第14話 炎
ザナリの人生を歪めたのは『炎』だった。
彼女がいま〈勇者の剣〉を届けるべくして命を
全ては炎のせいだった。
炎。それは人々にとって文明の象徴だった。暖を取れる。明るさを得られる。食べ物に熱を通せる。火は生活に豊かさをもたらし──
時に牙を剥いた。
邪族の侵攻によって故郷の村が焼かれたのは、ザナリがわずか六つのとき。
村のあちこちでかやぶき屋根の家が燃えていた。立ち昇る煙と
小麦、干し草、
それから、
火を放ったのは邪族だ。
炎が家屋を伝い、干し草を呑みこんで広がり、部族の民から住処を、食べ物を、財産を、家族を、効率よく奪い去った。
彼女たちの住んでいた地域の邪族たちは気付いてしまった。
火を放つと『
邪族は──
火の発見は、邪族の狩りに新たな刺激をもたらした。
それで邪族の生活が豊かになったりなどしない。邪族は人間と違って炎で暖を取らないし、明かりとして用いないし、食べ物に火を通さない。
だから邪族は火を
ザナリたちの村を焼いた火も、もとは誰かの家の暖炉で生活を豊かにしていたもの。それが翌年の春に食べるはずだった麦を灰にしてしまった。ザナリの家を煤けさせてしまった。人間を、
全てを邪族に奪われた、炎と喪失の記憶。
それがザナリにとっての始まりだった。
故郷を失くした彼女たちは
「すまない、うちも厳しいんだ」
二言目にはそう言われるのが常だった。どの土地も彼女たちを受け入れる余裕がなかった。邪族との戦いで
「歓迎しよう。こちらとしても人手はいくらでも欲しい」
そう言って快く彼女たちの部族を迎え入れてくれたのがミストラ率いる暁の騎士団だった。
ザナリは狩りの腕を高く買われて特殊部隊に
ようやく手に入れた第二の故郷。ザナリにとっての暁の騎士団はそんな場所だ。
絶対に失うわけにはいかない。
そのためにも〈勇者の剣〉を届けねばと、ザナリは尽力した。
あの炎と喪失の日を、もう二度と経験しないために。
人の焼ける匂いなど誰も嗅がなくていいように。
そのザナリの前で、いま、村長の家が焼けていた。悲鳴や怒声は聞こえない。皆が逃げ終えたのか、それとも。
と、嗅いだことのある匂いがした。麦でも藁でもない。
その正体をザナリは憶えている。
「……っクソ!」
初めて村を訪れた日に話し合いに応じてくれた老人を、杖についた鈴をしゃんと鳴らして人々をまとめ上げていた彼を思い出して。
ザナリは睨みつける。
燃えてゆく邸宅の前で、ドカッと座り込んでいる邪人・ヴァルガを。
ザナリにとって初めて相対する生き物だった。
一般的な邪族と同じ
その異様な雰囲気に呑まれ、体は動くことを忘れて棒立ちになってしまう。
ヴァルガはそんな張り詰めた空気を気にした風もなく、「よォ、遅かったナ」などと旧友を迎えるかのように挨拶してくるものだから、ザナリは顔を引き
「いやァ、派手な自滅に巻き込まれちまっテよ。見ての通りダ」
そう語るヴァルガの左目からは血の流れた痕があった。よく見れば鼻の
語り口調の軽薄さとは裏腹にヴァルガは深手を負っていた。
ザナリはそのわけを知っている。
「ふん、ディルクスの最後っ屁を喰らって生きてるとはね」
「ギッギッ、さすがに焦ったゼェ」
ヴァルガは
「ッつーワケで休もうかと思っテここに来たってワケ。いい加減ハラも減ってたしよォ」
ヴァルガは大きな肉塊の刺さった
「火ィ、入れたんだぜ。器用なもんダろ」
はふ、はふ、と熱そうにしながらも、ヴァルガは満足した顔で
「ニンゲンはこーゆーのを”料理”ッつーんダろ? オレ様の
肉の塊から血と肉汁が
「りょう……り……」
村に来てすぐ嗅いだ匂い、それからヴァルガの食べている肉。
ザナリの怒りが一瞬で沸騰する。
「てめえ!」
「キレんなッテ。ニンゲンは喰ってねェヨ。オマエら不味ぃからナ」
ヴァルガは「ほれ」と脇に転がっていた何かの塊を投げてよこしてくる。それは暗い足下を転がり、ザナリの前でぴたりと止まる。
馬の頭だった。
北部大平原へ〈勇者の剣〉を届けるための、頼みの綱の、馬だった。
「ナァ、これで逃げるつもりだっタろ」
「ッ……クソが!」
「繋がれてたから殺しやすかったゼ! ギッギッギ!」
よかった、
そう、ザナリは
火の手があがっているのを遠目にみてすぐ、抱えていたライラをおろして山道を駆け降りてきた。幸か不幸か、村を燃やす炎が目印となったおかげで、ザナリは道案内がなくとも辿りつくことができた。
転げるように山を下りながらいくつも考えた。邪人とやらの仕業なのか、それともまた別の原因か。いずれにせよ住人を逃がさなければ。そうだ、馬の安全も確保しなければ、と。
焦りはあったが混乱はなかった。
事前に考えていた通りにはいかないのが狩りだと知っている。
そして村へと辿りつき。
自らが為すべきことをハッキリと知る。にやけたツラの邪人を前に理解する。
ここで倒す。刺し違えてでも。
おそらく死ぬだろうが、それでもいい。元から覚悟していたことだ。
頼りにしていた馬は殺されてしまったけれど、まだ〈勇者の剣〉はこちらの手にある。置いてきた二人が生きてさえいればどうにかなる。
まずは気を惹く。
間違ってもライラたちの方へ興味を持たせてはいけない。影伝いに移動されては追いかけようもないのだから。
互いの距離は十歩かそこら。近すぎるくらいだ。
慎重に矢を
「やってみろヨ、なァ。その細っこい矢でなにができんダ? よォ」
自信家で、考えが足らず、そのくせ自尊心だけは立派。
かつての自分のように。
同じなのだ、考えずに狩りをしていた幼いころの自分と。表面的な強さしか見えておらず、複雑な要素にちっとも気付いていない。
「だから負けんだ」
「あ? そりゃ、どーユー──……」
会話を閉ざすように矢を射る。弓が風を切り、それから矢がドスと鈍い音を立ててヴァルガの
だがヴァルガは
「こんだけカ?」
小さな矢じりはヴァルガの胸に食い込んでいるが、痛手を与えるには至らない。赤黒い血がひとすじ流れていく。たったそれだけ。分厚い胸板を撃ち抜くことはできず。
「次はオレ様の番ダ」
地面に突き刺した
「なッ! テメー逃げんナ!」
「やだよ馬ァ鹿」
後ろから聞こえる声を遠ざけるように
一度訪れただけの村だが道はわかる。狩人としての習性で、足を運んだ場所は憶えるようにしていたから。さほど難しくはない。山道を──生い茂る草木のせいで行くたびに変わって見える山道を覚えるよりは遥かに楽だった。
暗がりで転びそうになるのを耐えながら、簡素なつくりの小道を通りぬける。背後から、怒りのままに家屋を破壊しながら近づいてくるのが音だけで分かる。
「いいぞ、食いついたな……!」
もっと走れ、せいぜい
「……?」
なにかおかしい。小さな気づきを逃すまいと耳を澄ませる。それから、髪に着けている装飾品が音を立てないような走り方へと切り替える。頭の位置を常に地面と平行に保ちながらの
「足を怪我してる、のか?」
左右で足音が違うようにザナリには聞こえた。片方は力なくて冴えない音、もう片方は力強くて重たい音。そのうえドッタドタと不揃いに鳴っている。体格の差があってすぐ追いつかれるかと思いきや、案外そうでもないらしい。
「ちっとばっかし賭けてみるかね」
ザナリは角を曲がったところで足を止める。振り返って
「見つけタぞ、おラァ!」
「べッ……なンだヨこれ!」
ヴァルガがたたらを踏んで立ち止まる。顔についたモノを手のひらで拭う。べったりとした液体と細かな肉の破片、それから。
「そりゃ
「う、うン……?」
おそるおそるといった様子でヴァルガは手についた内容物の匂いを嗅ぎ。
「おエッ!」
思いっきりえづく。
「効くだろ? あたし特製・
畳みかけるように、
「クソがッ! 舐めやがッテ! 効くかこンなモンっ!」
ヴァルガは
「っと、これでもう最後か」
残ったクサ玉を投げ切ったザナリはヴァルガに背を向け、さっさと逃げ出す。目指すは村の広場、燃やされた村長の家。というより、いま欲しいのは火だ。
「火さえありゃ、いくらでも──……」
路地を抜けると燃え盛る炎に迎えられる。ザナリの影がくっきりと伸びるくらいに燃え盛る火の手を見て勝機を感じ。
直後、衝撃がザナリの体を襲った。
肉がはじけ飛びそうなほど重たい一撃に、褐色の狩人はいとも容易く吹き飛ばされる。地面を跳ね、意識が真っ白になり、また元に戻り。それから痛みの信号が全身を駆け巡ってくる。
ザナリの体は地面に転がっていた。
その影、炎によってくっきりと描かれた影から、魔法を使ってヴァルガが現れる。肩が上下していて息が荒い。余裕のなさを隠せてもいない。
だが地を這うザナリと、立っているヴァルガ。
いまどちらに勝機があるかは明白で。
「追いかけっこはおしまいダ」
振り上げられた
「さァ、死ね」
ヴァルガの顔が
「〈発火〉!」
矢のように飛んできた炎の球が、ヴァルガの顔を焼いた。
呪文を唱えたのは聴き馴染みのある声で。
その声は高らかに宣言する。
「私が──〈
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