第32話 兆候
ほんの数日空けただけなのに久しぶりに帰ったような気分になりながら、入口の扉に掲示していた『仕入れのため数日休みます』という張り紙を剥がして鍵を開けた。ユルヤナは郵便受けに溜まった手紙とチラシを引っ張り出して確認している。
「何か来てる?」
「んー、特には」
横から覗き込んだところ、量の割に本当に大したものは届いていなかった。痩せ薬とか毛生え薬とか健康器具とか、最近なんだかわからない怪しい商品やサービスのチラシが多い気がするけど、魔導技師と魔導薬剤師がいる店に営業をかけるのはやめた方がいいと思う。わざと一つ買って通報してやろうか。
「怪しー。引っかかったふりしてから指摘してやろうかな」
ユルヤナも同じことを考えていた。僕が健康器具を買うのはまだしも、痩せ薬も毛生え薬も一切必要ないツラで引っかかったと言うのは無理があると思う。
首都で行われるイベントの案内や近くの飲食店の割引券など、後で詳しく見たいもの以外は丸めてゴミ箱に捨て、貯蓄器を補充したら夕飯を作ることにする。食堂に行っても良かったけど、ユルヤナが厚手の肉が食べたいと主張するのでさっき肉屋に寄ってブロック肉を買った。僕は相変わらずサラダを担当しながら、入念に下ごしらえをしているユルヤナの手元を見る。トレーの中で、緑と赤、黄色が混ざった何かの粉を肉にまぶしていた。
「それも薬草?」
「香辛料と薬草。料理する時には香草って言った方が馴染みがあるかもね」
「ああ、それならわかる。臭み消しに使うんだっけ」
昔暇つぶしに読んでいたレシピブックに材料として書いてあった。それ以外に使うことがなさそうな材料をそのためだけに買うのは憚られて、実際に使ったことはないけど。
「消化を助ける働きもあるんだよ」
「へえ……」
しばらくして、自分の担当が終わった僕は先にテーブルについてチラシを眺める。そういえばもうすぐ建国祭の季節だな、と華やかな書体で記載されたステージの内容やイベントの進行表、便乗してセールを行う店の情報などを確認していると、肉が焼ける音と良い匂いが漂ってきた。
「独特な匂いだと思ったけど、肉の匂いと混ざると美味しそうな匂いになるんだな」
「でしょ? 西の肉料理といえばこれだよ」
スーロイの郷土料理なのだそうだ。
「スーロイって、薬草を使う料理が多いの?」
「うん、いろんな薬草の産地だからね。薬剤師も多いよ」
「それでエルメルさんも西を拠点にしてるのか」
「そう、お得意様が欲しがる薬の素材が、鮮度が重要なやつでさあ。お得意様は首都住まいだから買いにくるの大変そうだけど」
と本末転倒な気がすることを言いながら肉を皿に移して運んできた。綺麗な焼き目のステーキを前にそれぞれ食前の祈りの言葉を呟く。
「いただきます」
「天と大地の恵みに感謝します!」
ユルヤナの言葉は首都でよく聞くものと違う。
「その言葉も西の文化なの?」
「ううん、たぶん両親の地元の言葉。基本は西も首都と変わらないよ」
「へえ」
ということはユルヤナの両親は西の出身ではないのだろうか。
「師匠も矯正しようとしなかったし、一つくらい親から受け継いだものが残っててもいいかなって思って直してない」
「なるほど」
強盗に遭ったということは、形見どころか墓すらないのかもしれない。そんな話をしながら、切り分けた肉を口に運んだ時だった。
「ん?」
肉が舌に乗った瞬間、違和感を覚えた。ユルヤナが怪訝そうな顔をする中、サラダも食べてみる。
「……」
「どうしたの?」
ゆっくり咀嚼して、飲み込んでから僕は恐る恐る答えた。
「辛い味だけわかるかも」
「え!?」
正確に言うと塩味か。香辛料の刺激は実は辛みではなく痛みだということで以前からわかる感触ではあったけど、それに加えて肉の味付けとサラダのドレッシングに使った塩の味だけ鮮明に感じられた。
「よかったじゃん!」
自分ごとのように顔を明るくしたユルヤナに対し、当の僕は眉をひそめた。
「……なんかバランス悪くて食べづらい……」
味がしないことに慣れてしまっていたこともあって、半端な味が逆に不味く思える。美味しい味というのは苦いとか甘いとか、いろんな味が混ざってできているのだと改めて知る羽目になった。
「味がわからなくなる前って好物とかあった?」
「なんだっけ。……パンケーキとか?」
「甘党? 意外」
「作るのが好きだったんだよ」
なんとなく【第四】のメンバーによく作ってやっていたあの味を思い出しただけで、特に好き嫌いなく食べていたように思う。いや、苦いのは少し苦手だったけど。
「ツクモは何でも作るもんねえ」
「まあ、菓子も計量して作るから料理よりは変な味にならないかもな」
「確かに! 今度作ってよ」
「考えとく」
今は菓子よりも先に作らなければならないものがある。干物の乾燥機とナイフだ。
***
翌日から、僕は店番をユルヤナに任せて頼まれたものを作ることに没頭した。乾燥機は魔宝石を仕入れにいく前に外側を発注しているので、仕上がり次第連絡があるだろう。十年使った中で出てきた改良してほしい点をいくつか伝えられたものの、大筋は祖父の図面のとおりなので難しくはない。
それよりも難しいのはナイフのほうだ。
「籠りっぱなしだけど大丈夫?」
地下に降りてきたユルヤナの手には湯気の立つマグカップが二つあった。大きい方を机の端に置く。なみなみと注がれたコーヒーが揺れた。
「ありがとう」
気がつけば午後三時を過ぎていた。ユルヤナは僕の手元にあるノートを覗き込んで、何もわからんという顔をしてすぐに顔を上げた。たぶん薬の話を聞いている時の僕もこんな顔をしていると思う。
「設計図はあるんじゃなかったの?」
「原型はあるんだけど……」
僕は後頭部をぐしゃぐしゃと掻いて、ユルヤナに説明する。
「ハンターは魔導士とか技師ほど魔力操作が上手くないだろ。ダスティンさんも、都度魔力を通す必要がある今の形は少し使いにくそうだった。ハンターの中には魔銃すら使わない人もいることを考えると、充填して必要な分だけ自動的に消費する形のほうがいいと思ってさ」
それも、できるだけ少ない魔力で長く稼働する設計がいい。貯蓄器を埋め込みつつ握りやすさも損なわないようにすることを考えると、外装を含めた全面的な見直しが必要かもしれない。
「そんなことまで考えるんだ」
大変だなー、とまさに他人事で呟き、ユルヤナは自分のカップを傾けた。しかしすぐに生温い視線をこちらに向けてにやにやと口角を上げる。
「でもツクモ、楽しそうだよ」
「……わかる?」
「うん。初対面の時の、隈が酷い男と同じ奴とは思えないくらい」
「そこまで言う?」
正直、こうやって捏ね回している時が一番楽しい。ずっとこれだけやっていたいくらいだ。そういうわけにはいかないけど。
「使ってもらうからには便利だって言ってもらいたいだろ。……初めて作った魔導機械だから、思い入れもあるしさ」
しかも雑貨店を継いで最初の、僕が作った回路が役に立つ依頼だ。コーヒーを啜って再びノートに向き直った僕を見て、ユルヤナは腰に手を当てて小さくため息をついた。
「楽しいからって無理しちゃダメだよ。おれが言わなくても決まった時間に三食食べて、夜もちゃんと寝ること」
「はい……」
昼もユルヤナがサンドイッチを持ってこなかったら食べるのを忘れていたと思う。良くない癖だ。
「目覚まし時計でもセットしておこうかな……」
「それだったらほら。ちょうどあそこに置いてあるじゃん」
「え?」
ユルヤナが指さす方を見ると、図面を収納したファイルが並ぶ棚の端にひっそりと小型の時計が載っていた。
「ここにあるってことは、じいちゃんもそうしてたんだな」
「間違いないね」
もはやこの部屋の守護者と言ってもいい。ガラス張りの小さな箱を棚から取り出して埃を払ったところで、ユルヤナがひょいと取り上げた。
「ツクモの管理はおまえに任せるからな。次は夜の六時くらいにしとくか」
時計に言い聞かせながら勝手に設定時刻を変えて机の上に置き、
「せいぜいがんばりなよ、二代目」
笑いながらひらりと手を振って地下室を出ていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます