第21話 交換条件

「どうしたんだ最近の京香は?」

二階から聞こえるピアノの音を聞きながら、京香の父が早苗に尋ねる。ここは、京香の自宅で、一階は、工務店を営む父の事務所である。事務全般は、早苗が一手に引き受けており、今日も忙しそうに経理作業を行なっている。

※時屋早苗・・・京香の母

作業の手を休めないまま、

「いろいろ、上手くいってないのよ、きっと。」

「いろいろ上手くいってないと、どうしてピアノを弾く回数が増えるんだ?」

早苗は、はぁ~とため息を付いて首を横に振ると、PCのキーボードを叩いていた手を止め、

「あんたは、娘の何を見てるのさ、そんなんじゃきっと、あの娘が髪型変えたのだって気付いてないんじゃない?」

「えっ!髪型?」

早苗は頭を抱える、

「ま、あんたに期待する方が無理だからね。とにかく、今はあの娘、ピアノに没頭して、他のことを考えたくないのさ。」

「そうなのか…。で、お前は何が原因だと思う?」

早苗は口を開け何か言いかけたが、また首を横に振ると、

「あんた、昔もてなかったでしょ?」

いつぞやも早苗から発せられた問いが、今日も繰り返される。

「いや、そんなことはないぞ。昔は、」

せっかく父親が反論し始めたが、まったく意に介せず、早苗が割り込む。

「きっと、今が勝負どころなのよ。雷二郎くんとの仲が…。仲のよかった二人も、大人に近づくに連れて、微妙にすれ違うことが増えてきているんだわ…。」

父親も神妙な顔をすると、

「お前は勝負どころだったら、どうするんだ?」

「わたし? 私は勝負どころは逃さないわよ。あなたにだって完全勝利だったでしょ?」

早苗はウインクをして見せる。

「む、むむ。じゃ、京香も大丈夫だな。」

「ん、何で?」

「だって、完全勝利のお前の子だろ。」

早苗は、ハハハッと笑ったあと神妙な顔をして、

「だといいんだけど…。」

そう、小さく呟いた。


 滑らかに指が運ばれて、ピアノの旋律も美しい。だが、演奏している京香の思考には、モヤモヤとしたものが沸き起こっている。

(ニャンキットのことって、風北夏美のためだったなんて!)

昨日、たまたま校内で会ったムガに、試しにニャンキットを入れているか聞いてみたら、

「何か、夏美ちゃんが困ってるみたいだったから、白馬の騎士ムガちんが、助け船を出してあげたんだよ~。」

「え! アプリ入れたってこと! 雷二郎に止められなかったの?」

「うん。最初は待て!って言ってたけど、アプリのカラクリを解く突破口がないからいいよって。でもボクは、そもそもこのアプリに秘密なんか無いんじゃないかって思うんだけどね。雷ちゃんも夏美ちゃんも心配のしすぎだよね? アレ?」

京香が怖い顔をしているのに気付いたムガは少し後ずさる。

「雷二郎がニャンキットの情報を欲しがってるのは、風北夏美のためだっていうこと?」

「え、え~と、そうだよ。え、え~と、やっぱり違うかも…。」

京香の顔が依然怖いままなので、ムガは色々発言を変えて、自分に被害が及ばないように必死にチャレンジを続ける。

「え、え~と、やっぱりアプリ入れてないかも…。」


 その後、更にムガを問い詰め、正確には風北の友人の為であることが判明したが、京香からしてみたら、同じことであった。雷二郎が風北に手を貸している。その事実が、自分をここまで苛立たせるなんて、

「あっ!」

ピアノの運指が転んだ、ポロッポロポロと、リズムが駆け足になってしまう。その後はなし崩しのように、歯切れの悪い旋律となり、立て直すために、京香は一度演奏を止める。そして、再び弾きはじめようと鍵盤の上に指を乗せたが、

(ここで、調査を止めたら…。雷ちゃんは何て言うかな? でも、風北のために私が働いてるなんて、間抜けなピエロの役じゃない!)

右手だけ演奏がスタートする。別の曲だ。何年か前に流行った失恋の曲。確か意中の相手の思わせ振りな態度にワクワクしたけど、実はその人には、別の本命の娘がいたという…。

(もう、止めちゃおうかな、ニャンキットのことなんか…。)

スマホからメッセージ受信のポップ音が聞こえた。ピアノの椅子から立ち上がって机の上のスマホを手に取ると、情報グループという表示が見える。

(そろそろ、期末試験だけど、試験前に渡せる情報なんかないしね。誰だろ?)

グループチャットを覗くとアイコンはKagetsuと記されていた。内容は、

「ここに書き込むのはちょっと憚られる内容ですので、友達申請受けてくれまして?」

京香は、基本的には、クラスの子は別として、あまり積極的に友達申請を受ける方ではなかったが、花月がグループチャットでは話せないと判断した内容なのだ。そこに価値がありそうだと京香の本能が告げる。OKと返事を送ると、友達申請が送られてきた。京香が承諾のボタンを押して、しばらくたった頃、花月からメッセージが届いた。

「取引しませんこと?」

メッセージには、そう書かれていた。

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