第27話 下落

「雷二郎、来たか。今日はコレ頼む。この前やったようにまとめてみてくれ。」

雷二郎が、いつものように、水曜日に下妻会計事務所を訪れると、所長の下妻が雷二郎に書類を手渡してくる。雷二郎は、それを受け取ると、会計事務所のもう一人の従業員、長峰に声を掛けようとした。だが、長峰は雷二郎の方を見ておらず、仕事の手を休めて、テレビの画面に目をやっていた。


「米大統領選の有力候補バルダー現大統領は、仮想通貨の規制強化の必要性について語り、今後DOTへの登録の義務付けや七千万ドル以上保有者の名簿提出を…。」

雷二郎は視線をテレビから長峰に移し、挨拶をしようとしたのだが、長峰がなかなかこちらを見てくれないので、仕方なく目を合わせる前に声を掛けた。

「長峰さん、ちわっす。」

「ああ…。雷二郎くん…。」

そこで、言葉が途切れる。長峰は依然テレビの画面に集中している。どうも様子がおかしい。雷二郎は、仕事に集中している下妻のところまで戻り、小声で、

「長峰さん、何か様子がおかしくないですか?」

そう下妻に尋ねた。下妻は、ん? と声を上げて、取り組んでいた仕事を止め、長峰に声を掛ける。

「おい、長峰、どうかしたか?」

長峰は、ハッとしたように、

「しょ、所長、すみませんが、少し休憩を頂いてもいいですか?」

「それは構わんが、どうかしたのか?」

「い、いえ。ありがとうございます。」

そう言うと、長峰はスマホを片手に事務所から駆け足で出ていった。下妻と雷二郎は、やや呆気に取られながらそれを見送っていたが、

「今、ニュースで何か重大なやつやってたか?」

と下妻が雷二郎に尋ねる。雷二郎は、さあと答えた後、

「アメリカの大統領選のニュースだったと思います。」

と、一応内容を下妻に伝えた。下妻は一応テレビに視線を送ったが、コアラに似た動物が日本にやって来るとかいう別の内容のニュースだったので、雷二郎に視線を戻した。


 その後、戻ってきた長峰は、普通に仕事をおこなっていた。特に何かが起こることもなく、それぞれが、仕事に集中していると、時刻は夕方の6時を過ぎようとしていた。雷二郎は、いつも、この時間で会計事務所での手伝いを終えることになっている。帰りがけに下妻が、

「そう言えば雷二郎。例のアプリの件はどうなった?」

以前話題にしていたニャンキットのことを尋ねてきた。雷二郎は、無理やり友達紹介させられて、問題になってる学校があることや、実験してみて、自分の紹介した人物や、さらにその下位にあたる人物が紹介をしてもポイントが貯まることを説明した。黙って聞いていた下妻は、雷二郎が話終えると、

「マルチだな…。」

そう呟いた。聞きなれない言葉だったので、雷二郎がマルチという言葉を尋ね返すと、

「ああ、何年かおきに現れる詐欺の手法だ。」

「詐欺!」

「もっとも今回のその連中は、かなり巧妙な手口を使っているな。」

「下妻さん。もう少し詳しく教えてくれないですか?」

下妻は、ああと言って頷くと、

「つまり、友達紹介という言葉をニャンキットの販売員に置き換えてみろ。実際、誰かを誘ってアプリの販売をさせていることになるだろ?」

「確かに。」

「先に販売員になった者を親として、その下の販売員を子供、さらに下の販売員を孫と考えると、下位の販売者が増えれば増えるほど、親の利益が大きくなる仕組みだ。」

「法律的にはクロなんですか?」

「そうなんだが…確実な報酬を約束していないことと、配布するのは、キャラクターで、ポイントもまちまち。そして、何より会社登記が海外…。犯罪だと証明するためのハードルがものすごく高い。しかも少額だしな…。う~ん。」

雷二郎にも何となく下妻の考えていることが理解できる。損をしたという実感がある人が増えたとしても、この程度の金額で警察が動くのか疑問なのだろう。

「それでも、知らないうちに、悪いことに手を貸している形になる。それは間違いないことでしょ?」

「そうだ。この友達紹介のシステムは少額とはいえ、違法な商取引に当たる可能性が高い。特に儲かると示唆したり、強要したりした場合は。」

雷二郎は、腕組みして呟く。

「何とか出来ないでしょうか? 突破口というか…。」

「そうだな…。ただ、海外の会社を装っているが、アプリの感じから、活動の拠点は日本じゃないかな。そこに関しての情報が掴めれば、もしかしたら何らかの手を打てるかもしれない。」


 会計事務所からの帰り道、雷二郎は、何とかして、ニャンキットに手を出す人を失くせないか? ニャンキットの手法が法に触れるものだと証明できないか? そればかり考えていた。大通りに出る頃、ふとポケットに携帯と家の鍵がないことに気付いた。

「そう言えば…。」

先程、トイレで脇にポケットの中の物を置いたことを思い出し、事務所に引き返すことにした。事務所の扉を開けようと思ったとき、中から下妻の珍しく大きな声が聞こえた。

「何をやっているんだ!馬鹿者!」

(下妻さんがこんな汚い言葉を使って怒るなんて、聞いたこと無いな…。)

雷二郎は、扉に手を掛けたまま聞き耳を立てる。このまま室内に入っていいものか、判断が付かなかったからだ。

「すみません…。所長…。」

下妻に叱責されていたのは、長峰のようだ。

「で、いくらなんだ?損失は。」

「取り敢えず、すぐに※追証を入れないと強制決済されて…。」

※追証・・・追加の担保、今回の場合は、まとまった現金。

「だから、いくらなんだ!」

下妻が不機嫌さを隠そうともせずに、長峰に尋ねる。長峰は、弱々しい言葉で、

「350万…。」

「お前、自分がここで働いて、それだけ稼ぐのにどれだけかかるか分かってるのか?何て馬鹿なことを。」

「すみません…。」

弱々しい言葉で、長峰が謝り続けている。

(入りにくいが、鍵も携帯も、事務所に置いておく訳にはいかない。少し気まずいが、やむを得ないな。)

「すみません。ちょっと忘れ物しちゃって…。」

雷二郎がドアを開けて中に入ると、所長の椅子に座っている下妻に対して立ったまま長峰が向かい合って頭を下げている。雷二郎は、トイレに行くと告げて二人の横を通りすぎる。雷二郎が来たせいか、下妻は怒りを沈めた声で、

「二つに一つだ。よく考えて決めろ。俺はギャンブルに手を染める奴の事をよく知っている。敗けを取り戻すための手段を、もう一度ギャンブルに頼る者。これは、ほぼ破滅への一本道だ。だが俺は、お前の親でも、お前本人でもない。」

雷二郎は聞き耳を立てつつも、トイレのドアを開け、鍵とスマホを見つける。

「お前がもし、そちらの道を選ぶのなら、悪いがこの事務所とは縁を切ってもらう。」

長峰は黙って聞いている。トイレの中にあった雷二郎は鍵とスマホをポケットにしまう。

「もう一つは、きっぱりギャンブルから足を洗うことと、正直に回りの者に打ち明けることだ。」

「そ、それは!」

「そうだ。実家の両親にきちんと事情を話して、援助をして貰え、足りない分は、うちが出そう。」

「…。」

雷二郎が、立ち去ろうと二人に軽く会釈をした時に、

「待て!雷二郎。お前もここにいろ。」

「え?」

雷二郎は、さすがに下妻の意図を掴みかね、どう返事をしたものか分からず、言われた通り、そこに立ち止まった。長峰も同様になぜ雷二郎をここに残すのか、疑問の表情を浮かべている。下妻は雷二郎に、

「税理士の顧客の中には、商売の失敗を隠そうとするものや、逆に売り上げを過小に申告しようという者がいる。お前だったら、その人物の嘘をどうやって見抜く?」

「えっ、嘘を…。」

雷二郎は、長峰の方を向く。当然年下の雷二郎に自分の失敗を晒されている長峰はばつが悪く顔を背ける。その様子を見て下妻は、諭すように、

「長峰。さっきも言った通りだ。回りの者に、自分の失敗を打ち明ける事ができない人間は、似たようなことが起こったとき、結局失敗を隠そうとする。多くの者に自分の失敗を正直に話すことは、勇気のいることだが、それが出きる人間だけが、周りから助けて貰える。信用してもらえるんだ。」

まだ、長峰は俯いていて、返事がない。下妻が、もう一度長峰に回答を促す。長峰は顔を上げると、

「所長の言う通りにします。実家にも連絡を取って、」

「今、ここで電話しろ。」

長峰だけでなく、雷二郎も、えっ?という顔をする。普段の下妻からは想像も出来ない厳しさだ。だが、雷二郎は、それが長峰に対して責任を果たそうとする上司の姿なのではないかと、そんなことを思い始めていた。

「分かりました…。」

そう言って、実家に電話をする長峰を下妻はじっと見つめていた。実家の両親もかなり驚きだったのだろう。その電話は、かなり長い時間続いた。やがて、電話を終えると、

「全額両親が出してくれるそうです…。僕は何て事をしてしまったんだ…。」

下妻は、まだ厳しい表情で、

「長峰。もう一つやってもらいたいことがある。雷二郎に仮想通貨の口座を見せて、今回の顛末を詳しく説明してくれ。それから、しばらくの間、毎週雷二郎が来たときに、その口座を見せろ。」

「な、叔父さん。なぜ俺に? そこまでしなくても!」

雷二郎も自分の名前が上がって驚くと同時に、まるで長峰を信用していないかのような下妻の発言に少し苛立ちを覚えた。

「雷二郎、さっき言っただろ、どうやって嘘を見抜くかって…。嘘を見抜く、それはな。実は誰にも出来ない…。」

「…。」

「長峰も雷二郎も覚えていてほしい。事務所を潰さない、働いている従業員を守るということは、相手に毅然と接し、嘘が通用しないと思わせるぐらいじゃないといけない。」

下妻は二人を交互に見た後、

「いいか、人の言葉を信じたいのなら、尚更その信じたい人物に厳しく接しろ。嘘かどうか分からないのなら、証拠を提出させろ。甘く接したせいで、そこに抜け道を与え、その人物を駄目にしてしまう結果を、私は幾度となく見てきた。いや、見ただけではない。実際に自分も失敗してきた。」

下妻は、再び二人を交互に見た後、

「長峰は立ち直れる。だが、ここで同情や安易な優しさは却って仇になる。」

長峰は自分に言い聞かせるように二、三度頷くと雷二郎に、自分のデスクの方へ来るように促した。そして、仮想通貨での取り引きの顛末を分かりやすく説明した。雷二郎も素人ながら、どうして損失が大きくなってしまったのかを尋ねたり、なぜ急に今日相場が暴落したのかを尋ねたりした。。長峰は分かりやすいように※レバレッジや大統領候補の発言による今回の相場の急な下落について説明したほか、正直に、

「不思議だな。自分の失敗を年下の君に話すことにすごく抵抗があったが、改めてこうして説明してみると、自分の技量の足りなさが自覚できるというか、どこで失敗したか、どうすればよかったかが、明確になってくる気がするよ。」

そんな風に自分の気持ちを語った。

※レバレッジ・・信用取引のときの倍率。仮に100円を担保に1000円分の取引をおこなえば、レバレッジ10倍となる。単純に儲けも10倍と考えて良いが、担保を割り込むと、担保の追加を求められる。損失も10倍なので、担保割れの確率が高い取引手法といえる。


 長い時間、会計事務所に足止めしてしまったことを下妻は深く詫びていたが、雷二郎自身にとっては、自分の知らない世界、そして、下妻の仕事や部下に対する厳しい一面を見ることができて、貴重な時間を過ごしたと感じていた。だが、そんな雷二郎でも自宅に着く頃には既に21時を回っていたので、まさか、家に客が来ているなどとは、思いもよらなかった。




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