第8話 明朝に影ありて

 夢の中にあった意識が覚醒していく。遠くで響いた破壊の音、それから咆哮によって。

 ディルクスたちは体を起こした。


「休息はここまでか」

「ええ、ですね」


 二人は荷物をまとめる。もちろん〈勇者の剣〉を腰に括りつけるのも忘れない。


「どうやら君の案はうまくいったようだな」


 背嚢はいのうを担いで拠点の外へ出る。辺りはまだ暗い。明け方までもう少しといった時間で。

 音のした方を見つめる。


「ちゃんと明かりに……私の〈光壁〉に釣られたらしい」


 二人は邪族をあざむいていた。

 昨晩、ディルクスが防護のためにと張った〈光壁〉の魔法の明るさが闇夜では目立つという話になった。

 だが、一匹の蛾が吸い寄せられたのを見て、逆手に取る作戦を取ったのだ。


 まず拠点にするつもりだった熊の巣穴に外から〈光壁〉を張る。見つけさせるために。それから夜の山を歩き、拠点として使える場所まで移動。

 昨晩、火を囲んでいたのは洞穴ほらあなだった。


 結果は上々。

 邪族・ヴァルガを騙すことに成功していた。


「単純な策だが効果的だったな。君はなかなかに機転が利く」

「このまま振り切れればいいんですけどね」

「ふっ」


 ディルクスが笑った。どこに笑うところがあっただろうかと不安になる。


「な、なにか?」

「褒めたつもりだったのだが、君がさも当たり前のように流すものだから、つい。だがまあ、そうだな。楽観もできまい。やつの声のした方角からすると──」


 ディルクスは聖十架せいじゅうかを握り締めて、音の鳴る方へ目を向ける。


「──まだあの巣穴からさほど離れてはいなさそうだ」

「安全とは言い切れませんね。鼻のいい獣ならすぐに追ってくる距離です」

「昨夜の捻挫ねんざはどうだ? 治っているかい」


 ディルクスの視線が足元に落ちてくる。


「そうですね……」


 屈伸して、その場で飛び跳ねてみせた。


「問題ないかと」

「なら急ごう」


 洞穴を背にして歩きだす。背嚢はいのうから取り出した地図を、広げてディルクスへと見せた。未明の山林は薄暗かったため、ディルクスは小さく〈光壁〉の魔法を展開し、灯りの代わりとして地図を照らしてくれる。


「村へ戻りつつ、ザナリさんたちと合流できる道を選びましょう」

「アテがあるのか?」

「川沿いを下っていこうかと」


 地図を指差して、水の流れをなぞっていく。


「ほう? なぜだい」

「彼女たちも昨夜は休息をとったでしょう。しかも俺たちほど邪族の影におびえなくていい。となれば、野営のできる水場にいてもおかしくはないかと」


 向こうにはまだ馬がいるかもしれませんし、と付け加える。


「なるほど、考えたな」


 褒められるとどうにも照れくさい。しかし考えたことを認められるのは嬉しくもあり、もごもごとディルクスへ礼を言った。


「連絡が取れれば楽なんですけどね」

狼煙のろしをあげるわけにはいかないしな。邪族にも位置がバレてしまう」

「どのみち、これだけ背の高い木が生えていては見つけてもらえるかどうか」

「視界が通らないってのはままならないな」


 おまけに体が冷えて仕方ない、とディルクスは肌をさする。


「日が射しこみませんからね。明るくなるまではまだ時間がかかるかと。でも、視界が確保できてしまっては敵にも有利ということ」


 進めるうちに進みましょう。どちらからともなく頷き合うと、ふたりは一度も振り返らず山道を進む。なるべく見つからないようにと、地図を照らしていた〈光壁〉は消すことに二人で決めた。暗くてもさほど問題はない。山の道は頭に入っている。迷わずにディルクスを導いた。


 しばらく草木を分けて歩いていると、小腹も減り始めたころ、ザァザザァと音がしてきた。耳をそばだて、音のする方へと近づいていく。


「ディルクスさん、あれ」


 茂みを抜けたさき、小さな川が姿を現した。

 せせらぎに足を止めて辺りを見わたす。


「ザナリたちの姿はない、か」

「ここで合流できたらよかったんですけどね」


 褐色肌の狩人も、目隠しをした魔法使いも見当たらない。そう都合よく見つからないかと気落ちしそうになるが、ディルクスに肩を叩かれる。


「なに、いまに見つかるさ。神が試練をお与えくださっただけだ、そう思おう」


 その言葉に胸が少し軽くなる。


「水を汲んだらすぐ行きましょう」


 背嚢はいのうから水袋みずぶくろを取り出して川の流れに浸す。空っぽの容器は空気を吐き出して水を呑み込んでいく。水面は暁闇ぎょうあんを吸って黒く、自分の影が揺れている。


「では、私も口をすすぐか」

 ディルクスは身を屈めると、手でせせらぎをすくい、口へと運ぶ。


「綺麗好き……なんですね?」

「はは、そうじゃないさ。昨晩、肉を口にしただろう。血肉は不浄とされているからな、清めておきたいのだ」ディルクスは自嘲気味に呟く。「私は戒律を破った破戒僧ではあるがな、教えを捨てたつもりはないのだよ」


 神が私を見捨てた可能性はあるかもしれないがね、と僧侶は笑った。


「えっ、すみません、俺が干し肉を渡してしまったばかりに」

「いやいや。謝らないでくれ。むしろ気を悪くさせたら申し訳ない。生き延びるためには仕方のないことだと理解して、食べることを選んだのは私だ。だから君は悪くない。そのうえで、私は私の信ずる教えに従っているだけさ」


 だからこうして罪をそそいでいる、と水を口に含み、吐き出す。

 水面に映るディルクスの影が揺らいで。



 どぷん、と音を立てて



 ディルクスの顔の目の前。

 邪族──否、いまや『邪人』を名乗るヴァルガの顔だ。泥炭色でいたんしょくの頭が水中の影から現れ、ぎょろりとした双眸そうぼうでディルクスを見つめ。


「よぉ、逢いたかったゼぇ」


 ニタリとわらう。

 なぜ、どこから、どうして、どうやって。

 あらゆる疑問が僧侶の脳裏を巡り、しかし全てを捨て去って叫ぶ。


「神よ、我らを護りたまえ──〈光壁〉!」


 聖十架せいじゅうかを突き出し、悪夢よ去れと言わんばかりの気迫で、ヴァルガの鼻先に光の障壁を叩きつける。


「ぁデっ!」


 ヴァルガがうめく。顔が水面下に消えていく──かと思われたが、その影は魚のように川の流れを泳いでいく。〈光壁〉の明かりから逃れるように素早く川下へと移動したかと思うと、影は川魚かわうおのように水飛沫を上げて跳ねた。

 水面を割って飛び出した影は大きく膨らんでいき、ヴァルガの形を成した。


「ヴァルガ様のイカした登場を遮るたァ、どーゆーつもりダ! アァ?」


 せせらぎの真ん中で、ヴァルガは腰に手を当てて偉そうに踏ん反りかえる。

 盛り上がった筋肉、腰に括った湾曲刀わんきょくとう。灰色の肌に、邪族とも人間ともつかない顔だち。

 不遜ふそんな笑みが浮かべられていて。


 見上げるほどの上背うわぜいに二人の足がすくむ。ディルクスは身体の震えを悟らせまいと聖十架せいじゅうかを強く握りこんだ。


「よく喋るな。人間の真似事か?」

「はッ、真似じゃねェよ。オレ様こそが、邪族とニンゲンを超えた高みに立つ真の強者──『邪人』ダぜ」


 憶えとケ、とヴァルガはわらう。

 大言壮語たいげんそうご……ともいえない。ディルクスの見立てではもっと時間が稼げるはずだったのに、なんらかの方法──おそらくは魔法によって、すぐに追いつかれてしまったのだ。

 恐るべき脅威なのは間違いなかった。


「なおのこと会いたくなかったな。お引き取り願おうか」

「冷たいじゃねえノ。オレはオマエラに用があってこうして会いに来てやったってのニ」

「用だと?」

「アァ、教えてくれると助かるんだガな」


 ヴァルガは困ったように湾曲刀わんきょくとうつかを撫でまわす。


「〈勇者の剣〉はどこダ」

「なに?」

「そっちのガキ、お前の持ってるやつか? それとも坊主、オマエが隠し持ってるのか?」


 ヴァルガは〈勇者の剣〉がどんな見た目をしているのかを知らなかった。


「いやァ、騎士のヤロウに聞いとけば良かったンだけどヨォ、聞きそびれちまったンだわ、ついぶっ殺しちまっテ」


 ヴァルガがニタリとわらう。


「安心しろっテ、今度は片方だけは生かしてやるかラよ」

「っ……!」「貴様っ……!」

「死にてぇ方が前に出ナ。そしたらもう片方は殺さないでやル」


 薄明はくめいのなかでヴァルガが牙を見せる。

 その気迫にふたりは一歩も動けなかった。

 だが、沈黙を破ったのは僧侶ディルクスの方で。

 聖十架せいじゅうかをきつく握り締めて勇気を振り絞り、前に出る。


「神よ、我らをあらゆる苦難よりまもりたまえ──〈六面りくめん光壁こうへき〉!」


 光の壁がヴァルガを取り囲むようにあらわれていく。猛獣が檻の中へと閉じ込められるように、邪人はあっけなく魔法の障壁に囚われた。

 ディルクスが振り向いてきて言う。


「君は下がっていなさい」


 黙ってコクコクと頷く。道案内の身に出来ることはない。

 ディルクスは邪人へと向き直る。


「お前の相手は私だ、邪人」

「んダと?」


 ヴァルガは自らを取り囲む壁にペタペタと触れ──おもむろに殴りつける。轟音を立てて光の壁が振動する。ビリビリと震えて大きくたわむ。

 が、それだけだった。邪人を捕らえる〈光壁〉にはヒビひとつ入らない。

 ディルクスは振り返らずに言う。


「これの相手は私に任せてくれ。先ほどの現れ方で確信した。こいつ、影の魔法を使うんだ」

「邪族が魔法を……?」

「そういう個体もいる。ましてこいつは人間を超えたと豪語し……ミストラ隊長をも倒した。なぁ、どうなんだ。使えるんだろう」


 普通に考えれば無駄な質問だ。今まさに敵対している相手に自らの手の内を晒すような間抜けはそういない。

 しかしディルクスは試した。


 生殺与奪を握ったかのような発言をする傲慢なヴァルガの態度を見て、この邪人という生物は人間を嘗めていると感じた。ゆえに、『格下』には隙を見せるのではないかという推測。その推測は果たして──

 ヴァルガが拍手する。


「ご名答ォ、やるじゃん!」


 ディルクスは内心でほくそ笑みながら答える。


「ミストラ隊長が違和感に気付いてくれたおかげさ」

「あン?」

「はじめからおかしかったんだ。私たちが過去の文献を調べ、各地を調べ、ようやく見つけた〈勇者の剣〉の封印されたほこら──そこにお前が都合よく現れたという事実が」


 ディルクスは聖十架を突きつける。


「邪族は元よりあのほこらを知っていたのかとも思った、だが、この地で邪族を見たことはないと村人の彼が言うのだから、それもおかしい。だろう?」


 いきなり話を振られて、ビクッと肩をすくませる。


「その通りです……邪族なんて、俺には遠い地の話です。村長だって見たことは無いはずだ」

「となると、私たちは尾行されていたと考えるのが自然だろう。だが、どうやって? なあ邪族、お前のその巨体で隠れられるとは思えんな」


 見上げる大きさの邪族は黙って笑う。


「おかしな点はまだある。ミストラ隊長の負った傷だ。鎧の表面にはへこみすら無かったというのに、内側で守られていた肉体だけは傷を付けられていた」


 ディルクスは一息に言い切る。


「お前の魔法だな」

「ギッギッギ、そうダよ」


 ヴァルガは己の足元をつま先で踏みしめる。せせらぎが水しぶきをあげた。自らの手の内を見破られたというのにどこか満足げな口調。


「オレ様は影に潜み、影を移動できる魔法を持って生まれてキた」


 足元の薄い影へとつま先が沈み込んでいく。


「影がねえ場所はねえダろ。光があれば影が生まレる。鎧で身を守ろうとすればするほど、内側の闇は濃くナる。濃い影ほどオレ様に有利にナる。オレ様の影に剣をぶっ刺せバ、目標の影からオレ様の剣が現れル……っつーワケ」

「ミストラ隊長に傷を負わせたのもその能力か」

「便利ダろ? 潜伏にだって使えるまさに無敵の能力──そう思ってたんだガな」


 ヴァルガは心底嬉しそうに手を叩いた。


「やるじゃん、片耳のオマエ。褒めてやルよ」

「……じつに嬉しいね」

「顔が笑ってねェな、素直に受け取レよ。困ってんだゼ? こうもピッカピカに光られちゃア、オレの影も薄まっちまウ」


 ヴァルガは己の影に沈ませていたつま先を引っこ抜く。


「こンなうっすい影じゃあ、潜れナい。影の濃度が足りねェンだ。いやァ! オモシロくなって来たじゃねェノ!」

「悪いが楽しいことは何も起こらない。お前にはここで死んでもらうからな」


 へェ、とヴァルガはわらう。


「分かんねぇナー。その自信とこの魔法がありャ、あの騎士サマは無駄死むだじにすることはなかったんじゃねェの?」

「黙れ、邪族が」

「邪人だっツーの。もしかしてアイツに死んでほしかったノか?」

「そんなわけあるかッ!」


 ディルクスはすがるように聖典を抱きしめる。


「……私は僧侶であって戦士じゃない」

「ア?」

咄嗟とっさに魔法を使うための心構えなど、無いに等しい」


 ディルクスが戦闘に参加したことは何度もある。だがそのどれもが敵の姿が見えている状況で準備を行い、ミストラが指示を飛ばしたうえでの、言わば『安全な戦闘』だった。


〈光壁〉の発動はさほど難しくない。対象を視界にとらえ呪文を唱えるだけ。心構えさえあれば容易く行使できる魔法だ。

 だがディルクスには、追っ手が迫る緊迫感のなかで魔法を行使した経験はない。

 彼は戦士ではなく、僧侶だった。


「あの時、〈光壁〉を──神の奇跡を行使していればと、悔やんでいないわけが無いだろう。邪族、お前に言われずとも!」

「ンだよ、戦士じゃねえっつーわりにいい顔すんじゃン──かッ!」


 ヴァルガは湾曲刀わんきょくとうつかを握ると、柄頭つかがしらを〈光壁〉へとめいっぱい叩きつけた。


「なっ……!」


 一体何を、とディルクスは言いたくなる。

 結果は先ほどと同じだ。〈光壁〉はビクともしない。だがヴァルガはそんなことお構いなしとばかりに息継ぐ間もなく柄頭つかがしらで殴りつける。


「まだまだァ! こっからッ! 面白くッ! なってくるんだヨなァ!」


 一度の殴打おうだではビクともしなかった〈光壁〉が、乱打を喰らい、にわかかにひび割れる。大粒の雨が次々と岩を穿つように、ヴァルガ渾身の連撃が〈光壁〉を襲う。


「振りかぶっテ! 斬りつけられるほどッ! 広くねェからさァ! そしたらッ!」ヴァルガは口角をギチギチと吊り上げて、たのしそうに湾曲刀わんきょくとうを振るい「こうやっテ! 硬ェもんでぶん殴った方がッ! 効くだろッ! なァッ!」


 バキン、と金属の割れるような音がして。


「ッッしャああぁ!」


 ついに〈光壁〉が砕け散る。

 と同時。


「神よ、我らを護りたまえ──〈光壁〉」


 ディルクスは冷静に神の奇跡を再び行使した。輝く障壁が新たに形成され、邪人の行く手を阻む。


「んっがッ!? ずりぃぞテメエ!」

「言っただろう、お前の相手は私だと」

「テメエ、オレ様と我慢比べでもするつもりカ? 正気かヨ」

「私はずっと正気さ。それに」


 ディルクスは不敵に笑ってみせる。


「私がいつ我慢比べをすると?」

「へっ、くだらねえウソだナ! オレ様ァ、ニンゲンにはちと詳しイが」ヴァルガは得意気にわらって「僧侶が攻撃魔法を使うなんて聞いたこともねーゼ? 頑張ってオレ様を足止めしたところで最後にゃ魔力が尽きテ──……」


 ヴァルガの目が、何かに気付いたように見開かれ、それからキュッと細められる。意地の悪い笑みを浮かべてニタニタと見てくる。


「はァん、なるほど。さては」


〈光壁〉に顔をビタリと貼りつけてヴァルガがほくそ笑む。


「片耳ハゲ、オマエ死ぬつもりだナ?」


 禿頭とくとうの僧侶は微動だにしない。

 だが彼の黙する背が、邪人の言葉を肯定していた。


「ディ、ディルクスさん……? 嘘、ですよね……?」


 下がっていろと言われたのも忘れて一歩前に出てしまう。


「こうするより他に手はない。君も分かるだろう」

「そんな、でも、会いたい人がいるって……言ってたじゃないですか……」

「いいんだ」


 ディルクスは後悔の色などすこしも滲ませずに言う。


「頼む、とミストラ隊長に言われてしまったからな」

「でも!」

「いいんだ」


 言い聞かせるように言うディルクスの声は穏やかだった。


「私は破戒僧。戒律を破った罪人だ」

「……罪人だから、ここであのバケモノに殺されてもいいって言うんですか」


 忌々しいとばかりに〈光壁〉に封じられたヴァルガを睨みつける。

 邪人は何も言わないでニタニタと行く末を眺めてくるだけ。それが余計に不気味だ。

 ディルクスは「いいんだ」とまた呟く。


「私は君ほど強くない。もしも私が村人だったなら、恐ろしくて逃げてしまっただろう。狩人でも、魔法使いでも、戦士だったとしても、私なら逃げだしたくなる。だが」


 意は決したとばかりにディルクスは振り向かずに言う。


「私は僧侶だ。天上の神に恥じないように生きて、死ぬと決めている。初めて僧侶になった日から、そう生きると決めた。そして、そうしてきた」


 だから、君は一人で行きなさい。

 ディルクスは襟元をまさぐると首飾りを取り出す。


「あ……」


 羅勒草の香りを纏わせて現れたそれは、かつてはミストラの胸元で朱く輝いていた、暁の騎士団の証。


「私からも、ミストラ隊長に託された言葉を、君へと贈ろう」


 僧侶は振り向きもせず、首飾りを真横につきだす。


「──””」


 受け取れと、そのまま進めと言っているのだ。だが足が動かない。ディルクスを置いていくのがどういう意味なのか、理解していたから。

 そんな迷いの時間すら惜しいとばかりに僧侶は叫ぶ。


「妹に会うんだろう! 行け! 早く!」


 メノウの顔がふっと浮かんだ。

 大切な妹。必ず生きて戻ると誓った妹。

『兄妹の間で嘘はナシだよ』

 病に侵されながらも気丈に振る舞う、唯一の家族の顔を思い浮かべ。


「っ……!」


 走り出した。

 ひったくるように首飾りを受け取り、走り出した。一晩休んだおかげか両脚には力がみなぎっている。

 羅勒草らろくそうの香りを振り切るように、薄明の薄暗い森を必死に駆けて、駆けて、駆けて。




 僧侶ディルクスを見たのはそれが最後となった。

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