第16話 追加要請

 スペーシアンというボルダリングジムの初日を終えた夏美は、ジムの館長から、早速夏の大会へ登録してくれと嘆願された。何でもこの年代のジム所属の女子の中では、センスが段違いにいいとかで…。内心嬉しかった夏美だが、まだ初めての訪問で、ジムの中の様子(主に人間関係)も把握していないので、返事は保留にした。ただ、

「また来ます。楽しかったです。」

帰り際に館長に告げた言葉は、本心からのものであった。家に帰りシャワーで汗を流した後、部屋でくつろいでいるところに、携帯の着信音が鳴る。表示されている文字は智里からのもので、またボルダリングを始めたことを伝えるのに丁度いいと思いながら、通話をオンにする。

「智里、どうした?」

「あっ、夏美。いや、あのう…。ニャンキットありがとうね。」

「ああ、いいよそんなの。それにアプリ使ってみたら、TONERYって子の壁紙、割りと気に入っちゃったんだ。使ってるよ。」

「そっか、良かった。え~と…。」

何か本題があるな? と感じながらも無理に急かすことはせず、夏美は自分の話をする。

「実は、私、ボルダリングまた始めたんだ。今日はじめて、駅前のスペーシアンってとこの、」

「あの、夏美! その…。もう一人、もう一人だけ、誰かニャンキット入れてくれるお友達いないかな?」

「え?」

「あの…その…。」

「智里、どうしたの? 何でそんなにニャンキットにこだわるの?」

「…。」

返事がなかったので、夏美はアプリを入れることについて、少し考えを巡らした。確かに友達を紹介した分、ポイントが入るので、友達紹介の回数を増やすことは、智里にとってプラスだろう。だけど、かつて夏美が、バーソロ学園に通っていた頃の記憶を辿ってみると、智里の家は裕福なイメージがあって、智里自身がお金に困っているような状況など聞いたことがなかった。だとすれば、何かのトラブルに巻き込まれている可能性が?

「智里、何かトラブルに巻き込まれてない?」

「ハハ、ごめんね夏美、何か心配かけちやって。ニャンキットのことは、忘れて。それから、今度、一緒にボルダリングやろうね。じゃ。」

これ以上の詮索を避けるためであろうか、智里からの通話が切られた。通話が終了しても夏美はスマホを耳に当てたまま、智里のことを思う。大丈夫だろうか? 何か自分に出来ることはないだろうか?

 やがて、思考はいつもと同じように、自分が今最も大切にしているものへと移っていく。脳裏に浮かんだ雷二郎に、

「センセイなら助けてくれるかな?」

つくづく自分は弱くなってしまったなと感じながらも、この呪縛からは離れられそうにない。それほどまでに長い期間、夏美は孤独だったのだ。誰にも頼ることが出来ずに、全て自分で解決しようと生きてきたのだ。一度、頼れる、しかも大好きな人が出来てしまったら、もうその甘い蜜から離れることはできない。夏美はもう一度小さく雷二郎センセイ…と呟くと、ニャンキットのアプリを立ち上げて、友達紹介の項目を見つけると、その文章に目を通していった…。



「よく分からないけど、いいよ~。」

数日後、夏美は、ムガの家を尋ねていた。友人である智里のことを雷二郎に相談しようと思ったからだ。一通り説明を終えたところで、ムガが先程の発言をしたのだ。夏美におそらくニャンキットを入れることを伝えたのだろう。だが、横にいる雷二郎が、

「あのなあムガ、話を聞いていただろ? そういうことじゃなくて、もっと根本的な。」

「でも、夏美ちゃんのお友達は、友達紹介を急いでいるんでしょ? 善は急げだよ雷ちゃん。」

夏美は、二人のやり取りを見ながら、

「私がアプリの説明を読んだ限りでは、友達を紹介した分、ポイントが入るほかに、ニャンキっていうキャラクターがアプリ内に出現したら、それをタップすると、ポイントが入るって書いてたんだけど。それ以外書いていなくて…。」

雷二郎が夏美の携帯を借りて、その辺りの説明に目を通す。

「ニャンキの出現要因・出現確率については、お答えできません。か…。アプリ自体に問題は無さそうな雰囲気だが。う~ん、何か見落としているような気が…。」

覗き込んでいたムガが、

「ニャンキってやっぱり猫なんだ~。よし!ボクが夏美ちゃんの紹介って事でアプリを入れてみよう!」

雷二郎も、何が問題なのか掴みきれず、打つ手がなく、今度はムガを止めなかった。が、夏美が、

「待って、どうせなら、智里の紹介でアプリを入れてくれないかな?」

「あっ、そっか。そうだったね。」


 そこで、夏美が智里という友達に電話することになった。ムガと雷二郎は、その様子を見守っている。

「あ、智里? 夏美。ニャンキット入れてもいいって友達が見つかったよ。」

「えっ? 忘れてくれって言ったのに…。ごめんね。夏美…私の事、心配してくれたからだよね…。」

「いいのよ、智里。友達じゃない。」

「うん。ありがとう…。本当に助かる。よかった、どうなるかと思った…。」

「智里、お金に困ってるの? このアプリ、ポイント貯めると、何かと交換できるんだよね?」

「お金というか…。違うの、とにかくほんとに助かった。もう頼める友達がほとんどいなくて…。」

「他の友達にもお願いしてるの?」

「…。」

「いいよ。言いたくなければ。ただ、もし困ってるならいつでも相談してね?」

「な、夏美…。あの…。」

一瞬、智里が訳を話してくれそうな雰囲気になったので、夏美はじっと言葉を待ったが、

「ゴメン、夏美。じゃあまた…。後で紹介コード送るから…。」

結局、智里から深い事情を聞くことはできなかった。


通話を終えた夏美をムガと雷二郎が見守っている。夏美は二人に通話の内容を簡単に説明したあと、

「事情がありそうだけど、深く踏み込めなかった…。ごめんねムガくん。せっかくアプリを入れてくれるのに、何の情報も掴めなくて…。」

「いいの、いいの。ボクのスピリチュアルがね、このニャンキって猫にピ~ンときたの。ということで、雷ちゃん、課金いいかな?」

ムガ家の家計を握っている雷二郎にムガが、伺いをたてる。

「ああ。俺の方でも少し課金してみる。」

「えっ? 雷ちゃんもニャンキットを?」

「いや。いつものところだ。」

ムガは、あ~なるほど、といって頷くが、夏美には何の事かさっぱり分からなかった。雷二郎が課金する相手は、幼なじみの自称「気のいい情報屋」であった。

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