第21話「魂の融和、新たな勇気」

 爽やかな風が丘を吹き抜ける午後、リリィは羊たちを引き連れて、いつものように放牧に出かけていました。ムーンとサニーが忠実に彼女の側で羊たちを見守る中、リリィは草原に広がる花々の香りを楽しんでいました。


「今日もいい天気だね。羊さんたち、たくさん食べてね」


 リリィはそう呟きながら、のんびりと過ごす羊たちを微笑ましく見つめていました。

 しかし、その平和な時間は突然、不穏な空気に包まれます。


 ムーンとサニーが急に耳を立て、低い声で唸り始めたのです。


「どうしたの? ムーン、サニー」


 リリィが不安げに二匹を見つめると、彼らは警戒するように森の方を凝視していました。リリィもその視線を追うと、そこには一匹の狼が立っているのが見えました。


「え……?」


 リリィの心臓が高鳴り始めます。今すぐ両親を呼びに行きたい気持ちはありましたが、それでは間に合わないことは明らかでした。自分でなんとかしなければ、羊たちが……。


 その瞬間、リリィの中で何かが変化しました。

 前世のジェイムズ・コナーの意識が強く立ち上がったのです。


「前に出ちゃだめ!」


 リリィは咄嗟にムーンとサニーを制しました。

 刹那、ジェイムズだった頃の記憶が鮮明によみがえります。

 森での任務中、野生の狼と戦って撃退した経験が、今のリリィの中で生々しく蘇ってきたのです。


 リリィは深呼吸をして、自分にできることを瞬時に判断します。

 5歳の女の子の体では、狼と直接戦うことはできません。

 でも、ジェイムズの経験を活かせば……。


「ムーン、サニー、羊さんたちを守って!」


 リリィは二匹に指示を出すと、大きな声を出しながら手を叩き始めました。

 同時に、近くにあった棒を拾い上げ、さらに柵を叩いてより大きな音を立てます。


「はっ! はっ!」


 狼は一瞬、躊躇したように見えました。

 リリィはその隙を逃さず、さらに大きな音を立てます。

 羊たちも不安げに鳴き声を上げ、ムーンとサニーも吠え始めました。


 森の中から鳥たちが驚いて飛び立ち、周囲は騒然となります。

 一種異様な雰囲気が立ち込め始めました。

 狼はしばらく様子を窺っていましたが、やがてゆっくりと後ずさりし始めました。


「帰れ! ここはおまえの来る場所じゃない!」


 リリィの声には、5歳の少女とは思えない威厳が感じられました。

 今まさに、ジェイムズ・コナーの経験が彼女を通して発揮されているのです。


 狼はしばらくリリィたちを見つめていましたが、何かを感じ取ったのか、最終的には諦めたように森の中へとすごすご姿を消しました。


 危機が去ったことを確認すると、リリィはその場にへたり込みました。


「あれ……? あたし、泣いてる……?」


 頬を伝う涙に、リリィは驚きました。


 狼への恐怖?


 もちろんそれもありましたが、それだけではありませんでした。

 自分の中のジェイムズが泣いていたのです。

 あのジェイムズが……。


 それはまた無意味に命を奪われるのではないかという恐怖。

 そして何より、今のこの幸せな環境を失うかもしれないという怯え……。

 ジェイムズはまるで子供のように大泣きしていました。


 リリィはそっと、自分の中のジェイムズを抱きしめます。


「大丈夫だよ。もう怖くないよ。あたしたちは、ちゃんとここにいるんだから」


 ジェイムズの恐怖と怯えは、リリィの優しさに包まれ、ゆっくりと溶けていきました。そして再び、彼はリリィの意識の奥底へと静かに沈んでいきます。


 泣いているリリィを心配して、ムーンとサニーが寄ってきました。

 二匹は「くーん、くーん」と鳴きながら、優しくリリィの顔を舐めます。


「ありがとう、ムーン、サニー……」


 リリィは袖で涙を拭うと、少し照れくさそうに二匹を撫でました。


「あたしは大丈夫だから心配しないで! あたしはリリィ! リリィ・ブルームフィールドなんだから!」


 その言葉には、自分自身への強い誓いが込められていました。

 リリィは立ち上がると、羊たちの無事を確認します。

 幸い、怪我をした羊は一頭もいませんでした。


「今日のことは内緒だよ、ムーン、サニー。パパとママが心配するといけないからね!」


 リリィはにっこりと笑顔を見せると、羊たちを集め始めました。

 夕暮れが近づいています。今日は少し早めに帰ろう、とリリィは決めました。


 家路につく途中、リリィは時折後ろを振り返りました。

 もう狼の姿は見えません。けれど、どこか胸の奥がざわざわとしています。


(これからも、いろんなことがあるかもしれない。でも、大丈夫。あたしはリリィだもん。パパとママ、それにムーンとサニー……みんなに守られているんだもん!)


 そう思いながら、リリィは少し大人びた表情で歩を進めます。

 今日の出来事は、きっと彼女の中で大切な思い出として、そして新たな勇気の源として残っていくことでしょう。


 夕焼けに染まる空の下、リリィと羊たち、そしてムーンとサニーの姿が、のどかな田舎道をゆっくりと進んでいきました。

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