第6話-② 奇襲、花落つ〈下〉

 山道を駆けて、駆ける。


「ついてきてくださいっ! ここからしばらく狭い道です!」


 夕闇ゆうやみのなかを脇目もふらずに走るものだから、木の枝が何度も顔を打ち付けた。小さな傷が頬にできて血が流れる。それでも足は止めない。止められない。

 握り締めた〈勇者の剣〉を手放さぬように懸命に走る。

 後方からついてくる片耳の僧侶へ向けて疑問をぶつける。


「ディルクスさんっ、なんなんですかあれは! きた勇者ゆうしゃアステラはあんなものと戦っているんですかっ?」

「ちがうっ! これまで邪族を見たことはないのかっ!」

「ないですよ! こんな辺境の山にはいませんからっ!」


 叫ぶ体力が惜しいことなど頭では分かっている。だが、恐怖を発散することを互いの脳が求めていた。

 そうしなくては正気を保てない。

 そうしなくては足がすくむ。


 皮肉なことに──

 愚かにも思える怒鳴り合いのおかげで、逃げる足は止まらずに済んでいた。


「ど、どうするんですっ、これからっ」

「逃げるんだ、遠くまでっ……」ディルクスは荒い呼吸の隙間で叫ぶ。「逃げるべきなんだ! あいつは明らかに雑兵とは違う。ふつう、邪族は人語を操れないんだ!」

「えっ、じゃあ、あれはっ、どうやってっ」

「私が訊きたいくらいさ! それにあの邪族……やけに小柄だっ」

「どこがです! ミストラさんより頭一つは大きかった!」

「ちがうんだ! 普通のヤツならミストラ隊長の倍は背丈があるんだっ」

「ひっ、そ、そんな大きいんですか?」


 喉の奥が締め付けられた。


「それにやつらは刃物なんて使わないっ」

「は? え?」

「邪族ってのは巨体にかまけて、辺りの木や岩を振りまわすていどなのさ!」

「……野蛮人なんですか?」

「ああそうさ! やつらにはそれで充分だからな! ほとんどの生物をそれだけでなぶり殺せる! 人間と争う前は棍棒すら必要なかったと聞く!」


 僧侶ディルクスは恐れに声を震わせる。


「やつら、んだ。そうしなくても生存競争で勝ち抜けてしまうから。だから道具など滅多に作らない。鍛冶かじなんて文化、存在しないはずなんだ!」

「そんな、じゃあ、あの湾曲刀わんきょくとうはなんですっ?」

「私にも分からない! ……分からないが……おそらくは人間から奪ったものじゃなかろうか」


 人間以上の体格を持つ邪族が、人語を操り、人間の武器を振るっている。

 手負いのミストラが引き受けたのはそんなバケモノだ。勝てるかどうかは分からない。いつあの邪族が追いかけてくるかも分からない。


 進む先は暗い。月明かりは木々に遮られてわずかにあたりを白く染めるばかりで。


「ミストラさんっ……!」


 無事を祈りながら、夜の山道を走った。




   * * *




 ミストラはびていた剣を抜き放つ。

 目の前の邪族はすぐには追撃ついげきしてこない。距離を取ってニタニタと笑っている。


「さぁ、どうした。私はまだ戦えるぞ?」


 気丈きじょうに振る舞うが体調は最悪だった。左腕は斬られたばかりだし、失った血を取り戻すことはできないし、疲労を拭うこともできない。ないない尽くし。


 だがミストラは己の思考を後ろ向きにはしない。

 怯えは敗北を、恐れは死を運ぶ。戦場に立つ騎士団の長としてそのことをよく理解していた。


 前向きにいこう。まずはなにがあるかを数えていくんだ。

 外していた鎧を着こんでおけた。悪くない。

 右腕がある。

 剣がある。

 ──まだ戦える。


「目的は〈勇者の剣〉か?」


 ミストラは切っ先を邪族へ向けた。

 邪族は「ギッギッギ」と不敵にわらう。湾曲刀わんきょくとうの背で、肩をトントンと叩く。


「ったりめーダろ、寝ぼけてンのか。オレはそいつを貰うためにこーンな山奥に来させられたんダよ」

「小間使いか? まだ若造だろう、邪族」

「邪族、じゃあねえ」

「なんだと?」

「オレにはっつー名前があるんダ。間違えるナ」


 ミストラは顔には出さずに驚いた。

 邪族に名乗られたのは初めてだった。長く騎士として邪族と戦ってきて、人語を話す強敵と相対したことは何度かある。だが、わざわざ”個”として主張をされたことはない。たいていが短い単語を……殺意をぶつけてくる程度のもの。


 それに比べてヴァルガは、口こそ悪いが会話として成立している。一方的に言葉をぶつけることと、こちらの言葉を拾い上げて訂正しようとするのとでは、コミュニケーションとしての難易度は後者の方が高い。

 それだけ邪族の中でも特異な個体ということか。


 ミストラは驚くに留まらず、それを受け入れ、覚悟を決める。

 どうやらここが死に場所らしい。

 あとは幾ばくかの時間を稼げれば儲けものだ。


〈勇者の剣〉は託せた。それから『暁の騎士団』の首飾りも。アステラからの通信は彼らが受けられる。それに、首飾りがあれば彼らの身元を保証してくれるだろう。


「ヴァルガ、といったか? ずいぶん堂に入った話し方じゃないか。人語はどこで覚えた」

「あー……ニンゲン、ツカマエタ。オレタチ、コトバオボエタ。わかル?」


 わざとらしいカタコトの口調で邪族はおどける。からかわれているのだと、ミストラにも分かる。自然と眉間のシワが深くなった。


下衆げすめ」

「おーおー、騎士様から見りゃ、そうかもナ」

「騎士様……か。身分を理解しているな。私たちの文化も学習済みというわけか? 蛮族でも学びの大切さは知っているらしいな」

「”教本”は捕まえてくりゃいいンでね」


 人攫ひとさらいを誇らしげに語る邪族。

 ミストラは険しい顔をして剣に魔力を込めていく。


「……どうやら品性までは学べなかったらしい──な!」


 言い終わるや否やミストラは剣を振り抜き、〈斬撃〉の魔法を放つ。

 ミストラは名の知れた騎士だ。甥である勇者アステラほどではないが、それでも、伊達だて酔狂すいきょうで騎士団長をしているわけではない。王家に伝わる〈斬撃〉魔法を駆使して数多の戦場で邪族を薙ぎ払ってきた。

 そんな男の放つ一撃。


 魔力が、翼を広げた大鷲おおわしの形を成して飛翔していく。

 轟音を立てて夕闇が揺れた。

 あたりの木々はすっぱりと切断されてゆっくりと倒れる。木の葉がばさばさと音を立てて舞い落ちては、夕日の茜色に影を散らした。

 だが。


「よっ、ット」


 ヴァルガは無傷だった。


「なに……?」


 ミストラは眉をひそめる。ヴァルガは受け止めたわけでも、避けたわけでもない。


「貴様──いま、”落ちてきた”な?」

「おォ、こんだけ暗いなかでよく見てルな」


 ギッギッとヴァルガは嗤う。だがミストラにしてみれば笑いどころではなかった。

 問題は”落ちてきた”という点だ。


 斬撃の余波や、舞う木の葉に紛れて分かりづらかったものの、確かにヴァルガは上から落下してきた。

 ということは、普通に考えれば飛び上がったということになる。しかし。


辻褄つじつまが合わんな」

「あァ? なにがダ」

「もしや目にもとまらぬ速さで飛び上がったのでは、と初めは思った。だが、それでは説明が付かない。貴様は早すぎたんだ、落ちてくるのが」


 ミストラは刃を立てて足元の石ころを切り上げる。

 小石は弾かれるようにして真上に跳ねて、ミストラの目の高さでふわりと動きを止めると、やがて重力に従って落下する。


「このように頂点まで上がるにも時間がかかり、落ちてくるにも時間がかかる。単純に考えて倍だ。いかに素早く飛び跳ねようと、それは同じ。だが貴様は斬撃のあとすぐに落ちてきたな」

「ギヒ、だったらなんだァ?」

「邪族、貴様──」


 ミストラは切っ先をヴァルガへ向ける。


「魔法を使っているな?」

「ギッギッ! ご名答ォ!」

 ヴァルガはたのしそうにわらった。


 反面、ミストラは心が冷え切っていくのを感じる。

 敵う相手ではない。万全の状態でならいざ知らず、腹の傷が癒えきらないうちに、片腕を落としたいまの自分では。

 なら、すこしでも時間を稼ぐ。ミストラはすぐに気持ちを切り替えた。


「貴様は〈勇者の剣〉を狙っているのか」

「オレにぴったりのオモチャだろウ? ずぅーっと、この時を待ってたんだゼ? イイだろ? 似合うだろ! 強者である、オレにさァ!」

「強者? どうかな」

「ア?」


 ヴァルガがすぅっと目を細める。


「なに、勝てるつもりなのかと思ってな。あぁ、私に、ではない。私が逃がした彼らに、だ」


 ミストラが言うと、ヴァルガはギッギッと肩をすくめて喉の奥を鳴らす。


「笑かすなヨ。テメーさえぶっ殺しゃあ、あとはしょぼくれたゴミどもじゃネーか! 大した魔力もねェ、判断力もねェ! 祈るだけしかできねえ坊主と、戦ったことすらねェようなガキが、オレの相手になるダと?」


 勝ち誇ったようにわらうヴァルガ。

 ミストラはその答えにふっと微笑んだ。


「安心したよ。……いやなに、正直に言おう。貴様が人語を話し、刀を振るい、魔力を操る姿には驚愕したよ。いっそ、称賛にすら値するほどの脅威だ」

「……気色ワリーな。なにが言いてェ?」


 ミストラはヴァルガを見つめる。

 腕っぷしに自信があるのだろう。おそらくそれは正しい。一度も負けたことはなく、自分の欲するすべてを自らの手で勝ち取ってきた。そんな自信のある振る舞い。

 己の能力をひけらかす態度からも慢心が見てとれる。

 自分を見せつけるように。一番優れていると誇示するように。


 ──だから一人なのだ、貴様は。


 もし邪族の軍勢を引き連れて山狩りをされていたら我々の任務はここで終わりだった。だが、貴様は一人でここに来た。己のみを信じ、他者の力を信じないからだ。

 なら、まだ我々に勝ち目がある。いくらか安心して逝ける。


 戦場に居ながらにして春の匂いが鼻をかすめた気がした。小さなころ、母から贈られた野の花の、雪解けを超えて紡がれた命の温かな匂いが。

 ミストラは憂いの晴れた顔で慈しむように言う。


「気にするな。所詮は邪族だと思っただけだ」


 その一言でヴァルガの表情が悪鬼あっきのごとく禍々まがまがしくゆがむ。

 怒りがゴポゴポと音を立てているようだった。爆発寸前の、いまにもはち切れんばかりの、溶岩のような怒りが。


「……テメエがオレを虚仮にしてルのは、よォーく、わかったゼ。テメエにゃ特別の一撃をぶちこんでやる」


 ヴァルガは湾曲刀わんきょくとうを大きく上段に構える。叩きつけるための攻撃的な構え。


「できれば頭は残してくれると助かるな。とむらう者が困ってしまう」


 ミストラは穏やかな気持ちでいた。すでに自分が勝てるとは思っていなかった。切り落とされた左腕の断面から流れる血が足元に沼を作っている。体が冷えていくのを感じる。これ以上は少しも剣を振るえる気がしない。


 それでも重心を落とした。攻撃を警戒する構え。最期まで諦めるつもりのないその動きは、もはや武人としての無意識のなせる技だった。

 湾曲刀が、さらに大きく振りかぶられる。


「なァ、ニンゲン。教えてやルよ──」


 振り下ろされる質量。

 だがそれはミストラを捉えずに空振られ、影に包まれた黒々とした地面と叩きつけられる。

 外したのかと思ったのも束の間、ミストラは背後から強烈な衝撃を受ける。

 なぜ後ろから? ただひたすらに夜の森があるだけで、影くらいしかなかったはず。


 ──影?


 薄れゆく意識のなか、衝撃が襲ってきた背面へ目を向けると、信じられない光景を捉える。

 影からヴァルガの湾曲刀が生えていた。

 それの意味するところを理解するよりも前にミストラの意識は、もう──




 ヴァルガは動かなくなった騎士を踏みつけた。


「オレはただの邪族じゃねェ! 邪族を超え、ニンゲンの魔法をも操る! オレは……いや、オレ様はァ──」


 月を見上げて吼える。


「──オレ様は『邪人』・ヴァルガ! ニンゲンも、邪族も超越した存在ダ!」




 * * *




 ミストラは春の匂いに包まれていた。


 野原が広がり、温かい陽ざしが降り注ぐ。ここはどこだと辺りを見わたすと、見知った顔が気ままにくつろいでいる。かつて喪った部下たちがいる。死に別れた戦友がいる。


 よく懐いてくれた甥っ子・アステラの顔を探すが、見当たらない。

 騎士団の面々に肩を叩かれる。

「どうしたんです、団長! 辛気臭い顔をしちゃって」「そーそー、もう良いんですよ、肩肘張らなくって!」「まぁまぁ、座って。酒でも呑みましょうや」


「しかし、日没前の飲酒は団の規律で禁じられていて──」

「うわっ出たよ、高潔ゥ!」「いつもみたいに腹筋します? いよっ、自罰の上体起こし!」「ここまで来たらいいんですって」「さささ、呑みましょうや!」


 団員たちはいつかみた笑顔で口々に言う。


「……エリック、ハロルドにフォルス兄弟まで」

「ね、団長」


 促されて風の心地いい野原に腰かける。手に触れたのは見覚えのある花。母に贈られたあの、小さくも逞しい花。黄色い花びらに交じって、いくつか綿毛のついたのも見えて。


 ──ミストラ。


 懐かしい声が耳を打った気がして。

 顔を上げると、母がいた。去年の冬に看取ったばかりの母がいた。ゆっくりとした動きで、母は隣へ腰掛ける。


 口を開こうとして、団員達に見守られているのに気づく。気恥ずかしいので手を振って追い払うと、蜘蛛の子を散らすように去っていき、それから彼らは遠くの原っぱで集まり直す。

 彼らの開き始めた宴を眺めながら、呟く。


「……母上は厳しい人でしたね」


 母はとぼけたように笑う。


「泣き虫だった私に優しい声をかけてくれたことはありませんでした。ただ、この花を摘んで──」


 ミストラは地面に葉を広げている花に触れ。


「──獅子の名を冠するこの花を私に差し出して、お前も獅子のように強くなりなさいと、そう言いました。私は、強くなりました。肉体を鍛え、剣の腕を鍛え、心を鍛え。……しかし、私は獅子にはなれませんでした。甥のアステラの才覚を前に、自分の本分はそこではないのだと分を弁えました。私は獅子には成れず、ただ、この花と同じくらいしぶとく、ここまでやってきたつもりです」


 母が遠くで楽しげに盃を酌み交わす騎士たちを指さす。

 ミストラはその光景を見て頷く。


「そう……ですね。彼らを率いて、人のためにと奔走し、騎士団の長を務めたことは……私の誇りです。この花──蒲公英たんぽぽのように、次の世代を、遠くへ遠くへと、送りだすことくらいは私にもできたでしょうか」


 母は、さぁ? といった風に肩をすくめて微笑む。


「確かに。私が決めることではないかもしれませんね」


 首飾りを預けた僧侶ディルクスを思い浮かべる。

 それから、まだ若いただのの少年を。


「私が託した〈勇者の剣〉が、信念の灯が、受け継がれて行くことを願うばかりです」


 ミストラは立ち上がると、母へと手を伸ばす。母は子の助けを借りて立ち上がる。共に遠くを見つめて、仲間たちが手を振る方へと歩いていく。

 やがて二人は光に包まれて。




 暁の騎士団・団長ミストラは、そうして命を全うした。


 命を、全うした。

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