第15話 〈魔眼〉

 ライラが己の半生を振り返るとき、そこには必ず諦めがあった。


「弱いとね、諦めるのが得意になるの」


 幼いころから弱かった。

 まず、普通の世界が見えなかった。〈魔眼〉を持って生まれたから。

〈魔眼〉──それは魔力しか見ることのできない不完全な眼。古い伝承では邪族の呪いなどと呼ばれることもある、曰く付きの眼。


 ライラは親の顔を知らない、なぜなら見えないから。

 だけではなく。

 肉親に育てられていないから。忌み子として辺境の村で売られて、物珍しさから金持ちに買われ、売られ、買われ、売られ、買われ、捨てられて。

 物心ついたときには暁の騎士団が抱える施設に引き取られて、大勢の孤児と共に育てられていたのだ。


 だが、〈魔眼〉のライラは施設でも浮いていた。

 理由はいくらでもある。大人でさえ不気味がるに、彼女の卓越した魔法の適正、それから愛想あいその欠けた受け応え。

 他の孤児たちがライラを異端として遠ざけるのに時間はかからなかった。


 親がいないだけなら、友だちがいないだけなら。どちらかであれば耐えられたかもしれない。

 だが、どちらも無かった。


 ライラは孤独のなかで、それでもいいと自分に嘘をついた。手に入らないものを最初から諦めて、欲しくなんてなかったと誤魔化した。


 弱いから、強がった。

 弱いから、遠ざけた。

 私は忌み子。

 私は独り。

 全てを諦めていた。


 けれど、仲間ができた。


 ミストラによって暁の騎士団の特殊部隊に抜擢ばってきされたのだ。

 家族はいない。友だちもいない。

 忌み子として生まれて、売られて、買われて、捨てられた。

 けれど〈魔眼〉を頼りにしてくれる仲間ができた。


〈発火〉の魔法を褒めてくれる仲間が、できた。

 炎と因縁のあるザナリでさえも例外なく褒めてくれた。

 大切な仲間たちができた。

 もう孤独じゃない。


 弱かったころとは違う。欲しいものを諦めたくない。

 だから。

 大切な仲間を、ザナリを、どこぞの邪人などに殺させるわけにはいかない。



「私が──〈魔眼〉のライラが相手になるわ!」



 自分を担いで村まで運んでと””に頼んだのは、ザナリと二手に分かれてすぐ。

「分かった、俺が君の『』になる。……俺はザナリさんほど鍛えてないから乗り心地は悪いけど」なんて、ズレた気遣いをされたライラは、思わず笑いながらも力強く頷いて。


 そして間に合った。


 ザナリに刃が振り下ろされる前に〈発火〉の魔法で邪人の──ヴァルガの顔を焼いた。


「あぢいぃしぃいぃイイ! あっづィ! ンだこれァ!」


 村の広場の真ん中でヴァルガは踊るようにのたうち回る。火はすぐには消えない。それは魔法の効果ではなく。


「ザナリのクサ玉には獣の脂が入ってる。それから松脂まつやにも。って、聞こえてないわよね」


 ライラは親切な『』へ頼みこむ。


「今のうちにザナリに〈治癒〉をかけましょう!」

「了解!」


 二つ返事で動いてくれることに感謝を告げたいライラだったが、それは全て終わってからだ。まだ危機は去っていないし、やるべきことがある。


 ザナリの位置は〈魔眼〉でも見える。

 どんな生物もわずかに魔力を放っており、近づきさえすれば〈魔眼〉であってもおおよその位置が判る。そして魔力の流れからは生命力も読み取れる。

 ザナリの息が絶えかけているのも。


 ライラはしがみついていた背中から降ろしてもらい、ザナリの体に触れる。

「ッ神よ、我らに命の輝きを与えたまえ──〈治癒〉!」


 温かな魔力が体の内を通って、ザナリの体に注がれていく。植物が根から水を吸い上げるようなゆっくりとした速度だ。それだけ〈治癒〉には時間がかかる。


「お嬢……んで……」

「喋らないで、ザナリ!」

「なんで、来たんだ……お嬢……!」ザナリは咳き込み、「あんたが〈勇者の剣〉さえ届けりゃあ、あたしたちの使命は……」

「うっさい! うっさいうっさい!」


 ライラの眼からボロボロと雫がこぼれ落ちる。真っ黒な目隠しの奥から、いくつもいくつも落ちてくる。ザナリの体に触れる手にいくつも涙が当たって砕ける。


「私はもう諦めないの! ザナリは死なせない! アイツを倒す! 〈勇者の剣〉を届ける! 無茶でも全部やってやるわよ!」

「お嬢……」


 ザナリは何かを言いかけて、やめる。言い争うのは無駄だとすぐに理解して、ため息を一つだけついて、それだけで、再び瞳に炎を灯してみせて。


「アイツは弱ってる」

 端的に状況を告げていく。


「左目を負傷してる。おそらく見えてはいないはずだが……それから足も引き摺ってた、確証はないが、たぶん……たぶんだぞ、右だ」

「目は左で、足は右ね。ええ」

「ゲほッ、それから、クサ玉は全部ぶつけてやったぜ、へへッ」

「ええ、ええ。ちゃんと燃えてるわ。あなたの手柄よ」

「お嬢にしちゃあ、ずいぶん素直に褒めてくれるじゃねえの……ってて……」


 ザナリが起き上がろうとするのをライラは支えてやる。褐色の狩人は立ち上がり、二度三度頭を振った。髪飾りがと元気に鳴る。


「あたしはまだやれる。あんたたちはどうだ」

「いけるわ」

「俺もです」


 二人から静かな覚悟を感じ、ザナリは満足げに笑う。体中が痛むが、それでも笑う。


「さて、仕切り直しだ」


 広場の中心で炎に焼かれて暴れるヴァルガへ向き直る。


「邪族狩りといこうじゃないか」



 ザナリの宣言に合わせてライラは攻勢に転じる。


「〈発火〉! 〈発火〉! 〈発火〉!」


 呪文を省略しての詠唱。不揃いな炎の弾が撃ちだされてヴァルガを襲う。


「がアッ! くソッ!」


 ハエを追い払うような動きで火球を打ち落とすヴァルガ。全てが着弾するわけではないが、ライラとしてはそれでよかった。ヴァルガとの距離は十歩かそこら。これ以上やつを近寄らせては誰も太刀打ちできない。距離を置くのは必須だった。

 炎のつぶてを喰らったヴァルガは後ずさりして。


「やってられッカよ!」

 手のひらを地面に向けて炎に照らされている己の影を集めていく。影は、ぐにゃりと形を歪めて渦を巻く。


「あんにゃろ! 逃げる気か!」


 ザナリが矢を番える──よりも早く、手負いの邪人は影へと飛び込もうとする。しかし。

 影の渦へと入り込んだヴァルガの体は完全には呑み込まれなかった。ヴァルガは己の体を焼く炎を消そうと叩く。


「くソッ、くソくソくソッ! 邪魔くせェッ!」


 泥炭色でいたんしょくの巨体は、下半分だけが沼地に埋まったかのように影の中に沈んでいる。けれど炎に焼かれている上半身は影に入ることができておらず、無防備で。


 それを見逃すザナリではない。

 弓を構えて矢を放つ。ヴァルガに湾曲刀で防がれる。間を置かず、湾曲刀わんきょくとうを握る右手めがけて射る。


「ギッ!」


 湾曲刀わんきょくとうが地面に落ちる、そこへもう一矢──が、ヴァルガを襲う前に、ヴァルガは影の中から飛び跳ねる。

 転がるようにして地面へと倒れ込んだ。


 湾曲刀わんきょくとうを拾い上げると、突き立ててその陰に身を隠す。といってもヴァルガからすれば小さな刀だ。せいぜいが急所を守る程度でしかない。

 片膝をつき、肩で息をする。


「はァ……ハァ……ゲふッ……っアァ……」


〈神判〉に巻き込まれた際の激痛が体の奥で再び疼き始める。傷口を焼いて塞ぎ、馬を食べて体力を回復したとはいえ、〈治癒〉の使えないヴァルガには自らを癒せない。積もりに積もった痛みは消えない。


 加えて炎だ。クサ玉によって油の染み付いた上体は火に焼かれている。火傷によって神経が痛み続ける、だけではない。呼吸がままならない。自身が燃え続けているのだから当然だ。


「クソが……クソがヨォ……」


 むしろまだ生きているのは邪人の生命力の高さゆえ。

 まさしく怪物。

 だからこそヴァルガは納得がいかなかった。


 なぜだ、なぜだ! 本来ならば人間も、そして邪族ですらも敵ではない。それが、どうしてこんなことに!

 許せない。


「舐めっ、んナよッ!」


 ヴァルガは立ち上がり、えながら人間たちへと近づく。上半身を包む火焔かえんは未だに収まっていないが、湾曲刀わんきょくとうの刀身で顔をかばいながら一歩、また一歩と。

 足取りはやけに重たい。水中を進むような抵抗を感じる。


「ようやく効いてきたか」ザナリが言う。「さっきの矢には毒を塗りこんである。この山で採れた新鮮なきのこの毒を、松脂まつやにと混ぜてたっぷりとな」

「な……っド、く……」

「お前が元気に走り回った分だけ、血に乗って体を巡って……頭からつま先まで素早く届いただろうぜ」

「ざッ……け、んナ! 殺ス……!」


 怒りを燃料にヴァルガの歩みが早くなる。

 左右非対称の重たい足音が近づいてくる。


 ライラは慌てた。

 自分の〈魔眼〉でも相手の位置は掴める。魔力を垂れ流している邪人の姿なら〈魔眼〉には映るから。しかし他のものはほとんど見えないに等しい。逃げるためには再び背負ってもらう必要がある。

 と考えて声を掛けようとしたところで。


「ライラ! 俺はここだ」力強い声が響いて、手が握られる。「早く背中に!」

「っ! 助かるわ!」


 導かれるまま、その背に全身を預ける。ふわりと体が浮いたので立ち上がったのだと分かる。それからどっしりと重心が落ち着く感覚がして、背負われたことを実感する。ライラは安心した。目が見えなくとも、まだ戦える。


「安心して。〈魔眼〉で見てもアイツはもう虫の息……、あと少しのハズよ」


 ライラは自分を背負ってくれている頼もしい背中へと語りかける。


「でも私の魔力もあとわずか。充分な威力の〈発火〉なら……三発くらいかしら」

「っ……三、か……」


 それを撃ち終えたらどうなる?

 という問いが呑み込まれたのはライラにもわかる。代わりに勇ましい言葉が紡がれる。


「俺が君の代わりに走るから。なにがなんでも当ててくれ」


 ライラは「任せたわ」と呟いて、すぐに顔を上げる。


「ザナリ、二手に別れるわよ!」

「応ッ」


 ザナリが短く返事をして、ヴァルガを挟みこむため駆けていく。

 負傷している左目の側にライラたちが陣取り、右目側はザナリが陣取った。常に互いの対角線上に邪人がいるようにしておけば、どちらかが狙われた際にもう片方が助けやすい布陣だ。


「くそッ……チョロチョロしやがッテ……!」


 左右に展開したザナリたちを見比べるように、ヴァルガは視線を往復させる。片目で戦況を確かめるにはそうするしかない。どちらかに背後と左方を取られまいと、毒の回った足でふらふらと動き回る。

 だが、すぐに意を決して。


「まずはテメエらダ、ガキィ!」


 ライラたちへと向き直──らず、ヴァルガは地面へと刃を突き立てた。湾曲刀わんきょくとうの切っ先は大地に突き刺さることなく、自身の影に呑まれる。

 その殺意が向かう先はライラたち。


 正しくは、広場を包む炎によって色濃く描き出されたライラ達の影。そこから湾曲刀わんきょくとうが姿を現して二人を襲う。ミストラを倒した一撃。

 しかし。


「〈発火〉!」


 ライラが放った炎が二人の影を掻き消した。

 自らの近くで魔法を放ったのだ。熱された空気が吹きつけ、二人は思わず息を呑む。だが、それだけだ。

 影を通じて現れた凶刃きょうじんは、影を消したことにより止まっていた。


「あなたの魔法って」ライラは射貫いぬくような視線でヴァルガを見つめ、「影を通してモノを運べるようだけど、影が消えたら使い物にならないみたいね」

「ッ……!」

「さっき逃げようとしたときに下半身までしか影を通れなかったのは、あなたを燃やす炎が影を薄めてしまったから──でしょう?」

「はッ、見えねえクセによく見てやがル!」ヴァルガは苦しげに悪態をつく。

「魔法なら視えるわ、〈魔眼〉だもの」ライラは超然ちょうぜんと言い放つ。


 ライラの瞳は光も影も映してはくれない。けれど、魔力ならば。魔法のことならば。

 見通している。


「それと、あなたはよそ見しすぎたみたいね」

「ア? なニを──」


 ドス、と短い音。

 次いでドスドス、と鈍い音。肉を貫く音だ。


 ヴァルガの首筋と右目に矢が突き刺さっていた。


「あたしを忘れたか?」


 弓を握ったザナリが笑っていて。

 ぬかるんだ地面へ、ヴァルガの巨体が倒れこんだ。

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