第20話 役所と兄

 ものすごく邪な理由ではあるけど、やると決めたからには中途半端ではいけない。何より今後の生計に関わるので真面目に経営しなければならない。下手なことをするとそれなりに貰った退職金が泡と化す。


「帳簿を見れば今までの売れ筋がわかるのはありがたいよね」


 とりあえずまずは店内の掃除からと、軽く埃を取り除いただけだった棚の上段から順に水拭きしている僕をよそに、ユルヤナは汚れがよく落ちるという自作の洗剤を勧めてきた後は手伝いもせず、カウンターに頬杖をついて帳簿をめくっていた。


「やっぱ数なら消耗品、単価なら魔導機械って感じかな」

「消耗品って、例えば?」

「洗剤とか、シャンプーとか、化粧品とか」


 にやにや笑っている。ユルヤナの持つ技術が主力商品ということだ。自分が必要だろうという態度が若干いけ好かなかったので僕は言い返した。


「ユルヤナがここで薬を売るなら、場所代は貰うからな」

「忘れてなかったか」


 チッと舌打ちした。店を借りるなら家賃を払うと言っていただろうが。


「まあ、お茶も結構売れてるよ。改めてジュンシーさんのところに挨拶に行かないとね」

「そうだな……」


 やることが山積みだ。何が必要なのか改めて洗い直してみる必要がある、と考えたところで、ふと思い出した。


「そうだ。正式に店を開くなら、役所に開業届を出さなきゃいけないんじゃないかな」

「え、そうなの?」

「無届の店は罰則があったはず。そういう店って犯罪に使われたり、品質の悪いものを売ってたりするから」


 基本的にはそういった店の取り締まりは警察隊の仕事ではあるが、入隊後に叩き込まれた法律の中にそんな話があった。今のところ出くわしたことはないものの、爆発物や危険な薬品を売っているような店があったら軍が出動する羽目になることもあるらしい。――きちんと届けを出した上で裏で何かをしている店のほうが、たちが悪いこともあるけど。


「となると、一度役所にいかないといけない?」

「役所か……」


 少しだけ難色を示した僕に気付いて、ユルヤナは首を傾げた。




 首都は人口が多いので、エリアごとに担当している役所が違う。西側を管轄している役所は白レンガ通りを中心部に向かって少し上ったところにある。世話になるのは引っ越しや結婚といった居住地や家族に変更があった時くらいなので、一般市民は頻繁に訪れる場所ではない。


 しかし、


「やっと来たかツクモ。引っ越しの手続きに来た時は逃げるみたいに帰りやがって」


 窓口に現れた背の高い男性職員を見て、思わず僕は今回も逃げようかと思った。


「兄さん……。なんで窓口にいるんだよ」


 センリ・クライスは、綺麗に撫でつけた清潔感のある短髪と柔和な笑顔が老若男女を問わず人気らしい。全体的に父似で、僕とはあまり似ていない。


「人手が足りない時には窓口業務もするさ」


 カウンターの奥を見ても人手が足りてないようには見えない。そもそも所属する課が違った気がする。僕の疑惑の目などお構いなしに、兄はユルヤナに視線を移した。


「君がユルヤナくんだね。母に聞いたとおりの見た目だったからすぐにわかった」

「はじめまして。魔導薬剤師のユルヤナです」


 ユルヤナはぶりっこ美少女演技を仕掛ける前に先手を打たれたため、今回は大人しく地声で挨拶をした。


「開業届の用紙を取りにきたんだろう。……結局継ぐことにしたのか、あの店」

「うん。……ちょっとのっぴきならない事情ができて」


 誰かに説得されて心を打たれたとか、ユルヤナの押しに負けたとかよりも、地下工房の魅力に勝てなかったということが最大の理由だとは話しづらかった。


「何かする気になったならいいことだ。書き方を知らないだろう。教えてやる」

「ありがとう」


 兄のおかげでひとまず書類は無事に書き終えると、売る予定のものがやや特殊なので一度視察が入ること、ただし五年前まで祖父が問題なく同じ形態の店を営んでいた場所なので簡単に終わるだろうということ、その時に魔導技師と魔導薬剤師の資格証の提示を求められるはずなので手元に用意しておくことなど、細々としたことを教えてくれた。


 身構えた割に大した話はせず、兄は本当に窓口担当として必要な業務をこなすだけだった。


「開いたら客として行くから割引してくれ。あの店で売ってたハーブティーが好きだったんだ」


 最後にそんなことを言うので、僕は少し驚いた。


「兄さんも?」

「『も?』 お前は魔導機械にしか興味がなかっただろう?」


 確かにそうだけど。人から言われるとなんとなく癪だ。


「……最近飲んで、いいなって思ったんだ」

「大人になったってことか。コーヒーはブラックで飲めるようになったか?」

「飲めるよ……」


 味覚が戻ったらどうかわからないけど。六つ年上の兄は僕を今でも子ども扱いしているようで、人目を気にしながら控えめにくくくっと笑った。




 帰り道、ユルヤナは何か考え込んでいるようだった。


「どうしたの、随分しおらしいけど」

「失礼な。おれだって静かな時くらいあるよ」


 と言った後に、


「家族っていいなって思ってただけ。特にツクモの家族はあったかくて羨ましい」


 ぽつりと呟いた。


「……まあ、そうかもね」


 煩わしいことも多いけど、気付けば何かと助けられている。これもまた祖父が丁寧に紡いできたもののひとつなのかもしれない。


「でもたぶん、今度実家に行ったらユルヤナも母さんに『家族みたいなものなんだから遠慮しないで』って言われるよ。賭けてもいい」


 祖父同様、母も世話焼きで情に流されやすいタイプだ。ユルヤナの身の上を聞いた以上、絶対に言う。


「そう? 楽しみにしとこ。この前食べたクレープ美味しかったなー」

「じゃあ僕が勝ったら皿洗い三日」

「えーっ! 労働なの?」

「だって食べたいものないし……」


 そして僕が学生時代に書いた回路の図面を取りに行った日から三日間、ユルヤナは悔しそうに夕食後の皿洗いをしていた。

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