第39話 花火
化けの皮が剥がれてすっかり小物に成り下がった魔導士の男は、なおも無様に喚き続けた。
「倉庫には爆薬も仕掛けてある! 私に何かあったらもろとも吹き飛ぶぞ!」
「そんなの回収済みに決まってるじゃん。この道が本当に隊長の散歩ルートだと思ってた?」
屈んで顔を覗き込みながらルカが無慈悲に言う。
そう、彼らが僕を誘い込んだのではない。わざと人気の少ないエリアと男の拠点をルート上に組み込み、仕掛けやすい場所の見当をつけさせた。港以外にも少々治安の悪い下町の裏通り、廃工場のそばなども通り、あたかも自分たちで選んだように錯覚させた。
「ちょっと想定より派手に屋根が吹っ飛んだけど……。経費下りる?」
「大丈夫でしょ」
ルカが言うならたぶん大丈夫だ。
ちなみにこの倉庫は先日乾燥機を納品したばかりの干物工場が昔使っていた古い建物だ。連中が目を付けたことがわかった時点で『建国祭で最新の花火を打ち上げる場所として使わせてほしい。まだ試作段階で、実験中に倉庫を損壊する可能性があるのでその際には新築費用を負担する』と軍のほうから交渉し、中の荷物は壊れて問題ないものに入れ替え済みだ。
「全部……、思惑通り……?」
「あんたらがしたことと同じことしただけだよ?」
最後にルカがにこっと良い笑顔で笑い、呆然とする男を前にして、僕は引き金に指をかけた。
「待て、お前はもう民間人だっただろう!? 人間を撃つのは――」
最後まで小賢しい男だ。潔く笑いながら死んだイサンドロとは似ても似つかない。
「死んだ人間に法律が適用されると思うか。今度こそちゃんと殺してやるよ、亡霊」
***
外から聞こえたドン、という大きな音に驚いて、風呂上がりのユルヤナは恐る恐る雑貨店のドアを開けて外を覗いた。
「しまったなー、消音弾すら使えない練度だとは思わなかった……」
何やら物騒な独り言が聞こえた気がしたが、見覚えのある大きな人影が近くの路地から出てきたのを見て安心した。
「トーマくん?」
「あっ、ユルヤナさん。こんばんは」
軍の頼み事というくらいだからきっとまた【第四】のメンバーとつるんでいるのだと思っていたユルヤナは、相変わらずにこにこと愛想が良い笑顔のトーマが一人で店の前にいることに怪訝な顔をする。
「ツクモと一緒じゃなかったの?」
「今日は違うんです。花火がここからも見えるか確認してほしいって言われて」
「花火? もしかしてさっきの音?」
「はい。でも見えませんでした」
「まあ、両側がこれじゃあね……」
ただでさえごみごみとした下町の中でも両脇を背の高い集合住宅に囲まれた一軒家で、普段から日当たりの悪い立地だ。見晴らしなど望むべくもない。
「もしかしてツクモ、建国祭で打ち上げる花火作らされてたの?」
「そうなんですよ。せっかく作るんだから、当日に店からも見えればいいのにって」
「なんだ、魔銃の音と似てたからびっくりしたじゃん」
「街中で発砲するわけじゃないじゃないですか」
トーマはやだなーと緩く笑い、ユルヤナもだよねー、と笑い返した。
「せっかくだしお茶でも飲んでいく? そろそろツクモも帰ってくるでしょ」
「いいんですか? ありがとうございます」
「そうだ、ツクモの軍人時代のこと教えてよ。本人には聞けないからさ――」
ドアが閉まり、二人が明るく話す声がくぐもって、やがて聞こえなくなる。路地の暗闇に額を撃ち抜かれた死体が積み上がっていることに周辺住民が気付く前に、目立たない格好の男たちがぞろぞろとやってきて速やかに回収していった。
***
イサンドロのなりそこないは虚ろに目を開けたまま、額から血を流して事切れていた。近くで待機していた別部隊の隊員たちによって慌ただしく消火活動と後処理が行われている様子を遠くの出来事のように眺めながら、顔についた返り血を適当に袖で拭こうとしたら、ルカがその腕を掴んでタオルを渡してきた。
「相変わらず変なとこでずぼらだなあ。とりあえず外に出よ?」
「わかった……」
ルカと一緒に倉庫を離れ、作業の邪魔にならないよう海の方に向かうと、一面に星空が広がっていた。強めの海風はまだ少し冷たい。
「大きな怪我がなくてよかった。俺が治そうか?」
「いや、自分でできるよ」
瓦礫を被った時についた細かい擦り傷や打撲を、治癒魔法を発動して治す。
「普段はこれくらいの傷なら放っとくのに。やっぱり証拠隠滅がいちばん手間だな……」
しかもユルヤナを心配させないためだけに魔導士三人がかり。王族相手よりも手厚い保護じゃないだろうか。
「おかげで隊長が自分の身体を大切にしてくれるようになって嬉しいけどねえ」
水の魔法で濡らしたタオルでそんざいに顔を拭いていると、ルカは腰に手を当てて首を振り、大きなため息をついた。
「髪もちゃんと拭きなよ。ユルヤナちゃんに気付かれたくないんでしょ」
「ああ、そっか」
念のため血が目立たない黒い上着を着て着替えも持ってきたけど、髪のことはうっかりしていた。こちらも真っ黒なので見た目ではわかりづらいとはいえ、臭いはあるかもしれない。念入りに拭くと思ったよりタオルに色が移り、微かに血の臭いがした途端、視界が歪む。
「うわっ! 隊長、今頃?」
真っ直ぐ立てなくなってふらついた僕をルカが慌てて支えてくれた。少し気が緩んだ途端にこれだ。ゆっくりその場に屈んで、深呼吸する。
「もう隊長じゃない……」
こんなところで気絶するわけにはいかないので、いつもの軽口で平静を取り戻すことを試みる。目を開けているとぐるぐると揺れて気持ち悪いけど、目を閉じると助けられなかった人、殺した相手の顔、血だまりと瓦礫、あらゆる場面がフラッシュバックするので開けていたほうがまだマシだ。
「隊長は隊長だよお。そのために席空けさせてんだから」
「そんなことに権力を使うな」
いくら婚外子でも、軍を統括する名門貴族の息子として軍の中で無視できない影響力を持っているルカが唯一押し通しているわがままが、よりによって『ツクモ・クライス以外が【第四】の隊長になることを認めない』という内容だ。僕のことなんか放っておけば、とっくに僕が退役した時よりも上の階級に昇進しているはずなのに。
「……何言われても、戻らないよ」
「なんで?」
「やっと、やりたいことを自分で選べた気がするから」
ユルヤナ、カナエさん、食堂の皆と常連さん、ジュンシーさん、その他軍を辞めてから知り合った人たちや家族の顔を順に思い浮かべているうちに、少しずつ目眩が治まってきた。彼らが平和に笑って暮らすためならできる限りのことはするけど、それ以上のものはもう抱えきれない。
するとルカは髪をくしゃくしゃと掻き、はぁーあ、と呆れた声を上げて立ち上がった。
「そんな顔されたら何も言えないじゃん」
「どんな顔?」
「隊長はしないような顔」
そして手を差し出す。
「帰ろ、そろそろトーマが誤魔化すのも限界だと思うし」
「うん」
手を借りて立ち上がり、着替えて他に血が飛んでいるところがないか調べていると、キールが僕たちを見つけて走ってきた。
「隊長送ってくるから、あと任せていい?」
「えーっ!」
隊長呼びは変わらないのかよ。
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