第31話 想定外の弟子

 大型魔獣の解体作業に使っているナイフの原型は、まだ学院に通い始めるよりも前、僕が十歳前後の頃に初めて回路を設計した魔導機械だ。――正直、最初に想定した用途はパン切り包丁だった。ぎざぎざの刃を前後に動かしながら切っているのを見て、いっそ刃が勝手に動けば手を動かさなくても切れるのではないかという、我ながら怠惰の極みのような発想だった。『発明は面倒くさがりの方が思いつくもんだ』と祖父は笑っていた。


 実際に回路を作ってみたら前後に動くというより小刻みに震える謎の機構になってしまい、要するに失敗作だったのだが、せっかくなので試しに使ってみるとパンどころかいろんなものがよく切れる。

 というわけで、面白がった祖父が見た目にもこだわった大ぶりのナイフに仕立て、僕の分まで作って二人して愛用していたという経緯がある。軍に入ってからは魔導技師の先輩に頼み込んで内部工房を貸してもらい、当時の【第四】の人数分制作して配った。


「あの時、あんまりよく切れるんで売ってくれないかって頼んだんだ」


 ハンターの男性は広い額をさすりながら十年前の記憶をたぐり寄せ、喉の奥でごろつく低い声で呟いた。


「確かにこういうぶよぶよした素材はよく切れますね。……祖父は売らなかったんですか?」

「ああ、売るには制作者に許可を取らなきゃいけないってさ」


 つまり僕か。ナイフに仕立てたのは祖父なのだから、勝手に商品化したところで別に怒りもしないのに。


「あの男、あんたの祖父さんだったのか。ずいぶん陽気な男だったから顔が似てるのに気付かなかった」


 遠回しに僕が陰気と言われている。笑うなユルヤナ。顔を隠しても肩が揺れているぞ。


「それで、あんた名前は?」

「ツクモです。祖父はモモタ」

「確かにそんな名前だった。ツクモさん、制作者とやらに伝手があるならそいつを買わせてくれないか」


 ハンターの男性はずいぶんと真剣な表情だった。この辺りに生息する魔獣は炎蜥蜴サラマンダー以外でも表皮が分厚いものが多いので、今回に限らず長く役に立つと判断したようだ。


「構いませんが……。量産品じゃないので作るのに少し時間がかかりますよ」

「承知の上だ。見積もりを出してくれ」

「わかりました。これが終わったら要件を聞きます」


 祖父のことを話した途端、男性の態度が少し軟化した気がする。ここでも祖父は『人たらし』を発動していたに違いない。


「……よければその、ツクモさんの解体が終わった後に貸しちゃくれねえか」

「いいですよ。僕たちは昼に発つので、使い終わったらそこのトーマにでも預けてください」

「わかった」

「責任を持って返却します!」


 僕の家に来る次の口実ができたトーマが、笑顔で軍隊式の敬礼をした。


 使い方を教えながら今日持ち帰る分の魔宝石を取り出し終わり、ハンターの男性にナイフを預けた。思ったとおり彼はこの辺りのハンターたちを取りまとめる男性で、名前をダスティンさんというそうだ。連絡先を聞いて、首都に帰ってから正式な見積もりを送ることになった。




「ナイフ、預けてよかったの?」


 帰りの車内でユルヤナがぽつりと訊ねた。


「じいちゃんが持ってたやつがあるから大丈夫」

「形見ってこと?」

「うん。この鞄を貰った時に中に入ってた」


 体調を崩したことで、自分ではもう使わないと思ったのかもしれない。錆止めと汚れ防止の魔法がかかっているので綺麗なものだ。するとユルヤナは窓枠に頬杖をついて景色を眺めながら、怪訝そうに形の良い眉を歪めた。


「まさか、ツクモが炎蜥蜴サラマンダーを狩りに行くことも見越してたわけじゃないよねえ?」

「さすがにそこまでは――」


 と言いかけて、僕はふと思いつくことがあった。


「……いや。予測はついたかも」

「え?」

「正確な時期まではわからなかったと思うけど、僕が店を継ぐことを確信してたならありえる」


 機械を製作してから店を畳むまで約五年。その間に干物の売れ行きが好調だったなら、いずれ乾燥機の台数を増やす依頼が来ることくらいは想定できたはずだ。


「魔宝石を現地調達しようと思ったのも帳簿を見たからだし」


 業務日報にあんなメッセージのいたずらを仕掛け、地下工房の鍵を僕にしかわからないような形で残すくらいだ。それに、予測が外れたところで損をすることもない。祖父にとっては分の良い賭けと言える。


「……なるほどね。なんか、いろいろ腑に落ちた」

「え?」


 ユルヤナは珍しく大きなため息をつき、細い銀の髪をくしゃくしゃと掻いた。


「師匠がさ、なんでおれを弟子にしたのかずっと不思議だったんだよね」

「跡継ぎにしようとしたんじゃないの?」

「長命種だよ? 百年先も弟子を取る必要がないくらいツヤツヤのぷりっぷりだよ。おれを育てた期間なんか、師匠にとっちゃそれこそ業務日報の一ページで終わるような短さしかない」


 その口ぶりからすると、長命種は千年生きるという噂はあながち嘘ではないのかもしれない。


「わざと壊れかけの粉砕機を寄越したんだ。それでおれが雑貨店に行くように仕向けた」

「なんで?」

「おれにモモタさんを助けさせるため」


 ――確かに『何でも治せる魔導薬』があれば、祖父はまだ生きていた可能性がある。その薬でなくても、病状を和らげるくらいはできたはずだ。


「見立てが甘くて間に合わなかったけどね。長命種は時間の感覚が人間と違うし、そういうとこ抜けてるんだよねー、師匠」


 やれやれと首を振るユルヤナを横目で見て僕は一度首を傾げ、やがて確信を持って頷いた。


「……いや。エルメルさんも、じいちゃんに上手く使われたのかも」

「え?」

「だって、そんなに仲が良かったなら体調を崩した時点で連絡することもできただろ」

「……あ」


 エルメルさんの性格はよく知らないけど、たった一人の男を助けるために子どもを拾って一人前の魔導薬剤師に育て上げるなんて正気の沙汰じゃない。弟子を送り出すより前に祖父の病状が思わしくないと知れば、すぐにでも駆けつけたはずだ。

 祖父はそんな性格を知っていたからこそ、敢えて知らせなかったんじゃないだろうか。


「じいちゃんは延命するつもりはなかったんだよ」

「代わりに師匠に、跡継ぎのサポートを頼もうとした?」

「たぶんね」


 そうやってお互いがお互いに気を遣わせないように気を遣った結果、僕とユルヤナが出会ったわけだ。


「さすがにじいちゃんも、僕がエルメルさんの弟子と暮らす羽目になることまでは予測できなかったと思うな」

「師匠も、モモタさんの孫が雑貨店を継いだって知ったら驚くだろうなー」


 ずっと祖父の手のひらの上で転がされていたのを少しだけ出し抜けた気がして面白くなり、僕は久しぶりにちゃんと笑ったような気がした。ふっとユルヤナも吹き出し、肩を揺らして笑った。


***


 ルカは役場の町長室で朗らかに笑っていた。ソファに腰掛け長い足を組み、正面に座る中年男性を見る。背もたれの後ろにはキールが静かに立ち、ただ無表情でじっと男性を見ていた。もちろん、そうしろとルカに言われたからそうしているだけだ。


「まだ、ちょっと足りないですねえ。うちの隊長が居合わせてなかったら、一人くらい命を落としていたかも」

「は、はい……。こちらの見立てが甘く、その節は大変申し訳なく……」


 平均年齢二十歳前後の若者が数人来るだけだと聞いていた町長は、目の前に座る金髪の青年が発する威圧感に脂汗を滲ませていた。彼に入れ知恵をした議員も、対面する前には『軍人と言ってもただの若造だろう』と威勢が良かったくせに、今は端のほうで縮こまっていた。




 一切声を荒らげることもなく笑顔で思いどおりの結果を収めたルカの後ろを、キールは見た目で小心者なことがバレないように背筋を伸ばしながら付いていくだけだった。


「ぶはっ」


 役場の外に出たところでようやく息を吐き、大きく何度も深呼吸した。


「副隊長、よくあんな堂々としてられますね……」

「そのうち慣れるよお」


 できれば慣れたくはないな、と思いながら、キールは山道入口にいるはずのトーマと合流するためにとぼとぼとルカの後を追う。


「そういえば、ずっと聞きたかったんですけど、ツクモ先輩はもう退役してるんですよね」


 するとルカはポケットに手を突っ込んだまま緩慢に振り返る。


「でも副隊長って、ずっとツクモ先輩のことを『隊長』って呼ぶじゃないですか。今の【第四】って、隊長が不在ってことですか?」


 本来ならルカが隊長になるか他部署から指揮を執れる人材が配属されるはずなのに、ルカの身分は副隊長のままで、新しい隊長の噂もキールは聞いたことがない。素朴な疑問だったのだが、すぐに訊いたことを後悔する。


「【第四】の隊長はずっとツクモ・クライスだよ?」


 にやにやと冗談めかして言うくせに、目が笑っていなかった。


「そ、そうなんですね……」


 ツクモに心酔しているのはトーマのほうだという認識を今更改めさせられ、キールは帰ったら転属願を出してみようかと真剣に考える羽目になった。

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