第25話 彼女の話

 予定どおり日が暮れてきた頃に今日宿泊するホテルに着き、食事を済ませた後は早めに寝て早めに起きることにする。


「外でもそれ着るんだ……」


 ユルヤナの寝間着はいつもどおり、吸水性の良さそうなふわふわしたフード付きの上着とショートパンツだった。


「できる限りいつも同じ環境にして寝るのも安眠のコツだよ」

「なるほど」


 そう言うユルヤナの鞄から、普段は『拠点』に置いている抱き枕まで出てきたので説得力が違った。


***


 魔導車を長時間運転した疲れと寝る環境の違いで、睡眠薬の効き目が悪かったのかもしれない。久しぶりに夢を見た。


「二つ星ィ。お腹空いた。何か作ってよ」


 営舎内にある僕の部屋で勝手にくつろいでいるのは、切りそろえた真っ直ぐな黒髪を胸のあたりまで伸ばした女性だった。


「ええ……。てか、あんまり男子部屋に入り浸るなよ。この前も嫌味言われてただろ」


 小隊というと通常は三十人ほどが所属することになるそうだけど、特技兵部隊第四小隊は試験的に作られたばかりだったことと、一人でも戦況をひっくり返せる宮廷魔導士クラスの人材を育てようという特殊な部隊だったので人数が少なく、一番多かった時でも十人足らずしかいなかった。分隊ではなかったのは、たぶんこれから魔導士を増やして、ゆくゆくは小隊規模にしたいという上層部の気合いの現れだったんだろう。


 でも、


「だってこの部屋が一番物が少なくて広いんだもん」


 上下関係がきっちりしていると言われる軍の中で、彼女は隊長を任された僕よりも偉そうだった。


「自分の部屋片付ければいいだろ……」

「甘いのがいいなあ。ねえ、ケーキ食べたい」


 僕の小言を完全に無視しながら僕の私物の本をつまらなさそうにめくる彼女は、【第四】唯一の女性隊員だった。時折はっと息を呑むような力強い切れ長の目が印象的で、魔導士としての実力も申し分なかったけど、人を食ったような性格のせいで周囲からの評判はあまり良くなかった。そんな中で僕は、まともに手合わせができる、もとい煙たがらずに構ってくれる数少ない相手と認識されて一方的に懐かれていた。


「作ってる間に夕飯の時間になるよ」

「えー」

「……パンケーキ。食べたら戻ること」

「うん!」


 そうやって甘やかすのがいけないのはわかっている。彼女のほうが三つ年上のくせになんで僕が甘やかさなくちゃいけないんだと疑問に思うことはあっても、彼女と過ごす時間は別に嫌いではなかった。それに、


「いい匂いするー」

「パンケーキですか?」

「来ると思った」


 僕が彼女のわがままに付き合っていると、大体ルカとトーマも混ざりにくるので二人きりだった時間は少ない。


「ホント、犬みたいに鼻が利くんだから。アンタたち、あたしのパンケーキなんだから遠慮してよね」

「どの口が遠慮とか言ってる?」


 任務は大変なことも多かったけど、学生時代にあまり友達がいなかった僕にとって【第四】のメンバーと馬鹿みたいな話で盛り上がったり、同じ皿の料理を取り合ったりするのは楽しかった。


 だから、彼女の最期の言葉はそれなりに驚いた。僕のことは弟か友達か、その程度の感覚でいるのだとばかり思っていたからだ。軍には女性が少ないので彼女の良くない噂を聞いてもなお果敢に声をかける隊員は少なくなかったのに、全員素気なく振られていたことも理由のひとつだ。でもさすがに、キスまでされて気付かないほど鈍くはない。


「ごめんね」


 彼女が幸せの匂いだと言っていた小麦粉の甘い匂いが、悪夢を見る時に感じる血の臭いに変わる。

 どうして彼女は謝ったんだろう。任務をしくじって僕に迷惑をかけたと思ったのだろうか。そんなことを気にするような性格じゃないと思っていたのは、僕が彼女のことをわかっていなかっただけだろうか。


 僕はどう答えればよかったんだろう。

 どうしてもっと早く言ってくれなかったんだろう。

 どうすれば彼女を助けられたんだろう。


 ずっと考え続けている。正解がわかることなんてもうないのに。


***


 悪夢に限って起きてもなかなか忘れないのは何故なんだろう。彼女の夢を見た時は特に鮮明に覚えている。でも、楽しかった頃のことも少し思い出せて今までよりは多少マシだ。嫌な記憶を思い出すような症状に効くと言っていた、例の苦いらしい薬草が効果を発揮してくれたのかもしれない。


 身体を起こしてどこでもない場所をぼんやりと見ていたら、不意に隣のベッドでユルヤナがもぞもぞと動いた。彼女といいこの男といい、僕はずっと他人に押しかけられている気がする。と思っているうちに寝返りを打ち、銀色の髪で隠れていた顔が見えるようになった。緩みきった暢気な寝顔を睨んでいると、ユルヤナがうっすらと目を開けた。


 焦点が合っていない金色の目がしばらく虚空を彷徨い、僕と目が合って、


「何見てんの! 変態!」


 バッと布団を被って顔を隠した。


「寝起きから元気だな……」


 容姿に絶対の自信を持っているくせに、油断している時の顔を見られるのはどうやら恥ずかしいらしい。




「部屋別にしてもらえばよかった! なんでおれより早起きなんだよ。薬効かなかったの?」


 完全に覚醒したユルヤナは素早く着替えた後、洗面所を占領して美少女顔をより精度の高い美少女顔に整えながら、悔しそうにぶつぶつ言っている。見えないけどたぶん口を尖らせている。


「ちょっと夢は見たけど、それなりに寝たから運転に支障はないよ」

「ならいいけど!」


 結果的にユルヤナが同行してくれて良かったのかもしれない。本人には言わずに、僕は今日の予定を考えながら大きな欠伸をした。やっぱり少し眠い。

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