第38話 魔法封じ

 イサンドロは人身売買組織の幹部の中で唯一の魔導士で、異色の存在だった。大半が金儲けのために動いているのに対し、奴は攫ってきた人間から魔導士の素質がある者を見つけては廃人になるまで人体実験に使っていたことから、首領よりもよほど要注意人物としてマークされていた。


 軍が乗り込む前に自らの研究施設に火をつけ、その非人道的な実験の目的がわかる前に本人を殺す羽目になってしまったので、今となっては何の研究をしていたのかはわからない。でもあの場で手加減をしたら死ぬのは僕の方だった。




 誘われているなと思いながら、わざとらしく強い魔力を発している倉庫に向かう。腕時計の時間を確認すると夜の八時を回っていた。ユルヤナはもう食堂から帰って、僕がいないのをいいことに長風呂をしている頃だろうと思いながら、重い扉を開ける。


 警棒を構え、目が慣れてきたところでそろりと中に入った。高い位置にある窓から僅かに月明かりが差し込み、木箱が雑多に積まれているだけの広い空間の奥に進むと、積まれた木箱の上にあぐらを掻いて座っている人影があった。灯火トーチを発動してその顔を照らす。


「……来たな、ツクモ・クライス」


 しゃがれた声が低く唸った。刺青があった半分が爛れていても、間違いなくイサンドロの顔と声だ。


「その様子だと、私の顔を覚えているみたいだな」

「覚えてるよ。確かに殺したことも」


 僕が今まで対峙した中でも特に命の危険を覚えた相手な上、指折りの特徴的な外見だ。簡単に忘れられるわけがない。するとイサンドロはフンと鼻を鳴らした。


「だがこうして生きている」

「僕に何の用? 復讐?」


 テロや王族の暗殺が目的なら、首都中に軍が配備されているこの時期に顔を晒して目立つメリットがない。むしろ軍に見つけられたがっていることを考えると、殺した張本人である僕の耳に情報が入ることを見越してわざとやっている可能性が高い。つまり狙いは建国祭ではなく僕自身だというのがルカの見立てで、僕も同意した。


「大勢に襲わせて、満足した?」

「まさか。あいつらがやりたいと言ったから好きにさせただけだ」


 木箱から降りたイサンドロは大げさに肩をすくめて首を振った。


「お前に一撃入れられるようなら、没落することもなかっただろうが」


 主要な連中は今も牢の中、もしくは既に死んでいるので、逃げ延びた貴族は元から端の端、取り逃がしたところで何の影響もないと判断された奴らだ。今となっては平民中流家庭のクライス家のほうがよほど良い暮らしぶりをしていると言っていい。もしかするとそれも彼らのプライドを傷つけたのかもしれない。


「じゃあなんで仲間に引き入れた」

「首都に顔が利くから使っていた。それが勝手に徒党を組んで暴走しはじめたんで、いい加減煩わしくなっていたところでな」


 つまりそろそろ縁を切ろうと思っていたからついでに僕にけしかけたと。逆恨みも甚だしいので同情の余地はないけど、どこまでも可哀想な連中だ。


「健在で何よりだ、【二つ星の悪魔】。お前は直接殺さないと気が済まない」


 途端にイサンドロの顔から軽薄な笑みが消え、僕の足元が淡く光った。灯火トーチの光が霧散し、散歩中常時かけていた身体強化魔法が切れて身体が重くなる。


「【魔法封じアンチマジック】か」


 僕がこの位置に立つように、わざとわかりやすい場所に姿を現して誘導したらしい。【魔法封じアンチマジック】は魔力で描いた魔導式を打ち消すことで発動しないようにする仕組みで、仕掛けた魔導士の魔力が尽きるか意識がなくなるか、一定以上の距離を取らない限り発動し続ける。


「これでお前はもう魔導士ではない」


 顔が大きく歪み、火傷の跡が引き攣る。


「安心しろ、すぐには殺さん。【ヘイル】」


 腕を高く上げたイサンドロの指先が光る。空中に氷の粒が大量に出現し、営利に尖った先端が僕に狙いを定めた。振り下ろされた腕とともに氷の粒が一斉に降り注ぎ、破裂音に近いダダダダッという音が倉庫内に反響する。


 直接襲いかかってくる氷と衝撃によって崩れる木箱を避ける。僕をなぶり殺しにしようとしているだけあって、致命傷をわざと避けるような軌道だった。躱すのはそう難しくない。


「あのデカい奴でもいれば盾にもなっただろうに」


暗闇から笑い声が聞こえた。トーマのことも知っているのか。僕は瓦礫の中から飛び出し、声を頼りに一気に距離を詰める。振り抜いた警棒の先端を下がって避けながらイサンドロは呟く。


「【影踏みシャドウタグ】」


 もう一歩踏み込もうとした僕の足を影が捕捉した。右脚にまとわりついた影は少し引っ張ったくらいでは外れない。そして魔法が使えない今は解除することもできない。


「哀れなものだな、魔法が使えない魔導士というのは!」


 高らかに笑うシルエットに向けて鞄から取り出した細いナイフを投擲すると、刺さる直前で透明な盾に阻まれた。同時に目の前の男とは別の魔力を左方に感知して、振り向きもせずに次のナイフを投げる。暗闇の中から男の悲鳴が聞こえ、一拍置いて倒れる音がした。やっぱり仲間が潜んでいたか。


「よく喋るな。そんな奴だったっけ」


 僕がぽつりと投げかけた言葉にイサンドロは眉をひそめる。


「魔法が使えないのに僕が焦ってないのが不満か? 平静を保つのは魔導士の基本だろ?」


 魔法の威力と精度は感情に左右されるため常に冷静でいる必要がある。というのは魔導士科の授業で最初に教わり、卒業するまで口酸っぱく言われ続けることだ。言っている教師も感情的になることが多かったことを考えると、あくまでも理想論だけど。


「あんたこそずいぶん焦ってるみたいだけどどうしたの? まさかさっきので終わりじゃないよな」

「【氷雨アイスレイン】!」


 魔法が発動する直前に見えた表情は、僕の挑発に乗って激昂しているようだった。


「どこまで馬鹿にすれば気が済む! 【礫嵐ロックストーム】! 【爆炎フレアブラスト】!」


 大小の石を内包する暴風が吹き荒れ倉庫内の荷物を巻き込んで粉砕し、屋根を吹き飛ばし、火炎弾が降り注いで瓦礫に火をつけた。


「は、はは……。私のほうが上だ、お前なんかより……っ」


 火傷の跡を引き攣らせながら笑う姿が、木箱に燃え移る炎に照らされる。


「魔導士としては、そうのかもね」

「ぐっ!?」


 煙に紛れて撃った魔銃の弾が、勝利を確信して隙だらけになっていた身体に巻き付いた。拘束弾だ。足に向けて更に一発。これで立つこともできなくなった。


「なんで、防護壁が……」


 形勢を逆転されたことよりも、僕の周りにドーム状の透明な壁が展開していることに驚いているところは魔導士らしい。


「残念だけど、僕は魔導士の前に魔導技師なんだ」


 さすがトーマの防御魔法を参考にして作った魔導機械、良い耐久性だ。腕時計に偽装しておいたおかげで全く気付かれなかった。


「そんな、魔導機械ごときで私の魔法を防げるわけが!」

「魔導機械のことなんか何も知らないくせに。現に防げてる」


 狙いが魔導士として名が知られている僕なら魔法の対策を打ってくると踏んだ。そして魔導士らしく魔導機械をナメていることも想定できた。そして対魔導士戦の定番である 【魔法封じアンチマジック】で封じることができるのは魔法だけで、物理的に式が刻んである魔導具や魔導機械の回路には反応しないし、魔力を放出すること自体を防ぐものではないので貯蓄器に込めることもできる。


 というわけで今回は腕時計型にすることで身体に密着させ、必要量を装着者から勝手に吸って発動するようにした。平均的な魔力量の持ち主だとすぐに枯渇する危険があるのであくまでも僕専用だ。製品化するならリミッターを付ける。


「大きな魔法をあれだけ撃ったんだ。もう大して魔力は残ってないだろ」


 挑発に乗ってくれて良かった。案の定僕の足を固定していた影の力はすっかり弱まり、魔銃一発分の解除弾で簡単に解けた。【魔法封じアンチマジック】に使っている魔力を回せば拘束くらい解けるだろうけど、そうすると僕が本格的に魔法を使えるようになってしまう。


「確かに哀れだ、魔法が使えない魔導士は」


 額に銃口を突きつけると、無力化された魔導士は急に早口で喚きはじめた。


「お前と一緒にいるあの銀髪! うちから逃げた『商品』だろう! あいつがどうなってもいいのか!?」


 それを聞いて、僕は身体からスッと熱が引いていくような感覚に陥った。


「……やっぱりお前、イサンドロじゃないな」

「は?」

「あの人でなしが、一般向け商品だった人間のことなんかいちいち覚えてるわけがない」


 実験材料として自分で集めた人間すら全て番号で呼んでいたような男だ。あの組織にいたのも、おそらく効率良く被検体を入手できるから籍を置いていただけ。ちょっと見目が良いくらいでは奴の記憶には残らない。


「何を言って……」

「その顔は魔法で似せたのか? 組織内の人間っていうより、燃えた研究所の職員ってとこかな。火傷は自前か」


 表情が歪んだところを見ると正解らしい。目的が僕だとわかった時から違和感はあった。イサンドロは組織を潰されたからといって報復なんかしない。僕に執着する理由があるとすれば被検体としてだろうから、殺意を向けられた時点で違うと確信した。――きっとこいつは、高位の魔導士だったイサンドロを信仰していたのだろう。


「ま、待て、私を殺したら」

「店をあんたの仲間が襲撃するって? なんで僕がここに一人で来たと思ってる」


 市民の安全を考えてとか、祭りの準備を邪魔しないためとか、そんな献身的なものじゃない。店を戦場にしないためだ。


「いい加減降参しなよお。お前が相手してんのは、王国軍きっての魔導士部隊、【第四】の隊長様だぞ!」


 狙撃銃を携えてにやにや笑いながらルカが堂々と入ってきた。後ろからそろりとキールも。


「まさか……」


 一人足りないことに気付いたようだ。こんなこともあろうかと、店には王国軍で一番守りの堅い男を置いてきた。

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