第18話 祖父の業務日報
改めて実家から持ち帰った箱の中身を確認し、ひとまず直近の記録を開くとジュンシーさんの店から仕入れた茶葉の記録があった。先日分けてもらった、あの香りの良い茶葉だ。飲み過ぎは良くないとユルヤナに言われたので、夕食後に一杯飲むことにしている。
「それでジュンシーさん、僕にも簡単に分けてくれたのか」
祖父が選んだのと同じものを僕が同じように気に入ったから驚いていたのだろう。――行く先々に祖父の足跡が残っているのは、本当に偶然なんだろうか。
「こっちは師匠の名前があるよ」
別の年月の帳簿を確認していたユルヤナが、開いたページを見せてきた。確かにエルメルという名前と、石鹸やシャンプー、化粧品などを仕入れた形跡があった。
「あの写真に写ってたの、『モモタさんと取引先の皆さん』だったってこと?」
「取引先にしては、ずいぶん仲が良さそうだったけど」
「仲良くなったんじゃない? 話を聞く限り、モモタさんってものすごい人たらしだったみたいだし」
「人たらし……」
言われてみれば、僕が遊びに来ていた頃もひっきりなしに誰か訪ねてきてはしばらく談笑し、何かを引き受けたり逆に頼んだりしていたような気がする。こんな小規模な雑貨店の経営だけでよく暮らせていたなと思っていたけど、きっとそういう人の縁で成り立っていた商売だったのだ。
「……僕には無理そうじゃない?」
人脈もなければ愛想がいいわけでもない。魔導士と魔導技師の資格だけで店を継ごうというのは、やはり無理があるのでは。しかしユルヤナは何でもなさそうに首を傾げた。
「え? 大丈夫でしょ、ツクモなら」
何の根拠があってそんなことを言うのか。まあ、ユルヤナがエルメルさんと同じ商品を作ってくれて、ジュンシーさんからも仕入れられるのなら、とりあえず全く商品がないという事態にはならないけど。
「あとは金物、布製品……。この辺は工業区の店かな。ああ、お菓子も売ってたんだ。この店、ジュンシーさんちの近くだよ」
いつの間にかユルヤナが下町に詳しくなっている。人たらしというならユルヤナこそそうなので、僕の家じゃなくてユルヤナの家と言われる日も近そうだ。
「仕入れ先はこれ見たらある程度当たれそうだしさあ、そろそろ業務日報見ようよ」
ユルヤナはずっと帳簿よりもそちらの方を見たがっていた。僕も気にはなっていたので、鞄から箱を出して一番新しい年、店を畳んだ頃のものを引っ張り出した。適当なページを開くと日付の横に天気と気温が書いてあり、何でもない毎日のことが綴られている様は半ば日記のようで、少し読むのを躊躇った。
誰が来て何を買っていったとか、何の修理を頼まれたとか、そんな当たり障りのないことが淡々と書いてあるページがしばらく続いた後、
「このページで終わりだ」
『長くやってきた店も今日が最終日だ』という書き出しから始まる少ししんみりするような内容のページに辿り着き、閉じようとした時だった。
「待って。次のページにも何か書いてない?」
ユルヤナが、インクが一部裏移りしていることに気付いた。まだ何か書くことがあったのだろうかと首を傾げながらページをめくると、
『こんなところまで読むのはツクモしかいないだろ。いくつになった?』
ここまでずっと見てきたのと同じ少し右上がりの細い筆跡が、急に僕を名指しした。
『退役したのか? まあいい、業務日報なんて面白くもないものを読んでるってことは、きっと僕の店を継げって誰かに言われたんじゃないか。人の意見をなんでも素直に聞き入れてしまうところは、ツクモの長所であり短所だな』
目の前で話しかけられているみたいだった。
「全部見透かされてたかあ……」
祖父はいたずらが好きだった。成功した時の、少年のような満足そうな顔がありありと思い浮かぶ。
『センリに鍵を預けたけど受け取ったか? たぶん受け取ってるだろうな、センリは真面目だからちゃんと渡してるはずだ。店に行ったら一階の倉庫に行って、床のマットを剥がしてみるといい。新しい店主へのプレゼントだ。きっと気に入ると思う』
祖父からのメッセージは、そこで唐突に終わった。
「倉庫?」
ユルヤナがそんな場所あったっけと視線を斜め上に向ける。それは雑貨店のカウンター横から入れる、当時は店の在庫を置いていたと思しき狭い空き部屋だった。用がない場所には入らないようにしているユルヤナはまだ覗いたこともない部屋だ。
「床のマット……?」
僕も軽く掃除して以来一度も入っていない部屋だったが、確かに床に古いマットが敷いてあったのを覚えている。
「そういえば棚の中身までぜんぶ片付けてあったのに、あのマットだけなんで敷きっぱなしなんだろうってちょっと思ったんだよ」
そのうちマットも捨てようと思っていたのをすっかり忘れていた。
「見に行こうよ、モモタさんからのプレゼントなんでしょ」
「うん……」
「ほら、早く」
店主になると決めたわけではないからと、まだ言い訳がましく椅子にしがみつく僕の腕をユルヤナが引っ張った。
「はーやーくー!」
もちろん奴の細腕で僕を立ち上がらせることなんてできるわけもないけど、割と真剣な様子なので適当なところで渋々立ち上がってやった。斜めになっていた身体のバランスが崩れてユルヤナが倒れそうになり、トーマをしょっちゅう引っ張り上げたり引っぺがしたりしていたノリで引き上げたら、とんでもなく軽くて少し驚いた。
ぴょんぴょんと跳ねるように雑貨店の倉庫に向かうユルヤナの後ろを付いていくと、噂のマットは相変わらずそこにあった。何の変哲もない、埃でくすんだワインレッドのラグマットだ。
「これを剥がせって?」
少し重量がある厚手のマットの端を掴んでぺらりと半分めくる。と、マットの下から現れたのは、床下収納のような扉だった。
「地下室だ!」
僕がその結論に辿り着くより早く、ユルヤナが興奮した様子で叫んだ。
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