三章 星は驟雨のあとに降る

第10話 合流

 足に力をめて、走る。


「はァっ、はァっ……」


 疲れが溜まっていくが、それでも走る。

 降りしきる雨と汗とが混じり合う。体の内側が燃えるように熱く、肌の表面は凍えるように冷たくなっていた。ぐっしょりと濡れた服は重みを増している。不快だった。

 だが、走る。


 息が切れても、降り始めた雨で足場が悪くても、前に進む。

『ミストラ隊長に託された言葉を、君へと贈ろう────”頼んだぞ”』

 ディルクスの言葉がまだ耳の奥に残っている。


 頼まれても、邪族と戦うような実力はない。狐だってまともに狩れやしないし、逃げ切れるような自慢の足があるわけでもない。本来なら出る幕ではない。それでも。


「はッ……はッ……はぁっ……!」


 託された。託されてしまった。

 ただの道案内にすぎないのに〈勇者の剣〉を任されてしまった。

 

 腰に括った〈勇者の剣〉の確かな重みが、足を動かす動力だった。


「っ……! げほッ、ごほッ!」


 肺が悲鳴を上げても足は止めない。

 さきほど一度だけ後ろを振り返った。

 背後からの轟音と閃光、遅れて押し寄せる突風に、つい。


 遠目に見えたのは、山肌に屹立した光の柱と、天空を割って現れた”何者か”の巨大な手、そして輝く槌。降り注ぐひとすじの雷霆らいてい

 ディルクスの魔法だということはすぐに見当がついた。


 後ろ髪をぐいと引っ張られる思いだ。だがそれでも二度と振り返らずに走りつづける。時間を稼いでくれているうちに少しでも遠くへ行くために。

〈勇者の剣〉を、邪族とのいくさの最前線へと運ぶために。

 だから立ち止まっている暇など──……

 雨粒が一滴、瞳を打った。


「っ!」


 反射的にまぶたが閉じる。

 急に狭まる視界。動転しておろそかになる足運び。雨でぬかるんだ地面。

 走っていた足は止められず。


 当然のように山道やまみちに倒れ込んでしまう。

 体を起こすと生温かいものが額を伝ってくる。雨ではない。触れると分かる、もっと粘りけがあった。手のひらを見ると真っ赤な血がべっとりとついていて。


「あ……うぁ……」


 頭が痛い。

 意識がすうっと遠のくのを感じる。

 血の温かさに触れてようやく、体の芯が冷え始めていることに気付く。気付いたら、突如として震えが襲ってくる。


 どれだけ雨に打たれた?

 どれだけ体温を奪われた?


 このままじゃあ、彼女たちと落ち合うどころか、ここで死んでしまうかもしれない。

 ライラの予言が頭をかすめる。死の運命にあると彼女は言っていた。


 まぶたが鈍く閉じていく。雨が一粒落ちてくるたび、血と混ざりあい、地面へと流れてゆく。絶え間なく、絶え間なく、絶え間なく血が、体温が大地に吸い取られていく。


 せせらぎの音がやけに大きく聞こえる。流れに沿って進めば、いずれは村に辿たどりつくというのに。川の本流に辿たどりつけばライラたちにも会えるかもしれないというのに。

 立ち上がれない。


 ここで死ぬのかと、ぼんやりした脳が答えを出して。

 妹のメノウの顔が脳裏に浮かんで、暗闇に消え。


「ちょっと!」


 尖った声に意識が引き戻される。聞き覚えのある声だ。


「あなた、ちょっと! 聞こえてるなら返事しなさいよ!」


 幼さの混じる少女の声、それから。


「ダメだお嬢。動かしたら危ない。このまま〈治癒〉の魔法で出血を止めないと」


 低くて力強い、女性の声もする。

 やがて温かな光に包まれるような感覚と共に、意識はゆっくり霧散した。




 目を覚ますと暗がりだった。

 天井の岩肌は重たく沈黙している。体を起こすと、こぢんまりとした洞穴ほらあなに寝かされているのだとわかった。


「気が付いた?」

 声の方を向くと、ほど近くに焚き火を囲うライラとザナリがいた。


 真っ白な肌に黒い目隠しをした魔法使いの少女、ライラ。

 そして褐色の肌をした狩人の女性、ザナリ。

 ずいぶんと懐かしく感じる顔ぶれだった。彼女たちに手招かれるまま焚き火に身を寄せる。


「俺、いったいどうして……」

「ぶっ倒れてたから運んできたのよ。半日も寝たきりで……ついに死んじゃうのかと……」


 ライラが消え入りそうな声で「ばか」と言った。

 ついに、と言われたことで、自らが死の予言をされていたことを思い出し、それでも彼女が自分を助けようとしてくれたのだと理解して。


「……えっと、ごめん。ありがとう」


 ふん、と鼻を鳴らすとライラはそっぽを向いてしまう。

 と、そこで聞き捨てならない言葉に気付く。


「半日? 半日って言った? 待ってくれ、俺が寝てるあいだにそんなに経ったのか!」


 青ざめた顔でライラへ詰め寄る。


「気にすんな」答えはザナリから返ってくる「どのみち、ほれ、あのザマだ」


 ザナリがあごで指し示した洞窟の先。雨がと降っていた。


「井戸をひっくり返したみたいな雨たぁ、このことだな。ま、あたしらの匂いも流れてちょうどいいってことよ。だから気にせず休んでな」


 狩人らしい視点でザナリが言う。


「そうだったんですね。……ッてえ!」


 ホッとしたのも束の間、額を押さえる。ズキリと痛んだのだ。


「ばかね、安静にしてなさいよ。体に障るわよ」

「あ、ああ……すまない」


 額をさする。だが。


「あれ?」


 不思議と血が手につくことはない。そもそも傷自体が無かった。雨に濡れているのは不快だがそれだけだ。思えば体の震えもない。体温もいくらか戻ってきているようで。

 ライラがぶっきらぼうに言う。


「私が〈治癒〉の魔法を使ったの」


 文句ある? と、膝を抱え込むようにして座るライラが睨みつけてくる。


「まさか。〈治癒〉の魔法は僧侶にしか使えないと思っていたから、驚いただけだよ。すごいんだな、君は」

「べつに」

 教わっただけよ、とライラは小さく呟く。


 突き放すようでいて寂しそうな言い方に首を傾げる。

「ともあれ、二人が無事でよかった」


 ザナリが肩をすくめる。

「そっちこそ、よく〈勇者の剣〉を持ってきてくれた」

「っ! そうだ、剣は──」


 腰の革帯かわおびに触れるも、そこには何もなく。

 まさかどこかで落としたか?

 血の気が引いていく。顔が青ざめていくのを感じる。


「ちょいちょい、安心しなよ」


 ザナリは落ち着かせるように優しく言う。


「あんたを寝かせるのに邪魔だから外しただけだって」


 彼女が掲げた手の中には〈勇者の剣〉があった。


「無事だぜ、こいつは」


 ホッと胸を撫でおろす。

 自分はただの道案内だが、ミストラの想いが、ディルクスの想いが無駄にはなっていないことを確かめられると安堵する。彼女たち特殊部隊の面々と協力し合えば、より確実に、前線で待つ勇者へ届けられ──……

 そこでおかしなことに気付いて辺りを見回した。


「他の騎士様たちは……?」


 ザナリが首を横に振る。


「二手に分かれた直後、次々に落馬していったんだ。不自然なほど順番に。急いで助けに戻ったんだが、どういうわけかな」

「……っ! あの邪人か……!」

「あん? どーゆーことだよ」


 ザナリに問われ、順を追って話していく。

 邪族──否、邪人が魔法を使ったこと。ミストラも同じように鎧の内側から腹を刺されていたことを伝える。そしてどこからか突然現れたことも。


「どうもおかしいと思ったが、魔法か。ちくしょうめ」


 ザナリは悔しそうに呟く。


「……騎士のやつらには俺たちは置いて先にいけと頼まれたのさ。ライラは簡単な治療しかできないし、あたしの持ってる軟膏なんこうなんかじゃ、とてもじゃないが手に負えない。それで仕方なく、ね」

「どうして騎士のかたばかり……」

「戦力となりそうな人間だったからなのか、あるいは他の理由か。いずれにせよ、人外の考えることは分からん、後回しさ」


 ザナリは肩をすくめる。


「それよか馬が逃げちまった。邪人とやらに怯えちまったのか、とにかくまあ、散々だったぜ」

「そう……だったんですね」

「でも、あんたと合流できたのは運が良かった。お嬢の手柄さ」

「ライラの?」

「〈魔眼〉であんたを見つけたんだ」


 目隠しをしたライラの横顔を眺める。

 魔力の流れを見ることができる、と言っていたことを思い出した。


「ディルクスの魔法が目印になってくれたおかげで、おおよその位置が判ったからね。あんたも見たろ、あの巨大な光の柱に、雷の大槌おおづちを」


 確かに見た。

 それを目印にして方向を定めて走ってきたところだったとザナリは語った。


「一目見て判ったよ。ありゃ、あいつがずっと話してた〈神判〉の魔法だってね」


 相槌を打とうとして。


「ねえ」


 ライラが遮るように問いかけてくる。


「二人はなんて言ってた?」

「え?」

「あなたが〈勇者の剣〉と……それから、これを持っていたってことは、、なんでしょ」


 ライラは首飾りを取り出した。元はミストラが持っていたものだ。

〈勇者の剣〉と同じように。


「それで団長とディルクスは……二人はなんて言ってたの」

 ドクンと心臓が跳ねる。

 彼女は多くは尋ねなかった。この場所に二人の姿がないことから、既におおよそ察しているのだろう。だから、多くを語る必要はない。ただ、最後に聞いた言葉だけは届けなくちゃいけない気がして。


「二人は俺に……””って」


 ライラは「そう」とだけ零した。

 それだけ言うと首飾りを放って寄越してきたので、慌てて受け取る。


「あなたが持っていて」

「いいのか?」


 俺は隊員じゃないし、と言いかけたところでライラが首を横に振る。


「〈勇者の剣〉を届けるのは誰だってかまわない。それに”頼んだ”って言われたんでしょ」


 ぐっと手に力がこもる。首飾りの冷たい感触が手のひらに突き刺さる。


「……三人で山を降りましょう。なんとしても」


 もうこれ以上誰も欠けて欲しくない。その想いを共有したくて、もちろんだと返してほしくて発した言葉は、しかし。


「あたしはここでお別れだ。山は二人で下りな」


 褐色の狩人はさっぱりと覚悟の決まった顔で言った。


 心臓が、ぐにりと締め付けられた。

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