第35話 準備

 ナイフの見積もりを送るとすぐに複数本発注したいと返事が来て、そのうちに乾燥機の本体も完成したと連絡があり、平行して作業を進めている間に着々と建国祭が近づいてきていた。

 なんとかどちらも納品して、ルカからの報告を待ちながら自分でも少し調べてみようと思っていたら、


「孫! これ直せないか?」

「やってみます」

「建国祭の飾りに使いたいんだけど、こういう商品ってないかしら」

「ちょっと待っててください」

「二代目、昔買ったこれと同じのってある?」

「確認します」


 急にあちこちから建国祭に間に合わせたいという客が駆け込んできて対応に追われた。閉店後に過去の帳簿を調べたら、やはり毎年同じ時期に発注や修理の数が増加していたことがわかった。


「関係ない店まで忙しくなるなんて聞いてない……」


 帳簿に資料に部品に魔導式にと、細かいものを見過ぎて目がおかしくなりそうだ。いくら機械を弄るのが好きでもさすがに今日はもう何も見たくないと目を瞑ってソファに転がったところで、ふわりと花のような匂いが顔に近づいてきた。


「仕事が増えるのはいいことじゃん」


 なんの断りもなく突然降ってきたのは蒸しタオルだった。驚いたけど、気持ちが良かったのでそのまま世話になる。


「何の匂い?」

「精油だよ。いい香りでしょ」


 花の匂いだと思ったとおり、ラベンダーから抽出されたオイルの匂いらしい。タオルを浸す湯に少しだけ垂らすのだそうだ。


「そういうものもあるんだ」

「匂いって記憶に残りやすいんだって。だからいい匂いを嗅ぐと気分も良くなるんだよ」

「へえ……」


 確かに、特定の匂いを嗅ぐと急に当時のことを思い出すことが多い。嫌な出来事と結びついている匂いもある。


「ツクモほどじゃないけどおれも疲れたなー」


 何も見えないけど、どさっと椅子に座る音がしたことから推察するに、ユルヤナ自身も同じようにタオルを目に当てて休んでいるようだった。


「おかげさまで助かってる」


単純に僕の手が離せない時に接客を任せられるというだけではない。年齢も性別も超えていくユルヤナの愛嬌の良さがなかったら、僕一人ではこんなにスムーズに対応できなかったと思う。


「ついでにこっちの売り上げも上々だよ」


 特にハンドクリームは、女性はもちろん手仕事をする男性も買っていくらしい。確かにどちらかというと職人側の人間にもかかわらず傷一つないユルヤナの手を見たら、どんな対策をしているのか気になるのはわかる。見た目を気にしない人間でも、ささくれやあかぎれの痛みを予防できるのであれば、少しくらい手入れをするのはやぶさかではないのだ。あと単純にユルヤナの営業トークが上手い。


「でも、ホントに大きなイベントなんだっていうのは身に染みてわかった」


 来年はもっと上手くやる、と呻くような声がした。既に来年も居候を続ける予定があるらしい。


「毎年やるんだから、みんなもっと早めに準備すればいいのにな……」


 腐るものでもないのだから、日程がわかり次第準備を始めればこんなに直前で慌てなくてもいいだろうに。


「でも機械とか道具ってさ、使う時になって急に壊れない?」

「それはある……」


 その時期にしか使わないものは特にそうだ。去年の時点で不調だったものを修理するのを忘れていたり、埃を被ったまま急に起動して不具合を起こしたりと、理由は多岐にわたる。


「まあ、人間にも言えるけどね。ちゃんと身体動かしたほうがいいよ、やっぱり」


***


 『身体を動かしたほうがいい』は単純に工房に籠りがちなことに対して言っていただけだと思うけど、現役の頃に比べてかなり鈍ってしまった状態で、想定される最悪の事態にどこまで対処できるだろうか。

 翌朝、食事を取っている時に急に不安になって、鞄に仕舞い込んでいた魔銃を久しぶりに取り出して工房で分解整備しているところをユルヤナに見つかった。


「自分の魔銃も持ってたんだ」

「一応ね」


 前にトーマが持ってきた軍用よりやや細身の拳銃は、ハンター以外の民間人が持てる中では最大のサイズだ。と言っても僕の場合このサイズしか持てないから持っているのではなく、軍人時代からずっと使っている。


 住居側入口から外に出て庭の角に金属製の的を設置し、できる限り距離を取るために対角線上に移動した。


「ここって安全?」

「そこなら大丈夫」


 ユルヤナは玄関ポーチの階段に腰掛けた。僕が的に向かって構える様子を、頬杖を突いて眺める。目を閉じてゆっくり息を吸って、吐いてから、まずは的の中心に一発当てた。カン、と軽い音がする。


「あれ? 発砲音がしなかった」

「消音弾だよ。近所迷惑になるから」


 魔銃の良いところとして、魔力が尽きない限りは弾切れを気にしなくていいことのほかに、弾を自分で操作できるということがある。ただ強い力で発射するだけでなく、魔法の効果を付与できるのだ。その最たるものが発砲時の轟音を最小限に減らす消音弾で、任務中に一番よく使ったと言っても過言ではない。物に当たった時の音しかしないのでどんな場所でも使いやすい。先日トーマの銃を整備した時にはうっかり忘れていて、後でハンナさんから『すごい音がしたけど大丈夫?』と心配されてしまった。


 気を取り直し、的の四隅を狙って一発ずつ。六発目は水の弾に変えて中央へ。再装填して同じ動作を繰り返し、今度は最後の一発を火の弾に。


「おおー」


 もはや身体が覚えている一連の動作に対して、路上パフォーマンスを見る時のようにユルヤナが拍手した。


「さすが、【二つ星の悪魔】だっけ? 全部命中してるじゃん」

「いや、ダメだった」


 二巡目が数発、一巡目の跡から少しずれている。訓練を怠ってはならないことを痛感し、朝晩に時間を取って練習することを決心した頃、


「やっぱりこっちにいた。話し声がすると思ったんだあ」


 休日仕様でピアスまみれのルカが現れた。調査結果の報告だ。

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