第12話 〈勇者の剣〉

 食べ終えた串焼きの串を焚き火に放り込むと、パキパキと音を立てて燃える。ライラは火を眺めながら話しはじめる。


「〈勇者の剣〉はね、なの」


 ライラの言葉に耳を疑った。


「なにを言ってるんだ? 〈勇者の剣〉だって言うんだから、杖じゃなくて剣だろう」

「からかってないわ。


 ますます意味が分からなくなる言い回しだった。

 ライラは「はじめから説明しましょう」と、洞窟の天井を眺めて考えるそぶりをみせる。


「そうねえ……あなた、魔法を操るのに必要なものはなんだと思う?」


〈魔眼〉の少女の問いかけを、腰を浮かせて遮る。


「待ってくれ、俺は〈勇者の剣〉について知りたいだけで、魔法の授業をしてくれなんて言ったつもりは」

「邪人とやらは魔法を使うんでしょ」

「それはそうだが」

「獲物について知っておいたほうが準備ができる。それこそが……」

「……真の狩人、か?」


 腰をドカッと下ろしてライラに向き直る。


「聞いてくれる気になったかしら」

「すまない、頼む」


 ライラはもう一度言うわね、と先ほどの言葉を繰り返す。


「魔法を操るのに必要なものはなんだと思う?」

「ええと、呪文とか? 君も傷を治すときに唱えてくれただろう」

「惜しい。けど、もっと根本的なものがあるの──魔力よ」

「魔力……」

「そう、あらゆる生物の体内に流れる力の源のこと。もちろんどれだけの魔力が流れているかは個人差があるけれどね」


 背が高いとか低いとか、痩せているとか肥えているとかそういう違いよ、とライラは言う。


「その点、あなたは魔法の素質があると言えるわね」


 意外な言葉に面くらう。

「俺が魔法を? 冗談だろう」


「いいえ。あなたは魔力の扱い方を知らないだけ」

「扱い?」

「呪文──つまり言霊ことだまよ」


 ライラは自らの金属製の杖を取り出す。


「魔法っていうのはね、術者自身がどんな魔法を使おうと思っているのか、はっきりと思い浮かべる必要があるの」

「思い浮かべるって……空を飛びたい、とかそういうことか?」

「あなた空を飛びたいの? 可愛いお願いね」


 くすくすと笑われてしまい、なんだか恥ずかしくなったので鼻を鳴らして不服を示す。


「あなたが一匹の獣を仕留めたとしましょう。たとえばそうね、まるまるふとった兎とか」


 先ほどの串焼きを思い出す。


「運の悪いことに火口ほくちは湿気で役に立たないのに、どこかの狩人は早く食べさせろと文句を言ってくる」


 ちらりとザナリの方を向く。へくしょん、とくしゃみをしていた。


「……言われたのか?」

「もしもの話よ。あなたが魔法を使えるとしたらどうする?」

「そりゃ、火を熾してやりたいが……」

「って考えるでしょ? それこそが、術者じゅつしゃ自身がどんな魔法を使おうとしているのか思い浮かべる、ってことよ」

「ええと……?」


 腕を組んで考える。


「火をおこしたいと思ったときに火が欲しいと言えば火が出てくる……ってことか?」

「そうなるわね」

「それって、火! って言うだけだとダメなのか?」

「良いことに気が付いたわね」


 ライラが杖を焚き火に向ける。


「呪文はあくまで、術者の想像を具体的にするためのもの。だからこんな風に──!」


 焚き火がボワッと強く燃えあがる。だが一瞬だった。すぐに元の大きさに戻る。


「見ての通り、曖昧な言葉でも魔法は発動できる。でも」


 ライラは再び杖を向け。


「安定しないのよ、こんな風に」


 先ほどと同じく「!」と唱えるも、先ほどよりも小さく炎が膨らんだだけだった。


「ふだんの生活の中で魔法を使うなら大して困らないけれど、実戦だと困るでしょ?」

「そう、なのか?」

「考えてみて。火力が安定しないとなると、間違えて仲間を焼いてしまったり、敵を倒せなかったりするでしょう」


 なるほど確かに、とうなずく。


「だから呪文が発明された。誰にでも、より具体的に、より安定して魔法が使えるようにって。もちろん学派によって詠唱えいしょうが違うなんて当たり前のことだし、上級者ともなれば逆に詠唱をしない方が状況に合わせて魔法の威力を変えられる、なんてこともあるんだけどね」

「はー……考えられてるんだな」


 感心のため息と共にそう呟く。

 とにかく、とライラは咳払いをした。口早くちばやに語ってしまったのが恥ずかしかったようで。


「これであなたも魔法が使えるわ」

「えっ」

「魔力を持ってて、呪文があれば扱いやすいことも知った。あとはやってみるだけね」

「俺が……魔法を?」


 心臓が期待と緊張で高鳴る。

 もしかしたら魔法が使えるかもしれない。

 そうすれば二人の役に立てるかもしれない。


「教えてくれ、どうすれば魔法が使えるんだ?」

「慌てないの。ほら、手を火に向けて。そう、指は開いて。さっきの光景を想い浮かべるの。魔法に必要なのは魔力、それから想像力だから」

「そ、想像……わかった……」

「狩ってきた兎をさばいて、みんなで火を囲んで温かいご飯を食べるの。そしたら私のあとに続いて唱えて」


 言われるままに焚き火に手を伸ばす。


ほむらの神よ、踊れ、弾け、万象ばんしょうを照らせ──〈発火〉」

「えと……ほむらの神よ……」


 いっぺんには憶えきれず、ライラが支えるように唱えてくれる。


「踊れ、弾け」

ほむらの神よ、踊れ、弾け……ええと……」「万象ばんしょうを照らせ」「……万象ばんしょうを照らせ」


 たどたどしい詠唱ののち。

 手のひらの前で小さく火花が散り。


「──〈発火〉」


 火の玉が生まれた。


「おおっ……!」


 しかし。

 大きさは羽虫ほど。それが不安定にゆらゆらと燃えているだけで、あまり魔法を使っている感じはせず。


「えっ、ちっさ……」


 呟いた瞬間、パチッと音を立てて火の玉は消えてしまった。


「落ち込むことないわ。誰しも初めはそんなものよ」


 ライラがいつになく明るい声で褒めてくれる。


「でも、君の炎はもっと大きくて、美しかったじゃないか」

「う、美しいってあなたね……」ライラは口ごもり、「そ、そもそも練度が違うのよ、練度が。私は〈魔眼〉として生まれてきてからずっと魔力を見て育ってきたし、魔法だって教わらなくても使えたもの。それと比べて落ち込むことはないわ」


 それより、とライラは指を立てる。


「初心者のうちは自分の魔法に対して負の感情を口にするのはあまり良くないわ」

「へ?」

「小さい、って言ったでしょう。それが”呪文”の役割を果たしてしまうの。火の玉が消えたのはそのせいね」

「あ……」


 つまり、小さいと思ったがゆえに火は小さくなってしまったらしい。


「呪文──言霊ことだまの力というのはそれだけ強力だし、魔法はそれだけ難しいってこと」

「む……」

「そんないかめしい顔をしないの。先人たちは偉大なのよ? そんな初心者のためのを思いついたんだから、そう──杖よ」

「魔法の杖、ってやつか?」

「そう。ただ、”杖”といっても素材も形も自由よ。木の枝や、私のみたいに金属の棒、それから動物の角とかもあるわ。変わったところでは……そうね、ディルクスの使ってた聖十架せいじゅうかなんかも杖だわ」

聖十架せいじゅうかが”杖”なのか?」

「形は何でもいいって言ったでしょう。大事なのは、魔法を想像するための支えになれるかどうかなのよ」

「じゃあ……俺も杖を持っていれば魔法が上手く使えるのかな」


 焚き火にくべられた枝を一本拾って、杖のように構える。


「そうね。でも、木の枝はあんまり火の魔法とは相性が良くないわ」

「相性?」

「簡単に言えば木は燃えやすい。……でしょう?」

「え? ああ、うん」

「だからよ」

「えっ」


 説明になっていない説明に驚く。


「魔法には魔力と想像力が必要って言ったでしょう。じゃあ木の枝が〈発火〉の魔法に強いって想像できる?」

「あ……」

「つまりそういうこと。もし無理に魔法を使おうとしたら──」


 ライラは手探りで枝を拾って〈発火〉の魔法を発動した、すると。

 枝は爆ぜてしまった。先端が二つに裂けている。


「わっ」


 ライラは粉々になった枝を焚き火に放り込む。


「──こんな風に壊れてしまう。だから、私は金属の杖を使ってるってわけ」

「金属なら簡単には燃えない、から」


 それなら、と腰に括った短刀を抜き放つ。


「この短刀さ、小さいころに父さんから譲ってもらったものなんだ。これも”杖”になるってことか?」

「いいじゃない。ずっと使ってたなら魔力の馴染みも悪くなさそうね」

「魔力の馴染み?」

「ええ。普段から魔力を浴びていたなら、伝導率でんどうりつも高いはず──ええと、触媒しょくばいとしては申し分ないんじゃないかしら。きっと魔法も発動しやすいわ」


 試してみなさいと発破をかけられ、短刀の切っ先を焚き火に向ける。ライラの助けを借りながら再び呪文の詠唱をしていく。


「ええと……ほむらの神よ、踊れ……弾け、万象ばんしょうを照らせ──〈発火〉」


 ぽうっと、火の球が生まれる。短刀の切っ先をチロチロと照らしている。どんぐりほどの大きさだ。麦の粒ていどだった先ほどよりははっきりと存在を感じられる。

 火の玉は弱々しくも、たしかに燃えていた。


「それが”杖”の力よ」

「なるほど──ん?」


 何か引っかかる。

 自分はいま短刀を杖として扱った。その響き、ついさっき聞いたばかりのような……。


「あっ!」

「ふふん、気付いた?」

「もしかして〈勇者の剣〉を杖って言ってたのは、そういうことか?」

「理解が早いじゃない」


 ライラはなぜだか誇らしげに言う。


「〈勇者の剣〉は剣であり、魔法の杖でもあり──いわゆる魔剣よ」


 それも史上最高のね、とライラは言う。


「なんせ、たった一振りで戦争を終わらせたっていう逸話が残っているんだから」


 ディルクスが〈勇者の剣〉について凄まじい武器だと語ってくれたことを思い出す。


 ふと、疑問が湧いた。


「それだけ強いなら、それを使って邪人を倒せないのか?」

「悪くない、というか一度は考えたわ。でも却下したの」

「どうして?」

「もし壊してしまったら取り返しがつかない」

「え? 壊れるだなんてそんなわけ──」


 言いかけて、「あ」と間の抜けた声を発する。

 木の枝は炎の魔法で爆ぜてしまった。

 そして北部大平原で戦う勇者アステラは強大な〈斬撃〉の魔法を使い、何本もの魔剣を犠牲にしながら邪族を倒していると聞いた。


「気付いたかしら。たしかに〈勇者の剣〉は規格外の性能を誇るわ、でも」

「壊れたら、元も子もない」

「そう。ただでさえ古くて劣化してるんじゃないかって言われてるの」

「……それ、勇者アステラに渡したらすぐ壊れちゃうんじゃないか?」

「だとしたらなおのこと、私たちはなるべく無傷の状態で戦場に届けなきゃいけない」


 でしょう? とライラ。


「そうだな。ちゃんと無事に届けよう。そしたら……」

「勇者アステラが北部大平原の邪族を退しりぞけてくれる」

「……失敗できないな」

「そう。私たちはね、失敗するわけにはいかないの。大勢の人がこの任務に力を貸してくれたんだから」


 ディルクスも言っていた。

 はじめ、〈勇者の剣〉は現存するのかすら定かではなかったと。

 それから調査を重ねて、在り処を突き止めて、ようやく祠から持ち出すことができた。

 先の見えない任務だっただろう。闇の中を進んでいるような心地だっただろう。


 ミストラとディルクスの顔が思い浮かび、託された〈勇者の剣〉に触れる。

 彼らの果たせなかった想いの結晶だ。

 ライラが〈勇者の剣〉を指して『私たちの命よりも重い』と評したその意味が、いまなら少しは分かる気がした。


「君は仲間想いなんだな」

「べつに。普通よ。ほら、分かったら休んでおきましょ」


 ライラは背を向けて丸まるようにして横たわる。

 それに倣ってうずくまる。

 が、どうしても気になることが一つだけ脳裏をかすめる。忘れて休もうとするも、喉につかえた魚の小骨のように頭の片隅に残ったままなので、思い切って尋ねることにする。


「なあ、さっきのさ」ライラの背に語りかける。「作戦を変えようって言いだしたとき。あっただろ」


 ザナリが自分一人を犠牲にする作戦を進めようとしたのを止めた時だ。

 ライラがもぞもぞと振り返る。


「それがなによ」

「俺の勘違いかもしれないけど──ザナリさんを一人にさせないようにしたのか」


 引っ掛かっていたのは、ライラの『あなた、ザナリに死んでほしくないの?』という言葉。

 はじめは突き放したような言い方に聞こえた。だが彼女の仲間に対する静かで熱い思いを聞いた後では、別の意味にしか思えない。

 つまり、簡単なことだ。


「君もザナリさんに死んでほしくないんだろう」


 ライラはぷいと顔を逸らす。


「…………作戦を変えたのは、影の魔法で移動されたら困るっていう、魔法使いとしての合理的な判断よ。それ以上でもそれ以下でもない」


 早口にそう言い切ると、ふん、とライラは鼻を鳴らす。一見すると不機嫌そうにみえる態度。

 しかし、そろそろ彼女なりの感情表現が判ってきた。

 照れくさいのだろう。


「仲間が大事ならそう言えばいいのに」

「いや、私は……」


 もごもごと口の中で言葉を転がすライラ。しかしどれもハッキリと形になることはなく。


「……雑談はおしまいよ。ほら、休みましょ」


 唇を尖らせてライラは言った。

 その横顔はどこか優しげだった。



 ぱらぱら鳴っていた雨音がいよいよ収まったころ。

 ザナリが策をまとめあげ、皆で準備を整えた。三人で逃げるように山を下りはじめる。

 日は傾き始め、空の端から闇夜が迫りくる。




 その闇のなか動き出す、別の影がひとつ──

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