ヤンデレさんはお風呂にしたい


食後、ソファに並んで座り貴方へと寄りかかる彼女は心地良さそうに呟く。


「ふう、お腹も心もいっぱいになった」


「とても幸せな気分……貴方はどう?」


「ふふふ……この時間がずっと……永遠に続けばいいのに」


幸せに満ちた時間を噛み締める彼女であったが、不意に小さく呟いた。


「──それかここで終わらせるか」


「生きていればどうしたって辛い事は訪れる。それを忘れる為には癒しが必要」


「でもいくら癒されたって、生きていくにはまたそこに傷を付けなきゃいけない。貴方にはそんな思いをして欲しくないの」


貴方にピッタリとくっついた彼女が、徐々に貴方の体を這い上がり、耳元で囁く。


「ずっ──っとここで、外の全ての悪いものから守られて、貴方はただ生きているだけでいい」


「何かに立ち向かう必要なんてないし、何かを目指そうとする必要もない」


「分かる?ここが貴方の楽園なの。私が貴方の為に用意した場所。ここが世界の全て」


「私の全てをもって貴方を愛するから、それ以外必要ない。そうでしょ?」


そこで不意に彼女は離れた。


「……私、少し汗臭かったかもしれない」


「カレーを食べて汗をかいたし……そろそろお風呂の時間」


「貴方も汗を流したい?室内は適温を保っているけど汗はかく筈だから、入浴はした方がいい」


「ご飯の前にセットしたから、そろそろお湯が溜まる……」


彼女の言う通り、お風呂が沸きましたと自動給湯の通知音が聞こえた。


「ほら、完璧。手際良く行くよう準備するのが好きなの。貴方が何かを欲しいと思ったなら、こうして用意しておくから」


「私が洗ってあげる。お風呂に入りましょう」



◆◆◆


貴方は彼女に連れられて浴室までやって来た。

椅子に座らされ、背後からは彼女の声が聞こえる。


「防錆加工してある鎖とはいえ、水に触れるとなると少し気になる……今度からお風呂は耐熱ロープに変えてみる?」


「ふふふ……貴方は拘束の仕方に拘りはないものね。私の好きにする」


「肩からシャワーを掛けるから、リラックスして……」


肩口から、背中へと……ゆっくり全身に暖かいシャワー浴びて貴方は段々とリラックスしてゆく。

そんな様子を見て彼女も楽しげだ。


「頭も掛けるから、呼吸に気を付けて」


貴方の頭の上で、シャワーの水音がパチパチと細かく弾む。


「こうしていると、貴方の頭の形がよく分かる。この向こうに骨があって、貴方を貴方たらしめている脳が収められているんだと思うとドキドキする……」


「それだけじゃない。頭から流れるお湯が貴方の体の形を明確にしている。凹凸に沿って流れが生まれて……頬から首筋、鎖骨に流れて胸を落ちてゆく」


「もっと無防備な状態を私に晒して。少し爪を立てれば赤い血が湧き出るような柔らかな貴方の肌……」


「──ああ、これから綺麗にするのに汚しちゃいけない。頭、洗うから目を閉じて」


彼女はシャワーを止めて、シャンプーを手に取る。ノズルを押し込み手のひらで伸ばすと、濡れた貴方の髪に馴染ませ始めた。


「ふふふ……痒いところはございませんか?」


わしゃわしゃと、泡立つ音が頭を包み込んで広がってゆく。


「ここ……とか?ここは?どうかな?心地良い?」


「頭皮も優しく……ん、髪少し伸びたね」


「大丈夫、髪が伸びたら私が切る。貴方に似合う髪型を色々考えているの」


「上手く切れるかは分からないけれど、どんな髪型でも貴方は素敵だと思うから」


頭皮への軽いマッサージを織り交ぜながら、洗髪は続く。


「使っているシャンプーは私と同じ。どんどん同じ匂いになっていくね」


「貴方から知らない匂いが消えて、貴方の匂いと私の匂いだけがする。そんな状態が理想なの」


「だからしっかり洗わないと……貴方と外との繋がりが消えるように」


貴方の頭に触れる力と、彼女の語気がにわかに強くなる。


「でも、全然消えない」


「食べるものも、着る服も、ベッドも変えたのに……!洗っても洗っても貴女の中に私以外の存在がある……っ!」


貴方は閉じた視界の中で、声が背後から移動した事で彼女が正面に立っている事に気が付いた。


「ねぇ……何か隠してない?私に、言えないような事が、何か」


「……ある?」


「私、知ってるの」


「貴方に渡したスマホには色々と制限を掛けているけど、それでも貴方が退屈しないように考えて渡したの。その信頼を貴方は裏切った」


「分からない?どんな操作をしているのか、私は全てチェックしてる」


「──私を裏切るのッ!?」


ピシャリと湿ったビンタの音が浴室に響く。


「っ……これは、貴方が悪いって!分かる!?私、大きな声を出すのも暴力も嫌いなの」


「貴方の拘束は鎖だけ。鎖の届く範囲の移動を許してるのは信頼の証なのに……貴方には私が必要、私には貴方が必要なのに!貴方は裏切った……!」


「っ!………ふぅ、ふぅ……警告するのはこれで最後。次は指を落とすし、酷ければ脚の腱を切るから」


「何?ただビンタしただけ。そんなに大袈裟に反応する程じゃない筈。体はまだ洗ってない所が沢山あるんだから」


ペタペタと、水を踏む足音が背後に回る。


「頭、流すから」


貴方の頭にシャワーが掛かる。

泡が流れ落ちる水音が怒気を含んだ彼女の息遣いを僅かに掻き消す。


「ほら体を起こして、腕を伸ばして。早く」


貴方の体を泡だったボディスポンジが滑る。

ザラザラとした凹凸のある生地が擦れる音と、細かく泡の弾ける音がリズムよく響く。


「……うん。一緒に暮らすようになってから貴方の腕、細くなった……とても良い事」


「全て私がなんとかするから。気にしなくていい」


「他も洗うから抵抗しないで」


「背中のこんな所にほくろがあるって、貴方は知ってた?私は貴方以上に貴方の事を理解している。全身のほくろの位置も、耳の溝の形も……心の事も分かってる」


「貴方は私が好き。好きなの。そうでしょ?頷いて?」


「ふふふひひ……ふたりならきっと幸せな人生を送れるから、心配しないで」


「何も考えなくていい。私の言葉を聞いていれば何も怖くないの。痛い事も辛い事も感じずに、幸せでいられる。貴方は素晴らしい人だって、私が貴方を肯定する」


顔を寄せたのだろう、耳に彼女の吐息がかかる。


「ずっと一緒にいましょう。それが1番正しい形。これが人生のゴールなの。あとは私が貴方に幸せを享受させる」


「未来への不安なんてない毎日。私がご飯を食べさせてあげる。私がお風呂に入れてあげる。何も考えず、ただ私を愛してくれるだけでいいの」


「誰も、助けになんか来ないんだから」


「震えてる?寒いの?大丈夫。私が温めてあげる」


彼女が背後から貴方を抱き締めて優しく囁く。


「怖がらないで。貴方は今まで頑張ってきた。だからそのぶん癒される必要があるの。ゆっくりと心を休めて、好きで頭をいっぱいにしましょう」


彼女の囁きの余韻が、シャワーの水音に溶けて消えてゆく……

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