第2話 ① 赤松妖美(あかまつ・ようみ)

 学生寮の四号館の一室に入ると、すぐに異臭が鼻をついた。

 血の鉄臭さと、すえた腐敗臭だ。


 リビングに足を踏み入れて城戸は絶句した。

 そこには想像をこえる光景があった。

 赤黒く変色したかたまりが部屋の片隅に大量に飛び散っていた。

 人間の痕跡がほとんど残っていない悲惨な状況だ。


「これはむごい」


 電話で担任の教師は「ミンチ」と言っていた。不謹慎だがその表現がぴったりだった。

 心配になってとなりを向くと、本読紗夜子は平然とたたずんでいる。

 長い黒髪にふちどられた端正な顔立ちは微動だにしていない。


「本読。この生徒のこと、教えてほしい」


「わかったわ」


 本読紗夜子は肩掛けバッグから文庫サイズの本を取りだした。

 ぱらぱらとめくると、本からほのかに燐光が立ち上る。

 本読紗夜子はこの本を通して、アーカイブに記録されている情報ならなんでも読み取ることができる。


「二年A組、赤松妖美(あかまつ・ようみ)。公称十七才、女性。性格はキツめで他人への当たりが強い。異界へのあこがれが強いのか、たびたび脱走を企てている。異能は【透明化】と【見えない刃を出す】こと。家族構成や出身まではいい?」


「ん、ありがと」


 学園に入れられる前の情報は、とりあえずいらないと考えた。


「被害者の名前、赤松……聞いたことあるな。ちょっと前に脱走して捕まったばかりじゃなかったか?」


「ええ。噂になってたわね」


 魔界での学外ミッション中に強力な魔族に襲われ、引率の教師を含め三人が死亡、一人が重症を負った事件だ。

 このとき赤松妖美は一人だけ逃げ出して行方をくらました。

 そして数日後、魔界の街で潜伏しているところを学園の探索班に発見され、連れ戻されたという。


「これ幸いと逃げたみたいね」


「へえ、強そうな能力なのにな。透明化と見えない刃なんて、いかにも不意打ち、暗殺向きって感じじゃないか」


「そうね」


 本読は指でページを繰った。


「うん、実績があるわ。《魔界》の第三師団の将軍を討ち取ったのも、《花園》の女王を暗殺したのも彼女だって」


「それはすごい」


 城戸は飛び散った死体をながめた。

 衣服や内臓、骨まで念入りに寸断されて、原型をとどめていない。

 まさにミンチだ。

 ここまでされていると、殺意や狂気よりも何か意図的なものを感じる。


「部屋は荒らされてないみたいだな」


「一応、先生方が簡単に検分したらしいけど、特に物色された形跡はないって。ただスマホだけは見つかってないらしいわ」


「犯人が持ち去ったのかな」


「そうかもね。体といっしょにバラバラにされたのかもしれないけど」


「う~ん」


 ざっと見た感じ、死体のなかに衣服の切れ端はたくさん混ざっているが、機械類の部品やその残骸はなさそうだった。



 二人が教師から聞いた、死体発見の経緯はこうだ——。


 今日の午後三時頃、ほかの生徒が被害者の部屋に訪ねてきたが、なにも反応がなかった。

 不審に思いドアに手をかけると鍵がかかっていない。

 ドアを開けたところ異臭がしたので、あわてて部屋の中に入ったところ、死体を発見したという。


「午後三時って、学校は休んでたのか」


「被害者はミッション中に脱走したことで、無期限の自宅謹慎中だったらしいわ」


「なるほど」


 城戸はミンチになった死体のなかに妙な盛り上がりを見つけた。

 くまなく切り刻まれている肉塊に、一カ所だけうずたかくなっているところがある。

 手袋をしてそっと赤黒い肉塊をどけると、肘から先だけの腕が出てきた。

 左腕のようだった。


「徹底的に刻まれているのに、どうして左手だけ……」


 その左手を慎重に持ち上げてみた。

 切り口は鮮やかで、美しさすら感じる。


 振り返って本読に聞いた。


「赤松妖美の写真、見せてほしい」


「了解」


 本読はバッグから片手でタブレット端末を取り出した。

 もう片手に持った文庫本をパラパラめくると、青い燐光が何度かゆらめく。

 すると同じ一人の女性をおさめた写真や動画が、タブレットに数十枚も並んで出てきた。

 被害者、赤松妖美だった。

 背は低め、やせ型の体格、銀色の髪をウェーブにしている。

 目つきはするどく、陰気な光をたたえている。動画では甲高く嗄れた声をしていた。


 一見して恐い、と思った。


 写真や動画は一人で写っているものが多く、誰かと話したり並んだりしているものはほとんどない。

 城戸は写真の左手をよく観察した。

 腕の長さ、手のひらの大きさ、指の形や長さ、爪の形、肌質、などなど。

 そのなかで親指と手首の間に特徴のあるホクロを見つけた。

 血だまりに落ちている腕と見比べてみる。

 ホクロは写真と同じところにある。詳しい検査は後日学園上層部が行うことになるが、とりあえずこの左腕は赤松妖美のものと考えてよさそうだ。


「死体を最初に見つけた生徒は誰なの」


「情報屋。いわくつきのやつ」


 本読は苦虫をかみつぶしたような顔をした。


「ああ、あいつか」


「もっとも、今日この部屋に来たのはそいつだけじゃないわ。監視カメラの映像では『五人の生徒』がこの部屋に出入りしてる」


「容疑者となるのは、とりあえずその五人か。死体の様子は第一発見者のそいつ以外、知らないよな?」


「知らないと思うわ。先生が教えるとも思えないし」


「じゃあ、その五人のこと、教えてくれるか」


「ええ、りょーかい」


 城戸は部屋を出入りしたという五人の生徒について、本読から簡単に説明を受けた。

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