第16話 闇を裂いて

 ヴァルガの意識は一瞬だけ真っ暗に飛ぶ。


 矢に貫かれた方の目はなにも見えない。足も片方動かない。焼けた肌が刺すように痛む。全身に毒が回り、感覚が鈍い。魔力も底をつきそうで。

 不自由な感覚が、ヴァルガの中の最も古い記憶を呼び覚ました。

 産まれる前。母の胎内たいないでの記憶。


 ヴァルガを身籠みごもったのは人間だった。

 物好ものずきな邪族がたわむれに人間を捕まえて、気まぐれにはらませた命。

 それがヴァルガだった。


 だが、邪族の赤子にとって人間の子宮は狭く、また人間よりも意識が芽生えるのが早かったため、母の胎内に収まっているのはひどく窮屈に感じられてしまって。


 当然ながら人間から送られてくる栄養も空気も邪族にとっては物足りない。根本的に生物としての大きさが違うのだ。

 狭い。苦しい。ここから出して。

 暗黒に包まれたヴァルガは、野生の本能で結論を導き出す。


 、と。


 光の届かないから逃げ出すために、魔法を編み出した。

 ──影の魔法を。

 母の胎内を飛び出し、母を食らい、母を身籠らせた物好きな邪族を殺して食らった。

 影に潜んで日中をやり過ごし、夜になったら影から獲物を仕留める。


 そうして赤子は立派な邪族に──邪人に成長した。

 邪族よりも賢く、人間よりも強靭な生命として。

 孤独にして異端。


 ヴァルガはそんな自分を気に入っていた。

 自分よりも体の大きな邪族をいとも容易たやすほふれる。自分よりも数の多い人間をいとも容易たやす蹂躙じゅうりんできる。


 この世界は自分のためにある!

 そう信じて疑わなかったし、実際、彼が欲しがって手に入らなかったものはなかった。


 だが、満たされなかった。

 獣を狩った。人間を狩った。宝を奪った。畑を襲った。家畜を襲った。時には同族の死体で山を築いた。

 あらゆるものを欲し、あらゆるものを手に入れて。

 それでもまだ渇いていた。 


 そして聞きつけたのが〈勇者の剣〉の噂。

 ニンゲンの道具はいい玩具だ。壊れやすいのがたまきずだが、邪族の作る粗末なものとは比べ物にならないほどたのしい。それだけは間違いない。


 欲しい……。

 欲しい!

 きっとこの渇きが潤うはずだ!

 強者たる自分に相応しい玩具なのだから!


 封印がある? 人間たちに解かせればいい。そして出てきたところで横から奪えばいい。

 いつものように。

 そう、思っていたのだが。


 異端の邪族・ヴァルガはいま、ぬかるみの中へ倒れこんでいた。

 不愉快な泥の感触。屈辱の質感だ。そのどろりとした手触りが産まれる前の記憶と結びついて──ひらめきを与える。


「ク……ッそがアァ!」


 気を失っていた一瞬の間から抜け出し、ヴァルガはぬかるむ地面を前に向かって転がる。

 ザナリたちの追撃ついげきから逃れるため。

 ではなく。

 ヴァルガの企みに気付いたザナリが声を上げる。


「マズい、あいつ……っ」


 だが──


「遅ェよボケがァ!」


 前転したヴァルガは泥にまみれながらも転がりつづけ、目的を果たす。


「チッ、火を消しやがった!」


 ヴァルガにとって不快な場所から逃れる方法はいつも一つ、影の魔法だ。しかし自分を焼く炎がそれを許さなかった。それもべっとりとした松脂まつやにによって張り付いた炎。容易よういには取り除くことはできない。

 逆に考えロ。フタをしちまえばイイ。


 ぬかるんだ地面を転がり、松脂まつやにの上へ被せるように焼けた肌に泥を塗りつけた。

「こレで自由ダ」

「くそがっ!」


 ザナリが走り出す。その音が近づいてくるのを聴いて、ヴァルガは悟る。

 矢を撃ち尽くしたな、と。

 でなければ、先ほどまでは距離を取っていたのにわざわざ寄ってくる必要もない。危険を冒してまで近寄るのはこちらが影に潜るのを警戒してのことだろう。


 勝てる。

 目が射貫かれた今、遠距離から狙われるのが最も避けたいのだから、近距離戦になるのは願ってもない。音が聴こえればある程度は体格差で片がつく。


 ヴァルガはニヤける。

 いったん影に身を潜めて、様子を窺ってから奇襲を仕掛けたっていい。とにかく馬鹿正直に戦う必要は──


「へぇ」


 涼やかな声がした。ライラの声。彼女はヴァルガの思考に水を差すように、鼻で笑う。


?」


 その言葉を聞いた瞬間、ヴァルガは己の誤算を知る。


 オレ様は寝惚ねぼけテたのか?

 こうすれば勝てるなどと策を練るのは、工夫を凝らさねば勝てない者のすることだ。まして、身を引いて待つなどと。

 そんなのは弱者のすることだ。邪人である自分のすることではない。

 邪人なら。


「真ッ正面から腹ァ裂いてやル! 逃げるなよニンゲン!」


 咆哮する。焼けそうな肺を、それでも震わせて威圧する。

 怒りは炎よりもたぎっていた。


 ヴァルガの誤算、それは──己の矜持きょうじ

 人間を、邪族をも超えた絶対強者としての誇りが、『逃げる』という選択肢を排除した。


 湾曲刀わんきょくとうを強く握る。ザナリの足音が背後から近づいているのには気付いていた。声を発さずに駆けてくるのは位置を気取らせないためだろう。それでもおおよその距離は分かる。足音と、それから。


 ヴァルガは振り向きざまに湾曲刀わんきょくとうを大きく振るう。

 狙いは音の発生源。足音よりも分かりやすく聞こえていた音。


「髪飾りがジャラジャラ鳴ってんダよ、マヌケ!」


 ザナリのつけていた飾り。それが彼女の位置を雄弁に語っている。

 怒りを込めた横薙ぎが、ザナリの頭蓋骨を砕かんとして髪飾りめがけて正確に撃ちこまれる。


 響く破壊の音。

 だが。

 手の感触があまりにも軽いことにヴァルガは驚く。忌々しい狩人の頭蓋骨が吹っ飛んだ音もしない。


 なぜだ、と思うのと同時。

 膝に強い衝撃を受けた。


「がッ……!?」


 斬撃だ。それも。分厚い刃で切りつけてきたかのような。

 なたか。

 それこそ、狩人の──


 何者かの気配が遠ざかっていくのを感じ、ヴァルガは理解した。

 自分はザナリを仕留められてはいなかった。自分が斬りつけたのは狩人ではなく。


「髪飾りをな!?」


 答えは離れた場所から発せられる。


「飾りだけじゃねえけどな」


 ザナリは、短くなってしまった髪に触れる。乱雑な毛先が誇らしげに揺れた。

 髪に編みこんだ飾りが自らの位置を教えてしまうことをザナリは分かっていた。もちろん音を消して走ることもできる。だが、ヴァルガの目が見えていないのなら利用できるのではないかと考え、潔く髪を切り落として、利用した。おとりとして。


「獣は音に反応する。狩りの基本だぜ」


 言い返そうとするヴァルガだったが、痛みに耐えきれずに膝をつく。元々怪我を負っていた足が完全に言うことを効かなくなっていた。


「あたしの部族じゃあ、狩人をやめるときにしか髪を切らないんだが」


 ザナリは不揃いな毛先を撫ぜて。


「まぁいいさ、ぜんぶは狩りのためだ」


 なたを構えて腰を落とす。髪飾りをオトリにする作戦は二度と使えないが問題ない。既にやつの足は潰せている。身動きの取れない巨体など大きなまとでしかない。


「さぁて、追い込みだ」


 前傾姿勢を取る。己の影が色濃く伸びているのに気付く。家々を燃やす炎によって描き出された影だ。背中にヂリヂリとした熱を感じた。幼い日に故郷を焼いたのと同じ熱。

 自然と足のつま先に力がこもる。体重が乗る。


「ライラァ! 援護頼む!」


 連携を取ったのは一度や二度じゃない。それだけで通じる。

 ここで仕留める。絶対に。

 ヴァルガを睨みつけ──


 


 狩人と邪人の視線はぶつかったのだ。


「は?」


 驚きで声が漏れ出る。

 合うはずがない、ヴァルガの右目はザナリの矢で撃ち抜かれ、左目は潰れて血を流していたのだから。


 だが現にヴァルガの左目はギョロリと剥いていて。

 両者の視線が衝突を起こす。

 その意味するところは。


「騙されたな、マヌケ」

 


「ザナリ離れて! そいつ魔法を──」


 ライラの声が耳に飛び込んでくる。ザナリは退こうとする。しかし飛びかかろうと前に乗った重心を急に変えることはできず。

 その大きな隙を見逃すヴァルガではない。


「死ネや!」


 ヴァルガは身を翻し、背後に伸びていた自らの影めがけて湾曲刀を叩きつけた。刀身は地面にはぶつからず、影に吸い込まれ。

 ザナリの前方に落ちていた彼女自身の影から現れ。

 血が飛沫を上げる。


「あ……が……ッ……!」



 凶刃が狩人を貫いた。




  * * *




 ザナリはかつて重傷を負ったことがある。腹に穴があいたのだ。


 真の狩人となるべく、兄・ガネリのもとで狩りの手ほどきを受けていた時のことだ。まだ協調性きょうちょうせいも、思慮深しりょぶかさも学び始めたばかりの若き日のザナリは、手痛い失態を犯した。

 身を隠して追っていた鹿の前に飛び出したのだ。


 待つというのも技術だ。

 隠れる場所を知って、耐え忍ぶ心の強さや、いつでも飛び出せる姿勢で待機する肉体の強さを要する。

 だが、ザナリにはまだそれらが備わっていなかった。

 だから飛び出した。


「逃げんじゃねーぞ!」


 普段なら鹿は驚いて逃げてしまうところだった。

 けれど季節は秋。鹿にとっては発情期──つまり、気が立っていて。

 ザナリの腹めがけて、鹿は大きな角を突き立てた。血が噴き出して辺りは大惨事。


 結局、兄のガネリが駆けつけて素早く首を掻き切り、仕留めてみせた。

 狩るつもりで飛び出したザナリは、あやうく狩られかけたのだ。集落に運ばれて一命をとりとめたのち、翌日の朝にはすっかり元気を取り戻したのが彼女らしいが。


 起きたザナリはガネリにひどく呆れられた。

「だから言ったろ、この時期の鹿は凶暴だ。確実に仕留められない限りはこちらも慎重に動かなきゃいけないんだ」

「う、でも……」

「でもじゃない」

「だって! あいつ逃げようとしてた! 日暮れが迫ってたし、あのままじゃ仕留められないと思って、それで……」


 ガネリは驚いた。確かに鹿は警戒心を強めており、逃げ始める寸前だった。

 凶暴といえど、鹿とて無闇に戦いを挑んだりはしない。逃げられるなら逃げる。攻め込まれれば応じる。その二つが天秤にかけられた緊張状態だった。そしてザナリの言うとおり日が落ち始めており、追いかけるとしたら一筋縄ではいかない状況ではあった。


 未熟な妹はそのことに気付いていた。

 狩人としての勘は充分に育っていたのだ。

 とはいえ対処は間違っている。


「いいか、今回は仕留められたから良いものの、運が悪ければお前が死に、鹿にも逃げられていたんだぞ。最悪を想定しなさい。現実はその下をゆく」


 故郷が焼かれたように。

 ガネリは言外にそう言い含めていた。しかし。


「分かるよ、でもそれだけじゃダメなんだ!」

「……ほぉ?」


 妹だって愚かではないとガネリは知っていた。真の狩人になるために、心を入れ替えて学び始めたのも知っている。ではなぜ?


「いったいどうしたんだ」


 尋ねると、ザナリはばつが悪そうに言う。


「だって……兄さんのところ、二人目が産まれるんだろ?」


 ガネリはハッとした。


「兄さんのことだ、ヨメさんにご飯を譲ってんだろ? それに、じきに冬になる。今のうちにたくさん狩って、皆をたくさん食わせなきゃって、そう思って……ごめんなさい……」


 ザナリの声がしぼんでいく。


「気持ちばかりはやったってしょうがないだろ。まったく、お前は身体が大きいのに、やることは焦った子供みたいだな」


 ガネリは妹の頭へ手刀をこつんと振り下ろす。

 それからわしゃわしゃと髪を撫でて。


「お前は優しいね」


 ザナリは黙ってそれを受け入れた。

 鹿に空けられた腹の穴は痛むが、そんなの忘れるくらい温かい手だった。


「さ、目が覚めたならメシにしよう。お前が逃がさなかった鹿の肉をたっぷり使った汁だよ」

「違うよ、兄さん」

「ん?」

「あたしが引き留めて、兄さんが仕留めた──二人で狩った鹿さ」


 ザナリは誇らしげに笑う。

 腹に穴は空いたが、心は満ちていた。

 幸せな記憶だった。



  * * *



 ザナリの身体は大地に崩れ落ちた。家々を焼くほむらが、動かぬ体を照らす。その影は重たく張り付くように地面に広がる。

 腹を貫かれていた。かつて傷を負った箇所に重なるように穴が空いている。

 どくどくと血が流れていく。指先が冷えていくのを感じる。


「……ラ……イラ…………」


 かすみがかる意識のなか、呟く。


「……あと……たのんだ…………」


 冷たい手のひらが、腹を貫いた湾曲刀わんきょくとうつばを握りしめる。きつく、きつく握りしめる。






 そうして褐色の狩人・ザナリは命をまっとうした。


 命を、まっとうした。

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