第5話 イラスト絵師

「私は、寿々葉さんのことは、あまり知らないけど、良識的できちんとした方だと思う。そう、私自身は、そんな普通の娘とお兄ちゃんがお付き合いして、普通の高校生みたいな生活してくれたらって…。」

あの日の屋上で、雷二郎の妹から言われた言葉を、ぼんやり思い出していた寿々葉であったが、最後に言われた次の言葉が、特に忘れられなかった。

「でも、逆に良識のある普通の娘が、京香さんや夏美さんよりお兄ちゃんの気を惹けるとは思えない。寿々葉さん、不合格よ。あの二人に負けない絶対的なものを身に付けて!」

はぁ~と、ため息をついた寿々葉は、ポツリと、

「絶対的なもの…アピールポイント…。難しいな…。」

自分に出来ることがあれば、努力を厭わない。でも、何に努力を向ければいいのか?それが、そもそも分からなかった。


 考え事をして電車を待っていたせいだろう。あの…と、小さな声で話し掛けられたのに気付くのが遅れた。何度目かの声掛けで、自分が話し掛けられていることに気が付いた寿々葉は、後ろを振り向いた。小柄な体格の同い年ぐらいの男性が、そこに立っていた。銀色の細い縁が特徴の円い眼鏡を掛けている。

「あの…。風鈴さんじゃない?」

寿々葉は、しばし、誰だろうと思考を巡らしていたが、やがてある人物に思い当たると、

舎人とねりくん?」

と、尋ねた。話し掛けてきた人物は、寿々葉が自分のことを覚えてくれていたことにほっとしたようで、笑顔になると、

「うん。久しぶりだね。元気?」

そう、話し掛けてきた。


 中学時代、消極的で受け身の性格だった寿々葉には、普段から気軽に話せる男子はほとんどおらず、中学の頃に積極的に男性と話をしたという記憶があまりなかった。ただ、その少ない記憶の中に舎人という人物は含まれている。


 寿々葉が通っていた中学には、職業体験という行事があり、短い期間ではあるが、例えば幼稚園やスーパーマーケットなどで、仕事の体験をするという活動をおこなっていた。寿々葉は、あまり人と会話をする事に自信が無かったので、美術館を選択した(美術館が、会話が少ないというのは、ただの思い込み)のだが、その時に一緒に東野美術館に職業体験に行ったのが舎人兼太であった。寿々葉同様、人との会話にこなれている感じのない舎人とは、あまり会話が弾んだ記憶はなかったが、男性特有の荒っぽさを感じさせない舎人には、気兼ねなく話し掛けることができたという記憶があった。かすかな記憶を思い起こし、舎人が自分とは違って、美術館を希望した理由を「絵が好きだから」と話していたことを思い出した。実際、自分とは違って、舎人が職業体験へかなり熱を入れて取り組んでいたことを覚えている。

「風鈴さんは、東野東高校に行ったんだ。」

おそらく自分の制服を見ての判断なのだろう。寿々葉と違って、私服姿の舎人が続ける。

「僕は、第一阪水に行ってる。」

そうそう、阪水は私服オーケーの高校だった。それと、

「舎人君、もしかしてアート科?」

舎人はびっくりしたように、

「すごい! どうして分かったの?」

寿々葉は、先程思い出した記憶を元に、

「舎人君、職業体験の時、ずいぶん熱心だったなって思い出したの。あと絵のことで色々質問してたような。」

「嬉しいなあ。覚えていてくれて。」

「舎人君は、どんなアートをやってるの?」

アナウンスで、間もなく上りの電車がホームに来ることが告げられた。電車に乗るのが同じ方向か確認した後、舎人は、

「グラフィック専攻。PCで描くやつ。風景画像やらゲームに出てくるようなキャラクターやら、あまり好き嫌い無く描いてる。」

「ふ~ん。」

寿々葉が、あまり想像がつかないな、というな顔をしていたからだろう。舎人はスマホを取り出して、自分が描いた絵を画面に映して寿々葉の目の前に差し出す。

「うわっ、凄い!」

これは正直な感想であった。寿々葉が目にしたその絵は、架空の鳥が画面の半分を埋め尽くすほど大きく描かれ、その隣に一人の女性が描かれていた。繊細なタッチで陰影や遠近感を上手に表現した舎人の作風は、いかにも1枚の絵を完成させるのに時間が掛かりそうである。寿々葉が感嘆の声を出して賞賛していると、

「最近、僕の絵を気に入ってくれた人が、スポンサーになってくれて、定期的に買ってくれているんだ。凄く励みになっている。」

そんな言葉が舎人から聞かれた。


 家に帰った寿々葉は、一応野々葉にその話をしたのだが、野々葉は寿々葉が誰と職業体験に行ったのかなど覚えておらず、結局、話が脱線して、野々葉が職業体験に行った※ボクドナルドでの失敗談で、二人で盛り上がることになってしまった。寿々葉が再び舎人のことを思い出すことになるのは、少し先のこととなる。

※ボクドナルド・・・日本に定着したハンバーガーチェーン店、イニシャルの黄色いBの文字を見れば、誰もが幼き頃に親しんだその味を思い出すとか。

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