第10話 審問官
「あ、おはよ夏美ちゃん。」
いかにも寝起きといった顔で居間にやって来た夏美に、ムガが明るく声を掛ける。あくびを一つしながら夏美が、
「おは~よう。ムガくん。」
と、緊張感のない緩みきった声で答える。なかなか寝付けなかった夏美が、他の二人より遅く起きてくるのは、ある意味当然であった。ムガは、タンスから新しいタオルを持ってきて夏美に手渡すと、洗面所に行くよう勧める。夏美が廊下を歩いて洗面所の方へ向かうと、台所の方から油で何かを炒める音が聞こえた。雷二郎だろう。寝起きでパジャマ姿、髪はボサボサで、寝ぼけた顔の夏美の思考は、まだ半分眠っている。普段なら、こんな姿で雷二郎の前に姿を晒そうなどとは、絶対に考えないはずだが、とにかく雷二郎の顔を見たかった夏美は、台所へ通じるドアを開けると、
「センセイ、お早う。」
と、声を掛けたのだが…。だが、なんと台所にいたのは雷二郎ではなかった。瞬く間に寝ぼけモードから、正気に戻った夏美は、
「あっ!」
と、声を出して固まる…。
「それで、私のところへ?」
「はい。自分で自分を占うっていうのは、やっぱりどこか甘くなっちゃってるんじゃないかって。」
「そうねえ…。私も長いこと占い師をやっているけど、自分のことを占うってのは、最初の頃だけかな…。確かにあんまり当たった記憶がないわね。」
占いの館の一角を閉める「シャトー・ドゥ・マジナ」というお店の占い師、なおかつ「バロンの昼寝」というレストランのオーナーの榊さんと明日佳は、占い師の師匠と弟子という関係にあった。明日佳の相談を受けている榊は、筮竹(ぜいちく)と呼ばれる棒状の道具を取り出して、ジャリジャリ音を立てながらそれを一定のルールで混ぜていく。
「それで、明日佳さん自身の見立てでは、夏に想いの人に近づくって出たのよね。」
「はい。ただまあ、想いの人ってのがいないのが玉に瑕なんですが…。」
榊さんは、フフと笑いながら、
「まあ、それは、急に現れるかもしれないし、或いは…。」
そこまで言って黒い竹の棒を、机に並べていく。そして、ふむ。と呟いた後、しばし何やら思案している。その後、明日佳の方を見ると、
「私の占いでも、同じ結果が出たわ。ただね…。」
明日佳が、言い淀んだ榊さんに先を促す。
「ただ?」
「ええ、海の向こうでって、出てるわね。」
「海の向こう?」
海外旅行の予定は、今のところ無いのだが? 留学生が現れて好きになっちゃう?
榊さんは、明日佳がいろいろ思考を巡らしているのを見て、アドバイスを送る。
「取り敢えず、お兄さんの夏の予定を聞いてみたら?」
「えっ? どうして、お兄ちゃんの…。」
だが、榊さんはその問いに答えることはなく、ただニコニコしているだけだった。
「何だ? 明日佳、こんな朝早くから。」
ちょうど雷二郎が外出しようと、玄関で靴を履いていたときに、ドアの向こうに人影が見えたので、開けてみたところ、妹の明日佳がやって来ていた。
「あれ、お兄ちゃん。お出かけ?」
「いや、そこの100円パーソンまでだ。すぐ戻る。」
※100円パーソン…百円の食品を中心としたコンビニ。野菜や惣菜の種類も豊富で、なかなか侮れない。
「そっ、よかった。ちょっと聞きたいことがあったの。じゃあ上がって待ってるわ。」
そう言って、雷二郎を見送り終えた明日佳は、家に上がって靴を揃えると、居間のドアを開ける。少しだけ、見慣れないサイズが小さめのスポーツシューズが気になったが…。
「あ、明日佳ちゃん、お早う!」
「ムガくん。お早う。二人とも朝御飯は食べたの?」
「まだだよ~。雷ちゃんがこれからパン買ってくるの。」
なる程と、頷くと、
「じゃあ、これからなのね。卵とかはある?」
「わかんな~い。」
相変わらすコイツはお兄ちゃんに食事は任せっきりだなと、思いつつ、
「じゃあ、勝手に冷蔵庫、開けるね。」
明日佳は、そう言って、スタスタと台所へ向かうと冷蔵庫を開け、卵やベーコンの存在を確認する。向こうから、
「ひょっとして、明日佳ちゃん朝御飯作ってくれるの?」
「そうよ。感謝して!」
「感謝しま~す! あっ、でも三人分、あっ、明日佳ちゃんも食べるなら四人分用意してね。」
冷蔵庫から食材を取り出していた明日佳の手が止まる。
「えっ? お兄ちゃんの他に誰かいるの?」
「うん。夏美ちゃん」
「えっ?? 何で?」
「プチ家出かな?」
「プチって何よ! ちゃんと説明して!」
「え~と、あの~、だからね~何だか、朝から込み入った話は、面倒くさいなあ。とにかく昨日お泊まりしていったの!」
話を切り上げたくてムガが、結論だけ述べる。
(お泊まりって、この男どもだけのお家に? 何て非常識!!!それに、夏美さんには、私がきっちり不合格出したじゃない!)
「明日佳ちゃん、ボクのおかず減らさないでね~。」
長い付き合いのムガは、不機嫌なときの明日佳にそのような仕打ちを何度も受けていたのだろう。予防線を張る。
(お兄ちゃんもお兄ちゃんだわ! 何で女子を泊めちゃうのよ! これは、私がしっかりシメとかないと!)
そう言いながら、派手な音をまな板に立てながらキャベツをざく切りしていく。その合間にフライパンを温め、軽く油を引く。ベーコンを投入した後、卵を次々投下して、大きめのフライパンには四つの目玉焼きが、ぎゅうぎゅう詰めで並んでいる。
(それにしても風北夏美! 油断も隙もならないな。お兄ちゃんも、もし、鼻の下なんか伸ばしていようものなら!!!)
四枚の皿に目玉焼きを載せ終わると、また少し油を足し、キャベツをドサッと入れる。油が水分でパチパチ激しく弾けるので、蓋をしてやり過ごす。少しパチパチが治まってきたので、また蓋を外して炒め出す。この間、かなり派手な音がしていたので、居間でムガが夏美と会話していることに明日佳は、気が付かなかった。
「センセイ、お早う。あっ!」
フライパンを持ったまま振り向かない女子が、
「あら、その声は、風北夏美さん。何でここにいらっしゃるのですかねえ…。」
そう言って、首だけ後に回して、夏美の顔をジト目でなめ回すように見る。髪もボサボサでパジャマ姿の夏美は、本能的にコレはマズイと思ったのだろう。自然と直立不動のピシッとした姿勢となる。そして、
「あ、あ、明日佳さん。お、おはよう…。」
居間では、明日佳の尋問が始まっていた。
「それでは被告人、竜神雷二郎、あなたは昨日、風北夏美をこの家に泊めた。事実に相違ありませんね。」
コンビニから帰って来るなり居間に正座をさせられている雷二郎が答える。
「は、はい…。」
「この家には、未成年の男子しかいない、そこに年頃の女の子を泊めた。事実ですか?」
「…。」
「被告人! 返事!」
「は、はい。事実です。」
明日佳が、視線を少し横にやる。
「コラそこっ! まだ食べちゃダメ!」
こっそり箸に手を伸ばそうとしたムガの手をピシッと叩く。
「では、次、共犯者の天城霞無我! あなたは、この家へ女の子が泊まることに率先して荷担して、あまつさえ、隙あらば。お風呂場を覗こうとしていた。そうですね?」
「はい。そ~で~す。認めます、すべて、全て認めますから、ベーコンエッグが冷めないうちに食べさせて明日佳ちゃん!」
「だ~め~です! しかも覗きは重罪です。」
「え~。未遂ですらないんだよ明日佳ちゃん。ただ、ハートが見たいって熱くたぎっただけなのに…。」
「駄目! アウトです。」
こんな無茶苦茶な裁判官いないよぅ~!と、ムガは頭を抱える。
明日佳は、今度は夏美の方を向く。
「さて、風北夏美。あなたは、なぜここに泊まりたかったんですか?」
「そ、それは…。」
夏美が視線を落とす。明日佳は、少しだけ優しい口調になり、
「先程、弁護人(雷二郎)から、事情を聞きました。ボルダリングを続けられないと?」
「うん…。」
夏美は、視線を下げたまま小さく頷く。
「あなた、屋上で私に言われたでしょ。あなたが、もっと素敵な笑顔を増やさないと、お兄ちゃんに相応しくないって。私のアドバイス、少しは考えてくれたの?」
「うん。明日佳さんの言う通りだと思った。雷二郎センセイには明るい彼女の方がいいに決まってるって…。」
明日佳はウンと頷くと、
「なら、努力しなさい。風北夏美。お兄ちゃんが言っていたわ。ボルダリングをやっていた風北夏美は素敵だったって、かっこよかったって…。」
「?!」
「携帯貸して、こういうのは勢いなの。深く考えても仕方がないでしょ。ボルダリングをやっている明るい風北夏美に戻りなさい! ほら早く。」
早く寄越せと明日佳が掌をホレ、ホレと動かす。何に使う気だと思いつつも夏美は携帯を明日佳に渡す。
ロックがかかっていないのを確認した明日佳は、アドレス帳のアプリを勝手に開き、夏美が、あっ!と声を上げている間に、夏美の自宅へ電話を掛けてしまった。
「朝早くからすみません。夏美さんの友達の明日佳と言います。昨日は、私の家に泊まったんですけど、夏美ちゃんが、全くお家に連絡しようとしないので代わりに掛けました。お家の人が心配してるよって言ってもサッパリなんで。」
電話口の向こうから夏美の母親が、わざわざすみませんというのが聞こえた。
「で、ですね。ぶしつけなお願いなんですが、夏美ちゃんボルダリングを続けたいのに、お父さんがあ、とか、お母さんがあとか、ウダウダ言っててイラつくんで。駅裏のスペーシアンってボルダリングジムに入会させちゃって下さい。私の紹介だって言えば安くなりますし、はい。そうです。本人はやる気です。」
「なっ!」「な!」
夏美だけでなく、あんまり口を挟む場面が無かった雷二郎が、思わず声を出そうとすると、携帯を保留にした明日佳が、
「黙っててお兄ちゃん。夏美さんは女の子の家に泊まったことにしたいの! 男がいたらマズいでしょ!」
再び携帯の通話ボタンを押した明日佳は、
「すみません。ちょっと父が居間に顔を出したもので、あ、はい私ですか? 式根明日佳です。あら、お恥ずかしい。そうです式根興業の式根です。ご存じですか。そうなんですか。はい。夏美さんとは仲良くさせて貰ってます。」
明日佳は、スクッと立ち上がって夏美の側に行くと、
「夏美からも、お願いさせますんで、はい、夏美。」
そう言い終えると夏美の耳元に携帯を押しつけ、お願いしますって言って!と圧力を掛ける。夏美は少し迷った素振りを見せたが、
「お母さん…。ボルダリング…続けさせて下さい…。」
明日佳がとびきりの笑顔になると、また、携帯を取り上げ、
「じゃあ、スペーシアンの入会申込書、夏美ちゃんに持たせますんで。ヨロシクお願いします。はい、はいそれでは。」
明日佳以外の3人は、ただただ、明日佳の「勢いに任せて」というやつを目の辺りにして、目を点にしたり口をあんぐり開けたりしていたが、明日佳が大きくふぅ~と息をついたタイミングで、
「お、お前なあ。いくらなんでも強引すぎないか?」
「さっすが!敏腕女社長の娘さんって感じだったよ。明日佳ちゃん。」
「私。明日佳ちゃんのこともセンセイって呼ぼうかな…。」
それぞれ感想を述べた。明日佳は満足そうな笑みを浮かべた後、
「そう言えば、判決がまだだったわね。まずは、男二人ども!あんたらは有罪! 罰として夏休みに私の指定の日に私の言うことを何でも聞くこと! それから夏美さんは、この家に泊まること禁止!! 悔しかったらボルダリングで何らかの成果を見せて! もし、私の心を揺さぶることができたら、私の気も変わるかも? さあ、じゃあ朝食にしましょ。ん、ああっ!」
明日佳が居間のテーブルのお皿に目を遣ると、ムガのお皿は既に空っぽだった。
「ムガくん! いつの間に食べたの! もうしょうがないなあ。ムガくんがパン焼いてきて、四人分!」
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