第16話 星空の迷宮
出発の時間となった。
本読が『実習室』のドアを開けると、中には青黒いガスが漂っていた。
ガスはドアの反対側の壁を中心に、ゆったりと渦巻いている。
その渦の先に、ほのかな光が見えた。
異世界トンネルにもいろいろあるが、これが学園の一番ゲートであった。
本読が肩掛けバッグから、手のひらサイズのプレートを取り出した。
これが目的の異界へ行くための鍵、通行手形である。学園から本読に貸し出されたものだ。
「さあ、行きましょ」
プレートを掲げると、青黒いガスが反応を返した。
稲光にも似た閃光をほとばしらせ、ガスの渦が回転を速くする。
本読が渦の中心へ足を踏み入れると、体が浮いて吸い込まれていく。
そのあとをスピカ、カノンが続き、最後に城戸が渦の中へと入っていった……。
今回の学外ミッションは、『星空の魔女』の持つ宝石、『碧星の結晶』を奪取すること。
異界 《永遠の夜》
ファンタジー系の幻界(イマーゴ)。
危険度 B(剣と魔法のファンタジーレベル)。
この世界の一角に、『星空の魔女』と呼ばれる悪しき支配者が住んでいる。
その魔女の持つ財宝の中でも、特に『碧星の結晶』は現世の貨幣に代えられないほど希少価値の高いものとされる。
今回のミッションは、これを奪って学園まで持ち帰ることが目的となる。
この手のミッションはゲームなどでよくあるが、実際にやるとなると強盗とたいして変わらない。
しかし魔女のほうはそれこそゲームのように挑戦者を待ち受けているようなのだ。
このようにゲームを基にしていると思われる異界は非常に多い。
このミッションには、これまで学園から三つのチームが派遣されて挑んだが、いずれも失敗していた。
『星空の魔女』は非常に入り組んだ迷宮の中に居をかまえており、この迷宮を突破することができなかったのだ。
魔女の二つ名から、この迷宮を《星空の迷宮》と呼ぶようになった。
ミッション成功には、この迷宮の謎を解いて魔女の住処へたどり着く必要がある。
城戸は空を見上げて息を飲んだ。
本読が感嘆の声をあげる。
「きれい……っ」
満点の星空だった。
現世ではプラネタリウムかCGでもなければ見られないような、非現実的な美しい星空が空一面に広がっていた。
まばゆい輝きを放つ一等星、そのそばにかしずく二等星から五等星たち。
空に大きく横たわる天の川。
彩を添える大小の渦巻き銀河。
積乱雲のごときガス星雲。
朧ろにかすむ、小さな『二つの月』。
思い思いに飛び交う流れ星たち。
星の色もさまざまだ。
ルビーのような赤い星、サファイアのような青い星、エメラルドのような緑の星、トパーズのような黄色い星、真珠のような白い星、オパールのような虹色の星。
見る角度によって色合いを変える星もある。
そしてこの世界の夜空は、さらなる展開を見せた。
無数の星々で創り出される天宙が、動いていたのだ。
「空全体が動いている?」
でたらめに動いているわけではない。
流れ星を除くすべての星が、同じ方角から昇り、弧を描いて天を渡り、反対側の方角に沈んでいる。
「これは、星の運行がすごいスピードで進んでいるのか」
昇った星を目で追いかけていくと、ものの数分で頂点に来る。
星の動きとしてはありえないほどのスピードだった。
「たしかにきれいだが、なんか目が回るな」
あまり見続けると平衡感覚を失いそうだ。
「目的の場所はどこだ」
カノンが口を開いた。
女性と見紛うほどの美貌に反して、低い響きのある声色だ。
本読がスマホで地図と方位磁針を表示した。
当然、異世界ではネットはできないが、アプリなどほかの機能は使える。
『星空の魔女』のいる場所はこれまでの調査でわかっており、引率代理を勤める本読は学園側から情報をもらっているらしい。
「ここから徒歩で二時間ってとこよ。道はないけど、さえぎるものはないから問題なくたどり着けると思う」
「わかった」
「え~、二時間も歩きぃ? まあいいけどぉ」
本読紗夜子を先頭に、スピカ、カノン、城戸の順で夜の荒野を進んでいった。
会話の少ない、粛々とした行軍だった。
時折り、スピカが本読に話しかける声が聞こえてくるが、多く耳に入るのはこの世界の自然の音だった。
現世の秋にも似た虫の鳴き声。
涼しい夜風のそよぎ。
遠く木の枝が揺れてざわめく枝葉。
満天の星と、二つの月のおかげで、夜といえどかなり明るかった。
荒野の道なき道も、転んだりつまずいたりすることもなく歩くことができる。
周りの景色もよく見渡せる。
最後尾を歩く城戸からは、前を行く三人の後ろ姿がはっきりと見えた。
カノンはスラックスのポケットに両手を突っ込んだまま、ゆったりと大股を開いて進んでいる。
無造作に腰まで伸ばした髪が赤く輝き、闇夜に残像を引く。
よく見ると耳にはイヤホンが入っており、陶然とした表情を浮かべていた。
どうやら好きな音楽に浸っているようだ。
そこから少し離れて前のほうにスピカが歩いている。
小さく跳ねるような独特の歩き方だ。
制服のスカートの丈をかなり上げているせいで、太ももが露わになっている。下着すら見えそう、と言うかチラッと見えている。
この女子は重度のスマホ依存で、今も歩きながらスマホを熱心にいじっている。
時々、緑色の髪が光も当たっていないのに色合いが変わる。
明るい若草色に、目に優しい青葉色に、暗く滲む柚葉色に。
城戸やカノンの髪もそうだが、色素を含む体組織の『偏光』は、共通して罹患している病の三主徴(トリロジー)の一つである。
そして先頭には静かに歩を進める引率代理、本読紗夜子。
歩きながら今どき紙の本を読み耽っている。
こちらは私服で、チェック柄のカジュアルなワンピースを着ていた。
ロングの黒髪が背中に流れて、歩くたび左右に揺れる。
この髪、実は単に黒いわけではなかった。
これもまた偏光の一つ、奇妙にもあらゆる光をぬぐい取ってしまうせいで、墨で塗ったように艶がない。
漆黒でもない、烏の濡れ羽色でもない、宇宙のような暗黒色だ。
星明かりを受けて、その黒髪は夜の中で奇妙に浮いて見えた。
やがて生垣で囲まれた建物が見えてきた。
建物というより‘’庭園”という印象を受ける。
生垣は人の背丈くらいの蔓と棘のある植物でできており、それらは密に絡み合って隙間のない緑の壁と化している。
壁にはつつましやかな黄色い花が、ところどころに顔を出している。
背伸びして生垣の向こうをのぞいてみると、明かりの灯る鉄柱や、草の巻きついたアーチが目に入った。
緑の生垣は左右どこまでも続き、終わりが見えない。
ぐるぐると回転する夜空の下、緑の庭園が静かにたたずんでいる。
情報によると、内部は複雑な迷路となっており、その中心部に魔女の住む家がある(はず)だという。
緑の生垣で囲まれた巨大迷路。
それが今回の目的地、《星空の迷宮》であった。
この迷宮には明らかな入り口があった。
ただし、二つ。
石を削って作られた大きな両開きの門が二つあった。
二つの門にはモンスターを模した石像が門番のように置かれている。
門の前には石碑が立てられ、そこに文字が刻まれていた。
『『
怪力無双の英雄、マグマトラン。七つの試練を与えられる。
三つ目の試練は、山奥の小国の王が所有する黄金の羊の毛皮を奪うこと。
しかし彼をよく思わない女神シィクンが邪魔をする。
山奥の小国へ至る山道に『偽の道』を作り、『正しい道』と『偽の道』、二つの道にモンスターを番人として立てた。
女神に忠実な下僕、『三つ首の竜』と『双頭の狼』だ。
番人のうち、
どちらか一方は正直者で嘘はつかない。
どちらか一方は嘘つきで反対のことを言う。
番人は「はい」か「いいえ」でしか返事をしない。
そして番人に話しかけるのは、どちらか片方に一度きり。
さて英雄マグマトラン、『正しい道』を選ぶには、どちらの番人に何と質問すればよい??
』』
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