手を優しく握り締める。

 ライラは涙を流しながら笑った。


「ばかね、あなた。言ってることがむちゃくちゃじゃない」

「ば、ばかとはなんだ。俺は至って真面目にだな……」

「でも、安心した」


 ありがとう、とライラは言って。



 ──その場に崩れ落ちた。

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