第13話 火のない所に明かりは点かぬ

 策は練った。

 準備をした。

 休息も取った。

〈勇者の剣〉は腰から提げた。


 夕日の茜色よりも夜の暗黒が増えつつある山道を駆ける。氾濫した川の近くは危険だからと、遠回りにはなってしまうが、いくらか安全な道を選んで村を目指していた。


 ミストラは村に予備の馬がいると話していた。ザナリたちにはそれに乗って北部大平原を目指してもらう算段だ。

 つまり、村に辿りつけば〈勇者の剣〉を届けられる目途めどが立つ。絶望的な状況に明かりが灯った気分だった。

 だが。


「……ザナリさん、平気ですか?」


 先頭を任された道案内役として後方を気に掛ける。


「おうよ。まだ余裕だぜ」

「ライラは?」

「私は疲れないわよ」


 色白の彼女は澄ました顔で言う。彼女は決して脚に自信があるわけではない。

 そもそも彼女は走っていないのだ。

 目の見えない彼女が雨でぬかるんだ道を駆けることなど不可能。そこでザナリに抱きかかえられたまま運ばれていた。


「ねえザナリ、本当に平気なの? 私、重くない?」

「お嬢なんざ何人持ってもバテねえさ」

「そう。……だとしてもこんな、赤ちゃんみたいに抱っこされるなんて……」


 ザナリの背には弓がある。必然、ライラのことは前に抱えるしかない。


「気にすんなって!」


 歯を見せて気丈に笑うザナリだったが、汗の量からみても決して楽ではないと分かる。それでも彼女は軽口かるくちを叩く。


「麻袋いっぱいに芋が詰まってる方がまだ重いぜ」

「い、芋……」


 頬を引きつらせるライラ。嬉しいような嬉しくないような喩えだった。


「それよか口閉じてな! 舌を噛んでも知らねえぞ」

「むぐ」


 ライラはおとなしく唇を真一文字まいちもんじに結ぶ。それを確かめて、ザナリは一段と脚に力を込めて走りつづける。


「なあ、やつの足音ひとつ聴こえてこないぜ? ディルクスのやつ、ひょっとしたらマジでやり遂げちまったのかもしれんな」

「だと良いんですが──……っ! 止まって!」


 前方の違和感に急停止する。ライラを抱えたザナリも踏ん張って足を止めた。


「っ……弱ったな。これじゃあ通れない」

「しゃあねえさ。予想はしてただろ」


 三人の前の道は、土砂崩れによって塞がれていた。原因は明らかに先ほどの豪雨だ。

 ザナリが左右を見比べる。


「左手は岩ばっかの登り道で、右手は……こりゃ滑り落ちそうな斜面だこと」

「どうします? 岩を登って進めないことも──……」



 その時、ひとつの遠吠えが山じゅうに響いた。



 野太く、長く、怒りをたたえた咆哮。夜空を震わせる叫声きょうせいは二度、三度と繰り返し頭上を駆け抜けていき、込められた殺意がざわざわと木の葉を不気味に揺らす。


 誰もが息を殺して耳を傾ける。

 狼の吠える声ではない。

 猿でも、熊でも、狐でもなく。


「邪人だッ! 生きてやがったッ!」


 ザナリが叫ぶ。その声を皮切りにして、土砂に塞がれた道に背を向けて走りはじめる。道案内するべく先頭を駆け、あとから追ってくるザナリへと声を投げる。


「引き返しましょう! 岩を登ってるあいだに攻撃なんてされたらどうしようもない!」

「ちょいちょいちょい! 遠吠えの方へ走ってねえかこれ!」

「来た道を少し戻るだけです! 荒い獣道がありますから! 遠回りにはなってしまいますが……村まで行って馬に乗れたらこっちのもんです!」

「おっしゃ! お嬢はいざとなったら魔法をぶっ放してくれ!」

「任せて。丸焼きにしてやるわ」


 周囲に目を配らせながら山道を駆けていく。敵影は視認できない。

「ライラ、〈魔眼〉で邪人の姿は見えるか?」


 魔法を使う邪人は魔力に満ちている。つまり、ライラにとっては容易に視認できる。

 通常であれば夜の闇に紛れられてしまうと目視での発見は難しくなるが、初めから魔力しか見ることのできないライラにとっては闇など関係ない。

 つまりライラは最も優秀な見張り役。なのだが。


「見当たらないわ。幸か不幸かね」

「ありがとう! 先を急ごう」


 一行は荒い獣道へ入り、夜の山を走った。走って、走って、走って、走る。


 ぬかるみを踏みつけて泥にまみれた。

 枝に顔を打たれて、こめかみを切った。

 褐色の狩人ほど恵まれた体躯たいくをしていないために、下り坂の山道では何度も転んだ。それでも体勢を立て直し、歩を進める。一歩一歩、乗り越えていく。


「ザナリさん、なるべく離れないで! もう日が暮れ始めてる! 見失ったら合流は厳しい!」

「分かってるッ!」


 山の木々に遮られて星明かりはほとんど届かない。

 恐ろしい夜道だ。

 影の魔法を使う邪人に追われているいま、闇に囲まれるのは息が詰まるほど苦しい。いつどこから邪人が現れるとも知れない恐怖が、全方向から襲ってくる。


 ミストラでも止められなかった。

 ディルクスの規格外の魔法でも仕留められなかった。

 そんな化け物が闇夜に紛れて攻めてくるかもしれない極限状態は、しかし、驚くほど何事もなく過ぎていき。


 山のふもとが近づきはじめたころ、黙って走りつづけていたザナリが、肩で息をしながら疑問を口にする。


「……なァ、変じゃねえか」

「なにがです?」


 振り返らずに答える。


「追っ手の気配が無さすぎねえか。影を伝って現れたっておかしくないころだぜ」

「まだ見つかってないんじゃないですか。運よく」

「そうだと良いけどよ……ヤな予感がするぜ。山が異変を訴えてこねぇんだ」

「異変ですか」

「おう、獣が慌てて逃げてくるとか、そーゆーやつだよ」


 言われて、ディルクスと二人で見つけた熊の巣穴を思い出す。あの巣は空だった。熊が邪人の出現を感じ取って、住処すみかを捨てて逃げたのではと言ったのは自分だ。確かにあれも山の異変の一つだった。


 それと同じようなことがいまは感じられないとザナリは言っているのだ。確かに、先ほどの遠吠えがあったにしては山が静かすぎる。自分たちの荒い息しか耳にしていない。


「おい、あれ!」


 ザナリの声で我に返る。

 彼女の声の示す先。山のふもとに、身を寄せ合う集落が目に飛び込んでくる。

 村だ。数日前に発った村が見える。あとひとっ走りで辿りつけそうなところまで来ていたことへの達成感がこみ上げ──同時に胸騒ぎがする。


 いつもなら日が沈んだ村は暗く静まり返る、のだが。


「なんで、あんな」


 明るいんだ。

 遠くに見える村は橙色に灯っていて。

 ザナリが答えを口にする。


「……燃えてやがる」



 村から火の手があがっていた。

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