第4話 ③ グリンロッド・グリンガム
二人目の訪問者の名前は、グリンロッド・グリンガム。
三年D組。公称十八才、男性。
友好関係にある異界から交換留学生としてやってきた異界人だ。
出身の異界では、辺境の王国の第三王子だったという。
なので王子グリンロッドと呼ばれている。
被害者、赤松妖美との関係は不明。
同じクラス・学年ではないし、特に仲が良かったという話も聞かない。
性格は常に気取っているナルシスト。
留学に来たわりには学業に熱心でなく、気分が乗らないなどと言っては平然と授業をサボったりする。
今日も特に理由なく欠席していたらしい。
ちなみに生徒や教師のような異能はないが、細身剣(レイピア)の達人である。
城戸と本読のふたりは、監視カメラの映像をもう一度見返した。
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最初の訪問者、青木火香璃が去ったあと——。
午前十一時頃、映像に特徴のある服装の人物が現れた。
おそらく故郷の民族衣装なのだろう、学園指定の制服とはあきらかに異なる服装だ。
首と腕には飾りが、腰には光を照り返す細身剣がつるされている。
頭には後ろへねじ曲がった角が何本か生えているのが見えた。
有名人だから城戸も外見を知っている。
異界の王子、グリンロッド・グリンガムに違いなかった。
グリンロッドは被害者の部屋のドアを大儀そうに叩くと、少し待った。
そしてドアが開き、中へ誘われた。
二十分ほどして出てきて階段を降りて帰っていったが……。
なぜか数分後、再び戻ってきた。
またドアをノックし、中へ入る。今度は十分くらいで出てきた。
「ここ、さっき見たときも思ったが、なんで戻ったんだろうな」
本読が首をひねりながら「忘れ物でもしたのかしら」とつぶやいた。
「ちょっと戻してみる」
映像を戻すと、グリンロッドは一度部屋を出てから階段へ行ったあと、すぐには降りずに立ち止まっているのが分かった。
「ほらこれ、王子の角じゃないか」
「ほんとだわ」
完全に体は映像から見えなくなっているが、頭の後ろに伸びた角の先っちょが映像内に見切れている。
それはそのまま一分ほど動かなかった。
その後、きびすを返してグリンロッドは再び二階へ上がってきた。
「忘れ物を思い出すのに、一分動かずにいるのは変じゃないかな」
城戸はちょっと引っかかったが、本読はそうでもないようだ。
「そうかしら。思い出すのに一分くらいかかるのって、そんなに変? 立ち止まってポケットやカバンに入ってないか探してたのかもしれないし」
「この階段にカメラは」
「待って、うーん……あったわ」
踊り場に設置された監視カメラに、同時刻の映像が残っていた。
だがグリンロッドの立ち姿しか映っていない。
よく見ると顔が少し下を向いているようだ。
「じっと下を向いて、何を見てるんだろう」
「わからない。足元までは映ってないわ」
映像はグリンロッドの腰から上しか映っていない。
「ほかに階段の映像はある?」
「いえ、ないわね」
「そうか」
残念ながら、監視カメラはくまなくすべてを見渡すように配置されていない。
どこかしらに死角がある。
この寮の一階と二階を結ぶ階段の、二階から降りたすぐの段、その下方部分はちょうどその死角にあたるようだ。
エネルギー映像には問題はない。魔法や異能の類は使われていないようだ。
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少し気になるが、ひとまず本人に会いに行くことにした。
被害者を訪れた二番目の人物、グリンロッド・グリンガムは甘いスマイルとともに二人を出迎えた。
「ふうー、ようこそ、余の部屋へ」
背景にバラの花が似合いそうなキザったらしさだった。
オリエンタルな着物とでも表現しようか、独特の民族衣装を着ている。
かたわらに装飾のほどこされた細身剣を置いていた。
あいさつをして名乗ってから、城戸は質問を切り出した。
「さっそくですが、王子には赤松妖美さんの事件のことでいくつか聞きたいことがあります。よろしいですか」
「かまわぬ。変に気をつかわず聞くがよい」
グリンロッドは、友好関係にある異界からの留学生で、王族という立場の人物だ。
なので中には気をつかう人間もいる。
と言っても、異界は《現世の人間の空想から産まれた世界》である。
その異界に住む住人は、物語の登場人物そのものと言える。
異界の辺境にある小国の第三王子、グリンロッド・グリンガムとはそういう設定のキャラクターなのだ。
そのことを知っているので、城戸たち学園の生徒の多くはあまり気負わず付き合っている。
「王子はどうして今日、赤松妖美さんの部屋へ行ったのですか」
「野暮用があったのだ。ふうー」
甘いため息とともに、グリンロッドは悩ましげな流し目を送ってきた。
「どんな御用だったのですか」
「頼まれていたものをわたすためだ。本来ならば向こうが取りに来るべきだが、彼女は自宅謹慎の身。仕方なく余のほうが出向くことにしたのだ」
グリンロッドは、ザアッと首元まで伸ばした髪をかき上げた。
長い指から美しい緑色の髪がこぼれる。その奥に金色の瞳がのぞく。
「お二人は仲が良かったのですか」
「いや? 二、三回話した程度だが」
白磁のような歯を見せて、ほほえんだ。
「赤松妖美さんとはどういうご関係だったか、聞いてもいいですか」
組んだ手にあごを乗せ、足を組み直した。
「特にこれといって何も。強いて言うなら学友か」
そう言ってグリンロッドはまた髪をかき上げた。
城戸と本読は顔を見合わせた。
ナルシストというのは聞いていたが、これはくどい。
そういう設定なのだと城戸はあきらめることにした。
「彼女にわたしたものは何ですか」
「んー」
グリンロッドは答えず、じっと城戸と本読をながめている。
「教えていただけませんか」
「んー、秘密だ」
いきなり肩透かしをくらって体が傾いだ。
「では、会って何を話されましたか」
「んん~、それも秘密だ」
城戸はグリンロッドの表情をうかがった。
自信と自己愛たっぷりだが、特に悪意や敵意といったものは感じられない。
「では質問を変えますが、赤松さんの部屋から一度出たあと、もう一度戻っていますね。それはなぜですか」
「戻った……そうだな、たしかに一度戻った。何か言い忘れたことがあったのだ。べつにたいした意味はない」
城戸は王子グリンロッドの顔を見つめた。
王子の表情は変わらない。
「一度部屋を出たとき、階段で少し立ち止まっていましたね。しばらく下を向いて何をしていましたか」
「ううーむ、下を向いていただと?」
「ええ、そうです。下を向いていました」
王子はぽんっと手を打った。
「ああ、そうそう。たしか女性(にょしょう)に話しかけられたな」
「にょ……、ああ女性(じょせい)。誰ですか?」
「さあな。誰だったかな。余が女性(にょしょう)に話しかけられるのはよくあること。いちいち記憶に留めたりはせぬ。女性(にょしょう)たちは余の魅力のために話しかけずにはおれないのであろう。我ながら罪なことだと思う。ふうー」
王子は甘いため息をついて、手をぱたぱたとふった。
本読が城戸の肩を指でつついた。
「ねえ、わたし外で待ってていい?」
「いや、それはちょっと困る……」
本読は酸っぱいものを含んだみたいな顔をしている。整った顔が台なしだ。
グリンロッドとの会話につかれたのはわかるが、こちらとて二人っきりにされたくない。
とにかく早く話を終えるしかないと考えた。
「話を戻しますが、赤松さんに何をわたしたのか、どうしても教えていただけませんか」
「ふうん? 聞いてどうするのだ」
「捜査に必要なことです」
「余に答える義務があるとでも?」
「いいえ。答えないなら、答えなかったと報告書に記載されるだけです」
「ほお……。それはひょっとして余をおどしておるのか」
「そうではありませんが、そうとらえてもらっても結構です」
グリンロッドは椅子の背にもたれかけ、芝居がかったようすで天井を仰いだ。
しばらくそうしてから、体を起こした。
「ふーむ、まあ、よいか」
そう言ってグリンロッドは、城戸を正面から見すえてきた。
美形だがどこか凶暴な顔つきに、思わず気圧される。
「これは他言無用でお願いしたい。無論、学園側にもだ」
「……うけたまわります」
「余は彼女から、内緒で脱走の相談をされていたのだ」
「っ! 本当ですか、それは」
王子グリンロッドの話によると、被害者、赤松妖美はグリンロッドの故郷の異界に逃げようとしていたのだという。
この学園に強制入所させられて脱走を試みる生徒は少なくないが、成功したものはほとんどいない。
赤松妖美も前回の学外ミッションの際に脱走したが、結局最後は捕まっている。
「逃げるって、いったいどうやって」
「我が故郷に《魔界》へ行き来できる異世界トンネルがある。《魔界》でのミッション中にそこを通って我が故郷へ入りたい、とのことであった」
「無理ですよ、そんなのすぐ見つけられます」
「だろうな。余もそう言った」
学園上層部の探索能力は優秀だ。
透明化は強力な異能だが、それだけではあっという間に探し出されてしまうだろう。
「彼女は捕まる前に逃げるから大丈夫と言って聞かなかった。わずかな時間しか滞在しない、すぐに出て行くから異世界トンネルを通って入らせてほしい、そう頼んできたのだ」
「それで、なんと答えたんですか」
「あまりにしつこく頼むので引き受けることにした。《魔界》にある異世界トンネルの場所を教え、故郷にこっそり手紙を送ってトンネルから入国するための手形も手に入れた。今日はその手形をわたすために部屋へ行ったのだ」
城戸は内心おどろいていた。
王子はけっこう危ない橋をわたったのではないか。
手続き自体はそうでもないだろう。だが学園には違反行為ととらえられかねない。
だから他言無用と念押ししてきたのだ。
「手形は赤松さんにわたしたのですか」
「うむ、たしかにわたした」
「つかぬことを聞きますが、無償でしてあげたのですか」
「いいや、無論ただではない。こちらの生活は何かと入り用なのでな。余は王子と言えど所詮は小国の王子、金には常に困っておる。ふっ、情けない話だがな」
「いくらで引き受けましたか」
聞くと、かなりの額だった。
学生ではあり得ないくらい、ブランドもののバッグがいくつか買えるほどの額だ。
「今は手持ちがないというので、後日必ず払うという約束だった。それもこうなってはどうにもならないが」
「え、後払いですか」
ずいぶん甘いと思った。
相手が女性だからだろうか。
それとも貴族ゆえに浮世離れしているのか。
だいたいの話は聞くことができたと思った。
「では最後になりますが、王子がいつも身につけている剣、そこにある細身剣をちょっと見せてもらえませんか」
「ふー。なんだ、余を疑っておるのか。まさか余が彼女を斬って殺したとでも?」
「念のためです、お願いします」
「仮に切ったとして、凶器をそのままにしておくわけがなかろう。愚問ではないか」
「一応、確認です」
「いいだろう。ちょっとと言わず、とくと見るがいい」
グリンロッドは、かたわらに置かれた細身剣を両手で持って真横にかまえ、ずらりと刀身を抜いた。
銀色に輝く光がまっすぐに伸びている。
「どうだ、美しかろう。グリンガム家に代々伝わる魔剣『コフィン・ラーデン』だ」
「これがそうですか。はじめて見ました」
噂には聞いていた。
グリンロッドの持つ細身剣は、金属の刃ではない。
いわゆるビームサーベルだ。
目を凝らすと、銀色に光る粒子が柄から高速で循環している。
これでは人を斬った形跡、脂汚れや血曇りはわからないな……。
「これは、切れ味はいいのでしょうね」
「無論だ」
「連続して斬ることも?」
「当然。むしろ、それこそが細身剣の真骨頂である。刃こぼれせず、切れ味が落ちないこの剣で敵を無慈悲に切り刻むのだ。そして力尽きたところを最後は首をきれいに切って落とす。それが余の剣の流儀である」
城戸はじっと魔剣を見つめた。
「この剣、今日誰かに触らせましたか」
グリンロッドは大げさにかぶりを振った。
「これは誕生日に父王からいただいた大切な剣。今まで誰にも触れさせたことはない。もっとも契約者である余以外が触れても刀身は現れぬがな」
「他人には使えないのですか」
「うむ。扱えぬ」
「王子が最後に剣を抜いたのはいつですか」
「昨夜だ。手入れのためにな」
城戸は、グリンロッドの視線が一瞬泳いだのを見逃さなかった。
「間違いないですか」
「間違いない」
長いまつ毛が、まばたきで何度かゆれた。
「ちなみに、その剣で人を切ったことは」
「こちらに留学してからは一度もない」
また視線が泳いだ。
長い指でほほを撫で、唇をなめた。
「もちろん、赤松妖美のことも傷つけてはおらん」
言ってふたたび、まばたきをした。
異界の王子、グリンロッド・グリンガムは胸に手を当てて、城戸と本読に語りかけた。
「そなたたち、余のことを少なからず疑っておるのだろう。だが信じてほしい、余は赤松の首を切ったりなどしておらぬ。父と祖先と、我が国の名にかけて誓おう」
「わかりました。犯人でないことを我々も願っていますよ。では、これで失礼します」
「王子と被害者との間で、連絡をしていた形跡は見つからなかったわ」
グリンロッドの部屋を出てエントランスに戻ったあと、本読が文庫本を開いてそう言った。
「万が一にもバレたらまずいから、やり取りは全部口頭ですましていたのかもな」
本読の異能は、アーカイブに記された記録をどこからでも読み取ることができる。
だが、どこにも載っていないもの、例えば録音されていない秘密の会話などは知ることができない。
「口頭……、そうかもしれないわね」
本読は平坦な声でつぶやいた。
見れば冷たい顔をしている。
「どうした?」
「被害者、赤松妖美のことよ」
「赤松さんがどうかしたのか」
本読は「どうしたもこうしたも」と少しいらだちを見せながら答えた。
「今まで二回も脱走。しかも仲間を見捨てて。それでもあきらめずに、異界人まで頼る。そこまでして逃げたいものかしら」
「気持ちはわかるよ。ここは現世から隔離されているようなものだから」
「そお? けっこう自由にさせてもらえてるじゃない。それに逃げてもどうせ捕まるわ。わたしは逃げるくらいなら、学園側の心証を良くして内申点を上げる」
「本読みたいなやつばかりじゃない」
本読紗夜子は尚も納得いかない様子で「逃げても何の得にもならないじゃない」と小声で続けた。
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