第11話 真の狩人

「ここでお別れって……どういうことです」

「まんまの意味だよ。雨が上がったらあたしは邪人とやらが死んだかどうか、確かめに行く。だからここでお別れさ。ライラ、あとは任せた」

「……いいのね、ザナリ」


 ライラは唇の先だけで呟く。


「故郷のお兄さんには──」

「いいんだライラ」


 褐色の狩人は首を横に振る。ライラはひと呼吸おいて頷く。


「〈勇者の剣〉は私たちに任せて。なんとしても届ける」

「うぃ、信じてるぜ」ザナリは軽そうな口調で言う。「あぁ、そうだ。あたしの携帯食も渡しておくよ。へいお嬢、腹が減ってもすぐに全部は食うんじゃないぞぉ」

「わかってるわよ。いつまで子ども扱いするの?」


 二人はいっそ和やかに話を進める。その雰囲気に流され、ついそのまま受け入れてしまいそうになり、けれど、ハッとした。


「ちょ、ちょっと待ってください!」

「なんだよボウズ」

「どうして邪人の元に向かおうとしてるんです? 自分から近づくことなんてない、むしろ逃げるべきです! 生きてるか死んでるかも分からないのに!」

「だからだよ」


 ザナリは至って冷静に言う。


「生きてるか死んでるか分からないから、あたしが行くんだ。狩人は獲物を仕留められたか確かめるもんだぜ」

「でも、もし……」


 言い淀み、つっかえながらも尋ねる。


「邪人が生きていたらどうするんですか」


 ザナリはおかしなことを聞くなと肩をすくめて。


「迎え撃つさ。こいつでな」


 背負った弓を指し示す。

 あくまで狩人として出来るだけのことをすると言わんばかりに。


「……でも、もしかしたら」


 死んでしまうかもしれないのに。

 その言葉は遮られる。ザナリに肩を掴まれたのだ。


「あんた優しいね。あたしら、まだ出会って四日だよ?」

「もう四日です」

「くっくっ、ずいぶん気に入られたもんだ、ねえライラ」


 ザナリが上機嫌で話しかけると、目隠しをした少女は「お人好し」と鼻を鳴らす。心なしか満足げな響きで。それをみてザナリは肩を組んで耳打ちしてくる。


「お嬢を薄情者はくじょうもんだなんて責めないでやってくれよ? あたしたちは、ただ、あたしたちがすべきことをまっとうしようってだけなんだ」

「すべきことをまっとう、ですか」

「そうだ。人にはそれぞれすべきことがある。部族の族長も言ってたぜ、『南の魚は南を泳ぐ。北の鳥は北を飛ぶ』ってな」

「どういう意味です、それ」

「あたしたちが生きる理由は、自分にしかできないことをするためだ、って意味だな」


 つまり自分一人に任せろ。

 ザナリはそう言っているのだ。


「……村長に聞いたことがありますよ。世界じゅうの海を巡って泳ぐ魚がいるって。それに、北の鳥が西に東に飛ぶのだって、別に無いわけじゃない!」

「ずいぶん突っかかるじゃねえの。そらァ、あたしだってウマいたとえだとは思わんけども」

「だって、そんな……ザナリさんにしかできないことだから、独りきりでまっとうしようっていうんですか?」

「そうだ」

「なら俺だって行きます! この山ならザナリさんより詳しい! これだって、俺にしか全うできないことでしょう!」

「ああ、確かにあんたのがこの山には詳しい。あたし一人じゃ安全に下山はできないさ」

「なら!」

「だがな、狩りに詳しいのはあたしの方だ。あんたは考えたか? もし邪人が手負いで生きてたとしたら、狩りをすることになるんだ。そん時に、初心者に毛が生えた程度のあんたをかばいながらあたしに弓を引けってのかい? そいつはイカした提案じゃないか」


 突き放す言葉に詰まる。

 きっと、わざとだ。


 ザナリはあえて強い言葉で距離を取って一人で背負いこもうとしているのだと、ただの道案内にすぎない身でも感じ取れる。

 彼女は囮になるつもりだ。滅茶苦茶なことを言ってでも自分がその役目を引き受けようとしている。


「それによぉ、あんたがあたしに付いて来ちまったら、お嬢は──ライラはどうする」

「う……」

「どうやって麓まで行けばいい? あの子の目じゃ、普通のものはなんにも見えないんだぜ」


 ライラのしている真っ黒な目隠しを指差して言った。


「あんたの気持ちは嬉しいよ。でも、あたしにしか出来ないことがあるように、あんたにしか出来ないことがあるだろう。そいつをするんだ」


 褐色の狩人は、勇ましい目つきをほんの少し和らげて微笑む。


「あんたのその腕輪、そう、薬草で編まれた素敵なやつさ。そいつは妹が祈りを込めて渡してくれたもんだろう?」


 手元に視線を落とす。メノウが『兄ちゃんは誕生日だから』とくれた薬草の腕輪。

 雨に濡れ、擦れて、泥が付いて、色褪せて、それでもしがみつくように腕に巻きついている、大切な腕輪。


「妹が帰りを待っているんだろう。それなら兄ちゃんは帰ってやらなきゃな」

「それは……」

「さぁて、そろそろ雨がやむころかぁー?」


 ザナリは組んでいた肩をパッと離すと洞窟の入り口へと歩いていってしまう。背中が遠ざかるのを見ていることしか出来ない。自分では、彼女の覚悟を崩せない。自分では──


「ねえ、あなた」


 声をかけられて振り向く。ライラだ。


「あなた、ザナリに死んでほしくないの?」

「当たり前だろう。君は違うのか!」


 ライラはなにも言い返さなかった。

 何も言い返さず、俯いてひとり納得したように呟く。


「……そう、そうね。そうよね」


 ただ、なにかを決意したかのように語気には力強さが宿っていく。

 その言葉の意味を尋ねようとして。

 ぱんっ、とライラが手を叩いた。


「よし、やっぱり作戦は変えましょう」

「へ?」

「ねえあなた、邪人は水底から急に現れたって言ってたわよね」

「え、あ、ああ。そうだが……」

「ザナリ、いまの聞こえたかしら。やっぱりあなたを一人で行かせるわけにはいかないわ」


 ライラの呼びかけにザナリが足を止めて振り返る。


「おいおい、お嬢までワガママか? ガキじゃねえんだろ」

「あら、ただのワガママじゃないわ」

「どーゆーことだよ」

「もし邪人が生きてたら──私たち全滅かもしれない」

「あん?」ザナリは聞き捨てならないといった顔をして近づいてきて「そうならねえように、あたしがやつの元へ向かおうとしてるんだろ」

「それをすり抜けられたら?」

「……? どういうことだよ」

「邪人は──かもしれない」


 ライラの言葉にハッとする。

 確かに一度目の襲撃では音もなく現れ、二度目の襲撃に至っては深さの無いはずのせせらぎ……否、暗い水底から現れた。普通では考えられない事態。


 となると、魔法による移動だと考えるのは自然だ。

 そう伝えるとライラは頷く。


「でも、いかに魔法といえど万能じゃない。もしなんでもできるなら、この洞窟の暗闇から現れて、今ここで私たちを殺せるはず。でしょう? そうじゃないってことは、なにか条件がある。ただ、その条件は、いまは分からない……」


 ザナリの表情が険しくなる。


「そりゃ、話が変わってくるぜ」

「でしょう。あなたが邪人を追ってるあいだに影の魔法で逃げられたら……」

「……あたしを無視して、〈勇者の剣〉を運ぶあんたら二人を襲うかもしれない、ってことか」


 ザナリが唇を尖らせる。


「影の魔法か。普通の獲物なら逃がさない自信はあるけどよ。影伝いにちょこまかされちゃあ、ちと分が悪いぜ」

「もちろん考えすぎかもしれない。ザナリに邪人の相手を任せて、私たちだけ急ぎ足で山を下りる方が結果的には上手くいく可能性だって充分にあるわ。でも」

「最悪の状況を考えたら、そりゃあ博打バクチってもんだわな」


 二人はポンポンと話を進めていく。とても合理的で、冷静な判断だ。けれど。


「それだけじゃないです」


 ライラとザナリの話し合いに割り込むように声を差し挟む。


「俺はミストラさんとディルクスさんに送り出されてここにいます、だからこそ」


 ザナリを真っ直ぐに見つめ。


「これ以上、誰かが死ににいくのを見送りたくはない」


 言い終えると、ザナリは手をひらひらと降って。


「分かったわかった。三人で行動しよう」

「っ……はいっ!」

「ただし! まとまってた方が安全そうだからであって、もし条件が変わったらすぐに別行動だからなっ」

「はいっ!」

「ちぇ、ホントに分かってんのかぁ?」


 ザナリが調子くるうぜと呟く。

 雨足は弱まりつつあった。



 ザナリは洞窟の入り口から引き返して焚き火の側へと戻ってきた。


「まずは安全な道を探して……ああ、襲われたときの作戦と布陣も考えておきたいな。罠を仕掛けるか? いや、けど痕跡を残すのは悪手か? 足止めさえできりゃあいいんだが……矢の残りから考えると毒が欲しいな。くそっ、持ってくりゃよかった……いや、待てよ。ひょっとして……」


 ザナリはぶつぶつと計画を練り始める。


「あの、ザナリさん。俺もなにか手伝ったりとか」

「ちと待ってくれ、考えをまとめる。あんたは腹ごしらえでもしときな」

「え、でも」

「いいから。逃げ遅れた間抜けな兎を仕留めておいたんだ。食わないとこの先キツイぜ」

「は、はい」


 再び独り言で考えを呟き始めるザナリ。

 大柄な体格で腕組みをして考えている姿を離れて眺めていると、ライラに声をかけられる。彼女が肉の刺さった串を差し出してくるので受け取る。感謝を告げて食事にありついた。


「ザナリが頭脳派で驚いた?」

「そんなことは──……いや、うん、少しだけ意外かも」


 彼女は初めて会ったときから豪快で、野性的で、どちらかというと体を動かすことを優先しそうに見える。しかし実際の彼女は違っていた。


「狩りの計画を練るのはお兄さんの影響だそうよ」

「ザナリさんの?」

「そ。故郷のね」


 ライラは焚き火に枝をくべる。彼女の横顔は橙色の明かりに優しく照らされていた。


「お兄さんはザナリよりも小柄なのに、彼女より狩りが上手いんですって」

「へえ……」


 褐色の狩人について知っていることは少ない。思わぬ情報に、耳を傾ける。


「恵まれた体格でなんとかできてしまうザナリは、弓も、罠も、獣の誘導も、なにもかも未熟なまま狩りを続けていたらしくてね。そんなのは狩人じゃないってお兄さんに叱られても、獲物を捕って黙らせてきたんだって」

「はは、目に浮かぶようだ」

「でもそんなある日。彼女の無計画な狩りのせいでお兄さんが怪我を負ってしまった」


 手負いの熊を考えなしに追い立てて、集落の近くまで来させてしまったそうだ。そこで立ち上がったのが彼女の兄で。


「結局、お兄さんは片腕と引き換えに熊を仕留めた。その日から、ザナリは真の狩人になることを決めたそうよ」

「真の狩人……」

「ほら、ザナリったら髪とか耳たぶに骨とか木とかをぶら下げているでしょう」

「あ、ああ。ああいうお洒落もある、よな?」


 自分には理解はしがたいが、という意味を込めて言うとライラがくすりと笑った。


「獲物を追い立てるときには音を鳴らすんですって。手を塞がずとも音を出せるから便利だ、って。他の狩人たちと連携して、事前に考えた通りの場所に獲物を追いこんで仕留めるための、伝統的な狩りのための装飾品なの」

「……考えたこともなかった。たんに、部族の飾り物かとばかり」


 ライラはふふん、と上機嫌で言う。


「ザナリは準備を覚えて、常に考えるようになり、体も心を鍛えて。そしてようやく真の狩人として人々に認められるようになったそうよ。だから、そんな彼女が一緒に下山してくれることを選んでくれたなら、その方がより勝算があると考えたんでしょ。私はそれを信じる」


 目隠しで隠れていてもわかる、確信に満ちた目をしていると。


「私たちには〈勇者の剣〉を戦場の最前線に届けるっていう使命があるの。届けなくちゃいけないの、なんとしても」


 ライラは〈勇者の剣〉を手に取ると、差し出してくる。


「絶対に手放さないで。これは私たちの命よりも重いんだから」


 黙って受け取る。

 誰かに渡されるたびに、〈勇者の剣〉は重みを増していくみたいだった。責任や思い入れといった、目には見えない質量だ。


「……それじゃ、頼んだわよ」


 それきりライラは膝を抱えて丸まってしまった。体力を温存するつもりなのだ。彼女に倣って自分も仮眠の一つでも取るべきなんだろう。

 だが。

 彼女の言い方に引っかかりを覚えた。


「なあ、〈勇者の剣〉ってのはなんなんだ?」


 返事はない。


「これが大事な剣だってのはなんとなく分かったよ。でも、ミストラさんが、ディルクスさんが命を懸けた。ザナリさんだって同じ道を選ぼうとした。そこまでする価値のあるものなのか? 俺にはこの剣が、そこまでの代物しろものには思えない」


 ずっと心のどこかで引っかかっていたことだった。強い使命感でもって彼らは動いていて、自分もその大きな流れに呑まれるようにしてここまで行動を共にしている。


 けれど、本当に命懸けでも届けなければいけないのか?

 その価値があるのか?

 これを届けて何かが変わるのか?


 手のひらの中の、やけに装飾の少ない〈勇者の剣〉をじっと見つめる。刃渡りだって大したことはない。自分にはなにが凄いのか、わからない。

 長くて短い沈黙ののち。


「……そうね。あなたにも知っておいてもらおうかしら」


 ライラは振り返って言う。


「〈勇者の剣〉の正体を」

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