第18話 石碑の物語
仕方なく城戸鷹千代と本読紗夜子は、二人だけで歩き出した。
カノンとスピカが去っていったほうに追いかけてもよかったが、手分けをするメリットを考えて別の道を行くことにした。
緑の生垣で作られた迷路は、右に曲がり、左に曲がりしながら、どこまでも続いた。
自分たちのほかに気配は感じられない。
カノンとスピカの立てる騒音も次第に遠くなり、やがて聞こえなくなった。
十分ほど歩いただろうか、二人はまた分かれ道に行き当たった。
今度は三つの分かれ道だった。
それぞれの道の前に、鳥と虫と果物らしきものをかたどった石像がある。
そして石碑がまた置かれていた。
『『
主神の血をひく英雄マグマトラン、五つ目の試練は異国の珍しい土産を王に献上すること。
飛べない怪鳥、ベルベルをつがいで二羽。
美麗な角を持つ超巨大カブトムシ、アンドロボレアリス・オオツノカブトをオス一頭、メス二頭の合わせて三頭。
極上の味わいを持つ人頭大の果物、ユリマンを五個。
主神の正妻、女神シィクンの妨害を乗り越え、英雄マグマトランはようやく全てをそろえて故郷への帰路に着く。
故郷の国まであと少し。
あとは国境の大河を渡るだけ。
しかし船頭たちは女神の怒りを恐れて船を出さない。
小船はあるが自分で漕がねばならず、一度に船に乗せられる土産は一種類のみ。
さて、まず最初に運ぶべき土産はどれ?
』』
「またマグマトラン……」
「英雄、大変ね」
城戸は三つの分かれ道にある石像を見た。
すると石像たちは独り言のよう語り出した。
派手なダチョウのような鳥は、
『あたくしたちの主食は虫なんです。誰も見てないなら、パクって食べちゃいますよ』
鎧武者のような虫は、
『オレたち、なによりフルーツ大好き。誰も見てないなら、かぶりついちゃうぞ』
アケビに似た果物はパックリ開いた果実の割れ目を動かして、
『いやーん、あたしら、王さまに美味しく食べてほしーい』
「……うーん、なんかヒントっぽい? それとも条件の追加かしら。城戸くん、わかる?」
城戸はうなずいた。
これも昔からある問題だ。
「いわゆる『川渡り問題』ってやつだ」
バリエーションは豊富でキツネ、ニワトリ、豆の袋の組み合わせや、嫉妬深い夫とその妻、間男の組み合わせだったりする。
どれも共通するのは、いっしょにしてはいけない組み合わせがあるということだ。
「この場合、最初に船に乗せて運ぶべきなのはコレだ」
城戸の選んだのは『虫』の道だった。
鳥と虫をいっしょにすれば、鳥が虫を食べてしまう。
虫と果物をいっしょにすれば、虫が果物を食べてしまう。
鳥が果物には手をつけないとしたら、最初にまず虫を向こう岸に運ぶ。
次に鳥を運び、『虫を対岸から船で連れて帰る』のだ。
そして果物を運んでから、最後にまた虫を運ぶ。これでどれも食べられずにすむ。
『虫』の道を選んで進み、十分ほど歩くとまたしても分かれ道があった。
石碑にはこう書いてある。
『『
ウサギの耳が四つ生えた美少年サジュピタ、神々の宴に給仕として招かれる。
神の酒で満たされた酒甕を持ち、言われるがまま盃についでいくサジュピタ。
牛の頭を持つ酒の神レドラは、美少年の困る顔が見たくて意地悪をする。
300エール入る盃と、500エール入る盃。
この二つの盃を使って、400エールきっちりの酒を注いでくれ!
さてサジュピタ、400エール注ぐには酒甕から酒を何回つげばよい?
』』
分かれ道は三つあり、それぞれに『2』、『3』、『5』の番号の書かれた立て札がある。
分かれ道が分岐する場所には、バニーガールの衣装を着た美少年の石像が立っていた。
頭に長いウサギの耳が四つあり、一本は半ばから折れて垂れている。
石像は片目をつぶってウインクしながら、片足を後ろに曲げてしなを作り、両手でダブルピースしていた。
「なんだ、この石像は」
脳がバグりそうだ。
「今度は英雄じゃないのね」
「この話、なんか聞いたことのあるような、ないような……」
本読は腰を屈めて、石碑の文言をしげしげとながめた。
ちなみに石碑に記された言葉は、城戸たちの母国語だったりする。
この世界も含めて、幻界はすべて現世の人間の想像でできている。
だから言語が通じることは、なんら不思議ではないのだ。
「ねえ城戸くん、この石碑にある物語、なんか意味あると思う?」
本読の言いたいことはわかる。
たしかに問題を出すだけなら不要な部分だ。
「怪鳥の名前とか、ウサ耳の少年とか、やけにディティールに凝ってるっていうか、無駄な情報が多くないかしら」
「自分も気にはなっている……」
石碑の物語には何か共通点がある気がする。
それが後々、迷宮を攻略する際の重要なヒントになるかもしれない。
「とにかく問題を解いてみよう。続ければ何かわかるかも」
城戸は石碑をよく読もうとして近寄った。
場所を空けようと本読が立ち上がると、立ちくらみがしたのか不意にバランスを崩して倒れてきた。
——しまっ……た……!
抱き止めてしまった。
本読の身体は、城戸の胸のなかにはまり込んでいる。
とっさに肩をつかんで、そっと引き離した。
「あ、ああ。ありがとう、城戸くん」
長い黒髪を片手でかき上げて、本読は顔を赤らめてはにかんだ。
「いや、……これはたぶん、おれのせいだ」
「だとしても、ありがと」
恥ずかしさと少しの嬉しさで、城戸はまともに彼女の顔が見られなくなった。
仕切り直して石碑の文に目を戻す。
ウサ耳の美少年の石像がしゃべった。
『ついだお酒は、途中で飲んでもいいよぉ』
不必要な分の酒は、消して考えてもいいということだろう。
「どう? 解けそう?」
「んっ。ああ、まあ……。エールっていうのはミリリットルみたいな単位のことだよな。単位は変わってないから、こっちをこうして、次はこう……。うん、いけると思う」
「毎回頼って悪いわね」
「いいって、同じチームだろ。それにまだ攻略できたわけじゃない」
城戸は頭の中に、大きさの違う二つのコップを思い浮かべた。
まず500の盃に酒甕から酒をついで、それを300の盃に注ぐ。
すると500の盃には200残る。
300の盃は飲み干して空にして、さっきの残りの200を注ぐ。
もう一回500の盃に酒甕から酒をついで、それを300の盃に注ぐ。
すでに300の盃には200入っているから、100しか入らない。
つまり300の盃にいっぱいまで注ぐと500の盃には400残ることになる。
だから酒甕から酒をつぐ回数は——。
「二回、答えは2だ」
城戸は『2』の立て札のある道を指差した。
『二名様、ご案内〜』
ウサ耳の美少年が声高らかにコールした。
二人はさらに迷宮を進んでいった。
変わり映えのしない景色が続く。
蔓草と棘の生垣、合間に咲く小さな花、飾りつけのアーチ、明かりの灯る鉄柱。
動き続ける天空の星空。
生垣でできた緑の壁は、人が何人も並んで通れるくらいの幅を保ちながら、時に曲がり、時に直角に折れて、複雑な迷路を形成している。
城戸と本読はいちおうマッピングしてはいるが、全容がわからず現時点では役に立つ気がしない。
やがて、また分かれ道が現れた。
『『
ユーラス王国のカエル戦士、ピスケット。
妖精の森に住むという怪物を倒しにいく。
森に住まいし怪物は、九匹のヘビを頭に生やした魔女、ビニアマキ。
その姿はあまりに恐ろしく、見た者はすべからく石になる。
四人の妖精をお供に連れて、魔女に挑む戦士ピスケット。
その手には鏡の盾と、妖精の剣。
魔女の姿を鏡に写して見れば、石にならずにすむわけだ。
しかし魔女は分身を出して惑わした。
『ヘービヘビヘビ(笑い方)、
ホンモノは一体、残りはニセモノ。
一回でホンモノを切れるかい?
失敗すれば、そのスキに盾を取り上げて、
おまえの顔の前でにらめっこ×3 してやるぞ』
お供の妖精たちが口々に言う。
「一番右がホンモノだ!」
「右から二番目がホンモノだ!」
「右から三番目はニセモノじゃないよ!」
「右から二番目はニセモノだ!」
ますます困惑する戦士、ピスケット。
『ヘビヘビッ、
ヒントをやろう。
妖精たちのうち、一人だけ正解、
あとの三人は間違いだ!』
さあ、ピスケット、見事一回で魔女を仕留められるか!?
』』
分かれ道は、四つ。
それぞれの道の前に、頭にヘビを生やして際どい格好をした女性の石像が立っている。
石像が話しかけてきた。
『ヘービヘビヘビ』
『ホンモノのわしがいる道を進むがよい』
『そちらから見た順番が』
『妖精たちの言う順番じゃぞ』
「今度は何?」
「えっと、待てよ、魔女の分身を右からA、B、C、Dとして……」
「ねえ、これって、どっかで聞いたことない? ほら、ペルセウスとゴーゴンの」
「ああ、やっぱり本読もそう思うか」
「この石碑に書いてあるのって、まんまギリシャ神話よね。さしずめ英雄マグマトランはヘラクレスで、女神シィクンはヘラってとこかしら。酒をつぐ美少年もたしか水瓶座の神話に似たようなのがあったわ」
「ギリシャ神話か……、うーん……何か意味があるような気がするが、まだわからない。とりあえず問題を解くか」
右から二番目を魔女Bとして、二人目と四人目の妖精がBについて真逆のことを言っている。
すると、どちらかが正解で、どちらかが間違いということになる。
Bがホンモノだとすると二人目が正解で、ほかの三人は間違いとなり矛盾なく説明できる。
「右から二番目の道だ」
「ふふ、城戸くんがいて助かるわ」
二人は並んで緑の迷路を進んでいった。
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