第2話 生徒とセンセイ

(雷二郎センセイ…。)

夏美の視線は、雷二郎の指を追っている。テーブルに置かれ、二人の目の前にある家計簿のページの一部分を指差しながら、何やら夏美に説明しているが、夏美の耳には入っていない。

(センセイとずっと一緒に居たいな…。でも…。)

夏美は、東校の屋上で初めて会った雷二郎の妹に、雷二郎の彼女には相応しくないと、不合格の宣言を受けていた。

「夏美さん。あなたには初めて会うわね。私は別に付き合いが浅いからって、そのこと自体を判断の材料にはしないわ。でも、あなたは不合格よ。」

妹は、その理由を淡々と述べた。

「あなたの過去のことは少し聞いてる。お兄ちゃんが世話好きで、そんなあなたを気に掛けるのも分かる。でも、私は、お兄ちゃんには明るい未来が待っていて欲しいの。あなたの表情には、憂いがある。過去を引きずった…。もっともっとお兄ちゃんに笑顔を見せてあげて! 昔のことなんか吹き飛ばして! そして、あなたの笑顔が素敵になったとき、私はあなたに合格を出すわ。」

(素敵な笑顔か…。確かにもう何年も、自分の笑顔を人に見せたことがないような気がする…。でも、センセイとムガくんと一緒の時は楽しかったな。)

「おい、夏美、聞いてるか!」

(妹さんに言われるまで、気が付かなかった…。でも、言う通りだわ。私だって雷二郎センセイには、幸せになって欲しい。明るい笑顔…。そうよ!)

夏美は、試しに笑顔を作ってみようとしたが、何だか恥ずかしくて中途半端なニヘラ~という締まりの無い表情になる。

雷二郎が、気もそぞろな夏美を見かねて、冷蔵庫から出したばかりの麦茶のポットを夏美のほっぺたに押し付ける。

「冷た!! 冷たいよ。雷二郎センセイ!」

「オイ、夏美。さっきっから身が入ってないぞ!」

「あ…。ご、ゴメン。」

「二人とも何やってるの? 夏美ちゃんがヒエッとか悲鳴上げてたよ。雷ちゃん何かしたの?」

ムガが、自分の分のコップを持ってやって来た。

「いや、コイツが考え事ばかりして、集中力が切れかかってたから、麦茶をほっぺたにな。」

ムガに視線を向けられた夏美は、照れながら、

「ご免なさい。反省します。せっかく雷二郎センセイが教えてくれてるのに。」

「ったく…。何だか上の空だな夏美。」

雷二郎が、渋い顔をしている横で、

「ボク分かるよ! 上の空って、それスピリチュアルな世界ってことだよね。天上界って言うんだよ! 最近ボクのYOUトンネル見たって人も、コメントしてた! キミをスピリチュアルの世界に連れていきたいって!」

「ああ、そう。」

雷二郎は、ムガを適当にあしらうと、

「夏美、今日は、このぐらいにするぞ。最後の方はともかく、三度も復習したんだ。少しは理解できたんじゃないか?」

雷二郎は、目で天城霞家の家計簿を見ながら言う。雷二郎の付けている家計簿は、一般的な家庭で使用しているものとは、少し違う。支出だけを記したものではなく、簿記の資格を取ることを考えた複式簿記という形式であった。

「う~ん、正直、難しいなあ。何て言うか、馴染みがない言葉が多いっていうか…。」

学年で二番の夏美が言うのだ。いかに一般に生活している者にとって、縁の無いものかが分かるだろう。

「ねえねえ。二人とも、ボクお腹空いたよう。もう勉強は、終わりにしようよ! そうしないと、ボク、スピリチュアル光線を発射しちゃうよ。」

ムガは、手を手刀の形にして十字に組んだり、手で口の形を作ってはぁ~~っと、いかにも、そこから何かが発射しそうなポーズを作って、二人を威嚇する。雷二郎と夏美は目を合わせるとフフッと笑い頷き合う。

「よしっ! 今日はこれで終わり。ちょっと待ってな! パパッと焼そば作っちまうから。」

そう言って立ち上がると、雷二郎は台所に消える。夏美はテーブルの上を片付けている。

「夏美ちゃん真面目だねえ。毎週必ず来てるよね?」

「うん。雷二郎センセイの言った通り、ここに来ると、色々学べて楽しいよ。」

夏美が差すのは、

「家を出たくても、出る度胸がない! 変わりたくても、変われない!」

と言って、頑なだった夏美に対し、雷二郎が勧めた「自立するための勉強」のことである。もちろんムガは知っている。それだけのために、夏美がここに通っているのではないことを…。

「明日も来ちゃ駄目かな? まだ腰が痛くてボルダリングは、登れないんだ。他にすること無くて。家にも居たくなくて…。」

と、雷二郎が焼そばの大皿を持って戻ってくる。本当にものの数分で料理を完成させたようだ。

「悪いな夏海、明日は、遠々野にお墓参りなんだ。ほんとは命日は、明後日なんだが、平日に行ける距離じゃないからな。」

「ごめんね夏美ちゃん。」

「いや、いいよ。そっちが忙しくなかったらって意味だから…。命日って、どなたの?」

ムガが、トングで焼そばを皿に分けながら、

「ボクのおじいちゃん。ガラス屋さんだったんだけど。中学校の時に亡くなっちゃった。」

「ガラス職人って言えば、通じるか? 窓ガラスとかそうゆうんじゃ無い。」

雷二郎が補足する。

「ふ~ん。」

「すっごい熱い温度で、ガラスが真っ赤になるの! それでね、お爺ちゃんが、ぷぅ~って息を吹き込むと、ガラスが膨らんで、いろんな形になるんだ!」

ムガが、小さい頃の記憶を思い出しながら説明する。

「今は、ムガの両親が不在だから、孫の代の俺たちが墓参りをするってこと。」

焼きそばの盛り付けが終わった。三人行儀良くテーブルを囲むと、

「いただきます!」

元気な三人の声が、ムガ家の居間に響き渡った。



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