第7話 ナーニャ・ピックルス

 おどろいた理由がとびきり可愛いってだけだったら、どんなによかったか。


 二つめの理由のせいで、ぼくは腰を抜かしてしまった。


 その子の腰から下に、大きなクモがくっついていたんだ。


 まるで人魚みたいに、半分だけ、クモだった。ぼくがつかんだうでは、クモの足だったんだ。


「まあまあ、そんなにおどろかないでよ」


 女の子はそういってぼくにおしりを向けた。


 彼女のおしりは、クモのふっくらしたおなかの部分と、いっしょになっている。


 黄色い斑点がてんとう虫みたいについていている。つやつやした感じもてんとう虫みたいだ。


「ほら、早くのって。時間ないの」


 ぼくは女の子に言われるがままに、おんぶされた。

 

 助けてもらった身でまた文句を言ってしまうけど、ぼくは虫が苦手なんだ……。一位が毛虫、二位がクモ。いや、口には出さないよ、絶対にね。

 

 でも助けてくれたんだから、きっと家まで送ってくれるんだろう。


 まっ暗な林の中で突然ぬるぬるしたものと、もこもこしたものにおそわれて、ぼくはすっかり気が動転していたもので、何が起こっているのかを、冷静に考えようともしなかった。


 いやあ、普段からそうだろ、なんてサクヤにつっこまれても、否定はできないんだけど。


 おんぶされて運ばれてるわけだけど、ちょうど彼女のおしりの、クモのからだの部分がイスみたいで、予想外にすわり心地はとてもいい。


「それじゃあ、しっかりつかまっててよ」


 女の子は口から白くて細いの(蜘蛛の糸?)をピューッと出すと、どういう仕組みなのか、すごい速さで木のうえを移動しはじめた。


「もしかして、さっきのもこもこねばねばした布団も、君がつくったの?」


「今さら?ええ、そうよ」


「そんな!それじゃあ君は助けてくれたわけじゃないんじゃあないか」


 彼女はくすくす笑うばかりだったので、ぼくはすこし憎らしくなってきた。


 ぼくを捕まえてどうするつもりだろう?でも、ツチノコパニックから救ってくれたわけだし……。いや、でも息が苦しくなるまで縛られたし……」


 うん。怪しい。妖怪だし。

 怖がったほうがいいかも。


 もう、おろしてほしい。


 無理にでも逃げたほうがいいのかな?


 でも、どうやって逃げればいいんだろう。


 彼女は木や屋根に糸でぶら下がって、すごい速さで移動している。

 

 高速道路を走っている車から飛び降りるようなものだね、諦めよう。


 それに、こんな林のどまんなかでおろされても、また道に迷っちゃうのがオチだろうし。


「ねえ、これってゆうかい?」

「そうよ、ようかいのゆうかい」


彼女は自分の冗談がツボにハマったらしく、ケラケラと笑いだした。


ぜ、全然おもしろくない。


「ねえ、サクヤがどこにいるか知らない?サクヤを追いかけないといけないんだ」


ぼくは酔いそうになりそうになりながら、一生懸命に声をだした。


「あら、あのかっこいいお友達のことかしら。あの子なら、わたしのペットでおどかしてやったわ」

 

 彼女はまたクスクスと笑いはじめた。


「ペットって、もしかしてあのナマコのこと?」

「ナマコ?なあに、それ。わたしの可愛いツッチーのことをバカにしてるの」


 ぼくを、らんぼうにゆすっておどかす。ぐらっと、バランスがくずれる。あわてて、彼女の肩にしがみついた。


「いいや、まさか」

こんな高いところから落とされるなんてとんでもない!


「もうじき着くわよ」


 着く?着くって、そういえば、今までどこに向かってたんだろう。うしろを振り返ると、さっきまでいた林をちょうど通り過ぎたところだった。下を見ると、親が『スラム街』といって、近よらない場所だった。トタンを五枚たてかけて四角くしたような家がいっぱい建っている。女の子は、その中でもいっそう古い、きみどりと茶色(近くで見たらサビだった)の家にまっすぐ降りていく。


「そういえば、君の名前は?」

「ナーニャよ。ナーニャ・ピックルス。よろしくね、カッパくん」

「カッパくん?僕の名前はカッパなんかじゃないよ」


 ぼくはムキになってそう言いかえしたけれど、ナーニャはくすくすと笑うだけだった。


 そのきみどり色の古ぼけた屋敷の庭は、まるで人気がなかった。僕はさっきまでいた林を思い出しながら、荒れ放題の庭を歩いていった。玄関につくと、ナーニャが鈴を鳴らした。すぐに、やしきの中から、返事がきこえてきた。


「どうぞ」


 ぼくたちが玄関に入ると、お手伝いさんがむかえてくれた。こんなぼろい家なのに、お手伝いさんをやとっているのかなんて、失礼にも、つい思ってしまった。そのお手伝いさんは、昔ながらの着物か浴衣のようなものを着ていた。


 玄関で靴を脱いでいるぼくのよこを、ナーニャがすたすたと通っていく。そうか、ナーニャのクモの足は、くつをはいてなかったんだ。


「そのままでいいですよ」


 お手伝いさんが言った。たしかに、やしきの中をよく見てみると、ところどころ泥がついている。ぼくはくつをはき直した。


 いちばん奥の、大きな部屋まで案内された。後ろを振りかえると、ナーニャは二階に上がろうと、クモの糸をするするとのばして、ぶら下がっているところだった。


 ぼくが部屋に入るのを見おくってから、自分の部屋に戻るつもりらしい。さっきまであんなに元気に笑っていたナーニャが、少し悲しそうにさえ見える顔でほほ笑んで、手をひだりみぎ、って風に二回だけ小さくふった。僕はそれをみたおかげで、ますます心細くなった。


 古風なお手伝いさんが、障子を開けてくれた。その障子は穴だらけだ。しかもその穴は、人さし指でぷすっとやってしまったような形じゃあない。するどくて大きい三角の形で、ざっくりとやられたような穴だった。


 僕はおそるおそる入って、やっぱりおどろいた。ナーニャやナマコ(ツッチ?)の姿を見て、なんとなく予想はついていても、こしを抜かしそうになったくらいだ。こわくて、口がからからにかわく。


「よくきたな」

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