第12話
目の前に、大量の鮮血が飛び散る。
だけど不思議な事に、ちっとも痛みを感じない。
訳が分からないけれど、体が勝手に動いて、剣をネメアの体に深々と突き刺した。
パリ―ン!
核をしっかりと破壊した手ごたえを感じる。
ネメアは普通なら、何十人がかりで倒すような魔獣だ。
どうやって倒したかなんて、俺にも分からない。
そんなことどうでもよくなるくらい、重大なことが、今目の前で起きていたから。
「バトラー?」
目の前に、グシャッと音がして倒れたバトラーがいて。
力なく伏せるバトラーを、慌ててひっくり返す。
動かさない方がいいとかいう段階の怪我ではない。
傷口を押さえようにも、どこから押さえたらいいのかすら分からない。
そのぐらいの、大きな穴から、大量の血液と共に、バトラーの命がこぼれ続けていた。
「バトラー! バトラー!!」
俺の呼びかけに少しだけ、目が開いた気がした。それだけだった。
――ほんの少し、最期に一言、話す余裕さえないのか。
「……イヤだ。ダメだダメだ! バトラー! 目を開けろ!!!!!!!」
――頼むから。お願いだから。
「ヒール≪治療魔法≫!」
サラの声がした。
屋敷で待っているはずのサラがなぜ今ここに。救援を呼びに行った兵士たちが、呼んだのか?
フォセットならこの時間で着くだろうが、救援の兵士たちが、この時間で屋敷まで行けたとは思えない。
サラは必死の形相で、バトラーに、治療魔法をかけてくれる。
服も手も、真っ赤に染まる事など意にも介さず。
――しかしこれ……これが、ここから、治るのか? こんなに血が流れて。どうやって……。
「バトラー……バトラー! 死ぬなよ!! 絶対にだ」
血液が凍り付いたかのような恐怖で全身が震える。
父上が魔獣に殺されて。落ち込んだ母上が病に倒れて後を追うようにして死んだ後、俺の家族と言えるような存在はこいつだけになっていた。
また失うことを恐れて、新しく大切なものを作らないようにしていた俺の、頼れる側近であり、兄であり、親友の、全ての役割をこいつ一人が引き受けていた。
これまで何人もの兵士達を、冷静に送ってきたけれど。とてもそんな余裕はない。
「お前に死なれたら困るんだよ!! お前だけは! 絶対に! 死ぬな!」
子どものように泣き叫ぶ。
子どもの時、怒って、泣いて、喚いたら、「仕方ないですねー」って言って、いつもコイツが折れて、願いを叶えてくれたから。
だからそうすればきっと、作り物のように白くなった顔のバトラーが、目を開けてくれるに違いないと信じて。
「サラ……頼む。頼む……」
「ヒール! ……ヒール! ……ヒール!!」
サラは全身を血に染めながら、何度も何度も、治療魔法を重ね掛けしてくれた。
でも「大丈夫」とは、一言も言ってくれない。
こんなことになるなら、サラとも出会わなければよかったんだろうか。
サラに出会っていなければ、俺はきっと全てのことに絶望できて、この世から逃げだすこともできたかもしれないのに。
俺が愛した人は、死ぬんだろうか。
サラを新しく愛してしまったせいで、バトラーは死んだのだろうか。
サラもまた、すぐに俺の前から去っていってしまうんだろうか。
「頼むから……」
「いや……、情熱的すぎでしょ」
いつものバトラーの減らず口が聞こえた気がする。
でも絶対に気のせいだと思って、顔を上げられない。
顔を上げて、またあの白い顔を見たら、今度こそ俺は立ち上がれなくなるから。
「仕方ないだろう。家族はお前しかいなかったんだから」
だから顔を伏せたまま、呟いてみた。
「はー……本当にサラ様と結婚できて、良かったですね。シリウス様」
これは夢だろうか。幻聴だろうか。
とてもか細く弱々しいけれど、いつものバトラーの減らず口が、確かに聞こえる。
ここでやっと恐る恐る顔を上げて、バトラーの表情を覗き込む。
相変わらず、とても生きているとは思えない、作り物のように真っ白な顔。
よくこれで、減らず口を叩けたものだ。
「……いいからもう寝てろ。顔色悪いぞ」
その俺の言葉に、フッと口元だけで笑って、バトラーは安心したように目を閉じた。
数多くの死を見てきたから分かる。もう大丈夫だと。
「サラ、ありがとう。本当にありがとう」
涙が次から次へと溢れてくる。
サラを守るといいながら、守られているのはいつも、俺のほうだ。
「ありがとう」
バトラーが助かったことに安心しすぎて、俺はこの時のサラがどんな表情をしていたか、思い出せない。
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