第6話 7月
風鈴野々葉は、ホームルームで担任が何やら話をしているのにも拘わらず、ぼんやりと窓の外を見つめ、考え事をしていた。
(今日から7月か…。夏だよね…。かなりの数の角山スニッカーズ文庫に、夏のイベントが描かれてるよねえ…。で、あたしの夏は、どうだい? 今のところ何にも予定が無いじゃない…。)
「で、ホームステイに行く予定だった藤崎君が盲腸で緊急入院してしまって…。」
相変わらず担任が何か話しているようだが、野々葉の耳を左から右へスルーパスされていく。
(ムガくんに、もう一度告白したいな…。また審査受けに行ったらどうなるんだろう?)
審査という単語に釣られるかのように竜神の怖い顔が浮かんでくる。
(だ、ダメだ! 頻繁に審査を受けに行ったら、門番に永久追放!とか言われちゃうかも…。そういえば、相変わらず、ムガくんはいろんな娘に告白されてるのかな? う~ん。それ考えると、何だかすごく心配になってきた。よし!取りあえず、お姉ちゃんに探りを入れてもらって、ムガくんへ告白する娘がいたら、ちょっと様子を見に行ってみよう!)
気持ちがスッキリしたところで、黒板の方に目を遣ると、たまたま担任と目が合った。
「お、風鈴! お前興味があるのか? いいぞ、親御さんに聞いてみてくれ。」
「へ、興味?」
「そうだ。ホームステイ。お前、部活入ってないよな? ちょうどいいじゃないか。向こうのホストのファミリーが楽しみにしてるんだ。」
「ホ、ホスト!!!」
角山スニッカーズ文庫やムガのことに思考を奪われて、ぼんやり聞いていた野々葉には、最後の「ホスト」という単語しか耳に入っていなかった。
(あれ、私は眠っていたのか? 高校教師が未成年の女子にホストクラブを勧めてくるなんて! こ、これは角山スニッカーズ文庫にも無い、強烈な展開!!!)
「え、え~と、ホストが、私のことを楽しみに?」
「そうだ! 少しお金は掛かるが、向こうは藤崎が行けなくなったことをとっても残念がっていたから、もしお前が行ってくれるなら、きっと大歓迎だぞ。」
(そ、そうだよね。ホストといえば、やはりお金。私もイケメンホストに貢いじゃうのかな? それにしてもこの夢、ハチャメチャな割には、なかなか精度が高いな。)
「あのう…。そのホストのお店って、やっぱり新宿の歌舞伎町とか…あ、それとも関西ですか? 大阪ミナミとか???」
うろ覚えの知識で野々葉が地名を挙げる。元々、教師が話していたので、静かだった教室だが、より静かになる。あんぐり口を開けている生徒や目が点になっている生徒もいる。
「風鈴、お前、話を聞いていたのか? シンガポールへのホームステイの話なんだが…。」
それからしばらく、風鈴野々葉は「ホスト野々葉」という不名誉なアダ名でクラスメイトに呼ばれるようになった。夏休み明けには皆が忘れていることを祈ろう…。
―――とある日の放課後の屋上
「お姉ちゃん。私…もう立ち上がれないよ。」
給水塔の陰で、ムガと雷二郎をこっそり覗いている野々葉が、隣の寿々葉の肩に手を当て俯く。
「どうしたの? 野々ちゃん。大丈夫よ。今日の娘もきっと審査に通らないわ。」
「いえ、その話ではなくてですね。実は、ホストが…。」
「野々ちゃん。シッ!」
寿々葉が、唇の前に人差し指を出して、野々葉に静かにするよう促す。ムガへの告白者が西階段の方からやって来たようだ。
ムガと雷二郎は立ち話をしていて、その告白者であろう女生徒が近づいてきていることにやや気付くのが遅れる。と、突然その女生徒が駆け出す。
「うぉりゃぁ~、死ねや、門番~!!!」
振り返った雷二郎は、その女生徒が突進しながら横に伸ばした二の腕に首を持って行かれる。エルボーと呼ばれるその技にもんどり打って倒れた雷二郎は、意識を失っているのか、ピクリとも動かなかった。その横で、女生徒が勝ち誇る。
「やった! 誰も突破できなかったムガくんの門番を、私が初めて突破した! これでムガくんと…。」
「ら、雷ちゃん!!!」
ムガが慌てて、駆け出すと、倒れている雷二郎の元へしゃがみ込む。
「しっかりして! 雷ちゃん、大丈夫!!!」
そして、
「雷二郎くん!」
双子の姉も堪らず給水塔の裏から駆け出してきた。野々葉も少し遅れてついてきている。雷二郎を倒した女生徒は、
「む、ムガくん。門番を突破したから、あたしの彼氏になってくれるんだよね?」
「雷ちゃん! 雷ちゃん!」
雷二郎が、ウウッと唸っている。ムガは変わらず必死に呼びかけている。風鈴姉妹が到着した。
「ムガくん! 雷二郎くんは大丈夫?」
寿々葉がムガに呼びかける。
「あっ、寿々葉ちゃん、野々葉ちゃん。」
ムガが泣きそうな顔をしている。
「お願い、手伝って。ボクが雷ちゃんを背負うから、荷物と、あと栄子先生に先に話を…。」
野々葉がすぐに返事をする。
「分かった、あたしが先に保健室に行ってる。」
そう言い残すと野々葉はすぐに駆け出す。寿々葉はムガが雷二郎を担ぐのに手を貸したあと、二人の荷物を持ってムガに付き添う。あっという間に屋上から消えようとしているムガたちに先程の女生徒が、あの…と、何やら言っているようだが、耳を貸す者は、ここにはいなかった。
「ふむ、どんな感じだ? 雷二郎。」
保健室のベッドに横になっている雷二郎の顔を、覗き込むように見下ろす栄子先生が尋ねる。
「いや、何かお寺の鐘が、ゴォ~ンと鳴ってるような…。法隆寺の…。」
雷二郎がふざけモードに入った事に気付いた栄子先生は、
「みんな、もう大丈夫だ。とっととコイツを連れて帰ってくれ。」
寿々葉が、
「いいんですか? 頭を打ったんじゃ…。」
栄子先生は、保健室を店じまいする気満々の振る舞いで、自分の荷物を整理しながら、
「心配するな風鈴。最初についたのは尻だったってのを覚えてるって言ってたし、頭のこぶの感じからも、骨や後遺症がどうってのはないさ。もちろん念のため受診するのは止めないが、頭は結構丈夫に出来てる。」
雷二郎も、ひょいっと上半身を起こすと、
「いやあ、すまない。もう大丈夫だ。不意打ちだったからな…。迷惑を掛けた。」
そう言いながら、ベッドの手すりに手を掛けてベッドから降りようとする。ムガと寿々葉が同時に雷二郎の側へ駆け寄ったが、真剣な寿々葉の顔を見たムガは、足を止めて、寿々葉が雷二郎に肩を貸すのを見守る。ちょっと体格差があるので、だいぶ斜めではあったが、一旦体重を寿々葉に預け、靴を掃き終えた雷二郎は、
「風鈴、大丈夫だ。一人で歩ける。」
そう言って寿々葉の肩を外そうとする。だが、ムガが、
「雷ちゃん。ダメダメ無理しちゃ。こういうときはね。人の好意に甘えるもんだよ。」
「いや、大丈夫だって。」
あくまでも一人で歩こうとする雷二郎の頭をムガが撫でる、というか先程のこぶを押す。
「イタタタタッ!」
「あ、雷ちゃん、まだ痛そうだから、寿々葉ちゃん、お願いね。」
雷二郎もさすがに痛いといった手前、黙って寿々葉と歩いて行くことに決めたようだ。保健室を出て玄関に向かう寿々葉と雷二郎の後ろを野々葉とムガが歩いている。
「ムガくん、ありがとう。お姉ちゃん、すごく嬉しそう。」
「ふふん。ボクはね、雷ちゃんの恋のガーディアンは廃業して、恋のキューピッドになることにしたんだ!」
「その方が、ムガくんにあってるよ。」
(だってムガくんの審査は、甘々で、ほぼ意味なかったから…。ムガくんは優しすぎるんだよ。)
「そうでしょ! そう思ったんだよボク!」
(そして、この少年みたいなところ、カワイイ♥️)
野々葉が、思わずニヤニヤしていると、
「そういえば野々葉ちゃん。最近ホストに嵌まってるんだって?」
「え?」
「京香ちゃんから聞いたんだけど、J組の最新情報で、未成年なのにホスト事情に詳しい娘がいるって言うから、誰かと思ったら、」
野々葉が崩れ落ちる。
「あれ、野々葉ちゃん。大丈夫? 保健室戻って、寝直す?」
しばし野々葉は立ち上がれなかった…。
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