第4話「小さな命の大きな奇跡」

 真夜中、リリィは突然目を覚ました。外は静寂に包まれているはずなのに、何か違和感があった。耳を澄ませると、牛舎の方から微かに異様な物音が聞こえてくる。


(モモの声が……何かおかしい……)


 リリィは躊躇なくベッドから飛び出した。素早く上着を羽織り、こっそりと家を抜け出す。


 満月の光に照らされた庭を横切り、牛舎へと向かう。近づくにつれ、モモの苦しげな鳴き声がはっきりと聞こえてきた。


 牛舎のドアを開けると、そこにはうずくまるモモの姿があった。その大きな瞳には苦痛の色が浮かんでいる。


「モモ……大丈夫?」


 リリィが優しく声をかけると、モモは小さく鳴いて応えた。


(これは……もしかして……!)


 リリィの脳裏に、前世で目にした家畜の出産シーンが蘇る。急いで家に戻り、両親を起こした。


「パパ、ママ! モモが苦しんでる! 赤ちゃんが生まれそう!」


 両親は驚きつつも、すぐさま状況を理解した。


「よし、分かった。すぐに行こう」


 父が落ち着いた声で言う。母は毛布と清潔なタオルを手に取った。


 家族三人で牛舎に駆けつけると、モモの状態はさらに深刻になっていた。


「ど、どうしよう……」


 母が不安そうに呟く。父も困惑の表情を浮かべている。牛のお産は父も母も初めてだった。村の長老はモモの出産はまだ先だろうと言っていたからだ。


 その時、リリィは前世の記憶を頼りに、冷静に状況を分析した。


「パパ、ママ。モモの後ろに回って、お産を手伝わなきゃ」


 両親は驚いた顔でリリィを見つめる。


「リリィ、どうしてそんなことを……?」


「え、えっと……本で読んだの」


 リリィは言い訳をしつつ、具体的な指示を出し始めた。


「ママ、お湯を温めて。パパ、モモの横に座って落ち着かせて」


 両親は少し戸惑いながらも、リリィの指示に従った。

 リリィ自身は、モモの後ろに回り、状況を確認する。


(よし、順調みたい)


 時間が経つにつれ、子牛の姿が少しずつ見えてきた。


「あと少し! モモ、頑張って!」


 リリィの励ましの声に、モモは最後の力を振り絞る。


 そして――


「生まれた!」


 小さな子牛が、この世に姿を現した。

 リリィは手早くタオルで子牛の体を拭き、鼻や口の周りをきれいにする。


「おめでとう、モモ!」


 リリィは感動で目頭が熱くなるのを感じた。モモは優しく子牛を舐め始める。その光景に、家族全員が言葉を失った。


「リリィ、すごいわ。よく知ってたわね」


 母が感心した様子で言う。


「本当だ。リリィのおかげで無事に生まれたんだ」


 父も誇らしげだ。


 リリィは両親の言葉に、ほっとすると同時に、温かいものが胸の中に広がるのを感じた。


(私、また役に立てたんだ)


 その瞬間、リリィは自分が完全にこの家族の一員であることを実感した。前世の記憶は、もはや苦しみの源ではなく、大切な人々を助けるための知恵となっていた。


 夜が明けるころ、子牛は無事に立ち上がり、初めての授乳を始めた。


「リリィ、この子牛の名前を付けてみないか?」


 父の提案に、リリィは目を輝かせた。


「うん! えっと……ハナって名前はどう? だって、新しい命の花が咲いたみたいだから」


「素敵な名前ね」


 母が優しく微笑む。


 その日から、リリィはハナの世話を任されることになった。毎朝早く起きて、餌やりや掃除を手伝う。時には大変なこともあったが、ハナの成長を見守る喜びはそれ以上だった。


 ある日、ハナに餌をやりながら、リリィはふと考えた。


(前世では、命を奪うことしかしてこなかった。でも今は、命を育む側にいるんだわ)


 その思いに、リリィの目に涙が浮かんだ。

 それは悲しみの涙ではなく、深い感謝と喜びの涙だった。


「ハナ、元気で大きくなってね」


 リリィがそっとハナの頭を撫でると、ハナは嬉しそうに鳴いた。


 牛舎から出ると、朝日が美しく昇っていた。新しい一日の始まり。リリィは深呼吸をして、清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


(今日も、幸せな一日になりそう)


 そう思いながら、リリィは軽やかな足取りで家路についた。彼女の心には、かつてない充実感が満ちていた。


 これが、リリィの新しい人生。命を慈しみ、育み、守る人生。前世とはまったく違う、しかし限りなく尊い日々が、ここにはあった。


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