第37話 前夜祭
その日の夜から僕は、首都の西側を時間をかけて歩き回った。いかにもただ散歩している風を装って上着のポケットに手を突っ込んで身体を丸め、しばらくふらふらと歩いてから大通りに出て、西に向かって伸びる石畳を港に向かって歩く。夕焼けの港を暗くなるまで散歩して、またふらふらと適当な道を通って帰るだけ。
散歩を始めてから二日間は何も起きずに終わり、ほどよい疲れで少し寝付きが良くなっただけだった。
そして三日目、いよいよ明日から建国祭が始まるという日になると、昼間にやってくる駆け込み客の要望もハードだった。
「孫くん! ギリギリに本当にごめんなさい!」
僕がモモタ・クライスの孫だという話はどこまで広まっているのか、『孫』と呼ぶ人が圧倒的に多い。次いで『二代目』、稀に『店主さん』。三つ目の呼び方をするのは比較的若い人ばかりなので、僕と同じように二代目か三代目なのだろう。食堂で顔を合わせる常連さんたちは最近ようやくツクモと呼んでくれるようになった。
「今朝使おうとしたら突然動かなくなって……。特急で直せない?」
困り果てて泣きそうな顔になっているのは、ユルヤナがたまに食べているクレープ屋のオーナーだ。持ってきたのは丸い鉄板が乗った専用の焼き器だった。
「いけると思います」
使いすぎで少し調子が悪くなっているだけのようだ。これくらいならすぐに直せる。
「今日中に間に合う?」
「はい。ええと……。午後二時以降に取りに来れますか?」
「大丈夫! 本当にありがとう!」
そんな依頼を筆頭にかわるがわる誰かがやってきて、中には明日朝一で取りにきてもいいかという人までいた。休むつもりだったのに。
いつもより閉店時間が遅くなったのに今日も出かけようとする僕に、ユルヤナは
「そっちの仕事まだ終わんないの?」
と小言を言ってきた。
「たぶん今日で終わるよ」
と僕は適当なことを言い、正面入口の鍵をかけて散歩を始めた。
夕方は少し遅くなるだけでも空の色がずいぶん違う。歩いていくうちに夕日が建物に隠れて見えなくなった。赤い空が高い所から少しずつ紺色に染まっていき、港に着く頃には水平線から円の端がほんの少し覗くだけになっていた。
目を細めてぼんやりと眺めているうちにその光も見えなくなり、海と空の境目を区切るグラデーションの幅が徐々に狭まっていく。岸壁にちゃぷちゃぷと波が当たる音だけが断続的に聞こえる中、不意に彼女が言った言葉を思い出した。
『あたし、この時間が一番好きだなあ』
もう何の任務だったかも忘れたけど、二人で見張りをしている時だったと思う。
『なんで? 見えづらくて困らない?』
そういえば、あの時も海の近くでの任務だった。磯の香りがする強い風が吹く中、周囲の全てが黒いシルエットだけになる。彼女は少し離れた場所にいて、スコープを覗いていた横顔がこちらを向いた。
『良いものも悪いものも全部一緒に見えるじゃん。人の顔もよくわかんなくなってさ』
それの何が良いのか僕にはわからなかったけど、いつも自信ありげな顔をしている彼女の顔が一瞬泣きそうに見えた。よく見えなかったからただの錯覚かもしれない。
感傷にふけっている間に水平線はうっすらとほの明るく光るだけになる。それも消え、いよいよ灯りが月と転落防止の小さなライトだけになると、僕はまた歩き出した。ここ二日そうしていたように、港に並ぶ倉庫の間の狭い路地に入る。月明かりでできた建物の陰に、僕の身体が全て隠れた時だった。
微かに聞こえた砂利を踏む音に合わせて、僕はポケットに突っ込んでいた手を出して振った。甲高い金属音とともに火花が散る。
「なっ!?」
覆面の男が僕の手にあるものを視認する前に相手の武器を叩き落とす。狭い場所で使うのだからナイフだと見当を付けておいたら当たりだ。思わず武器を追って視線が逸れた瞬間に、本日の僕の武器、伸縮警棒の柄でこめかみに一撃入れて昏倒させる。
「怯むな!」
崩れ落ちる覆面男とは別の男の声が壁に反響し、人の気配と逆方向に僕は走り出す。来た道を戻れば広い場所に出られるけど、複数人で狭そうに路地に入ってきたので倉庫街の奥に進むしかない。魔銃の弾が数発飛んできたけど、消音すらしていない素の弾だった。
「【
「うわっ」
追ってきた連中は、僕が路地を出る直前に仕掛けた網に見事に引っかかった。一瞬振り返って確認すると、武器はナイフ、警棒、魔銃とまちまち。
「……魔導士はいないのか」
殺傷力はないけど、魔法の素養がない人間が
隣り合った倉庫と倉庫の間は狭いものの、向かい合う出入り口の間を通る道は魔導車が乗り入れられるように広く取られているため、比較的見晴らしが良い。ただし、
「ずいぶん集めたなあ……」
その倉庫の中からぞろぞろと無個性な服装の武装した集団が現れ、僕を取り囲んた。
「僕一人に何人がかりだよ」
災害級の魔獣が相手でももっと少ないぞ。派遣されるのは訓練された軍人だけど。
「お、お前のせいでうちは潰れたんだ」
その中の一人、ひょろりとした男が魔銃を構える手を震わせながら言った。軍用よりも大きいので、明らかに使い慣れていない彼が持つには違法だと思う。
「なるほど。あの組織とつるんでた貴族の」
よくこの人数を集められたなと感心していたら、あの事件で摘発された元貴族や関係者の恨みを煽って参加させたらしい。
「なんで僕なんだよ。恨むなら軍だろ」
「実行したのはお前だろう!」
興奮した様子で発砲するが、僕の頭から拳一つ分以上離れた場所を斜め上に通過していった。
「外すと仲間に当たるからやめたほうがいい」
「うるさい!」
もう一発撃ったせいで、僕の背後にいた連中が慌てて軌道に入りそうなラインを空けた。ここから逃げてやろうか。
「あの現場にお前がいたことはわかってるんだよ、【二つ星の悪魔】!」
「……あの新聞記事か」
どうやら僕の顔が小さく写っていた写真を見て、僕がやったのだと吹き込まれたらしい。確かにイサンドロをやったのは僕だけど、一人で潰したわけじゃないのに酷い言われようだ。
「それで? こんなに大勢で僕を殺しにきたのか」
「そうだ! 一族の仇、晴らさせてもらう! かかれ!」
いくら僕が魔導士でも、二十人近い人数が一斉にかかってきたら対応できないと考えたようだ。しかし。
「【
「うわあぁっ!?」
「ひいっ」
武装集団の足元に突如魔導式が浮かび上がり、発生した黒い影が手足に絡みついてあちこちから悲鳴が上がる。何の対策もせずに暢気に散歩してただけなわけないだろう。というか、僕が魔導士だと知っているくせに近接武器が大半なのはどうかと思う。
「悪魔! 悪魔だ!」
「助けて! 殺される!」
それはさておき、僕はここに来るまでずっと違和感を覚えていた。
「……イサンドロは何を考えてるんだ?」
こんな計画とも言えない杜撰な報復の仕方はイサンドロの手口ではない。奴のもとに集まったという残党も、せっかく事前に顔写真を見せてもらって覚えたのに混ざっていない。おそらく、今は魔銃を取り落として這いつくばっている名も知らぬ没落貴族が立てたものだ。きっと彼らは大した情報も持っていない。
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