第17話 両親
僕と父はどちらも積極的に喋るほうではないので、その場が静かになってしまった。母がおそるおそる『お茶でもどう?』と助け船を出し、一同はリビングに移動する。
「どっちがモモタさんの子ども?」
袖の肘のあたりを小さく引っ張り、ユルヤナがひそひそと訊ねた。
「母さん」
この家に引っ越してきたのは、兄が魔導学院を受験する頃だった。静かに勉強できる個室があったほうがいいのではないかということで集合住宅よりも部屋数の多い家への転居を検討していたところ、祖母が亡くなってから雑貨店が生活拠点になっていた祖父が、それなら実家を使えばいいと提案してくれたのがきっかけだった。つまりここは僕の実家であり、母の実家でもある。
「あの店を継ぐのか」
ソファに向かい合って座ると、父がおもむろに切り出した。祖父の部屋を漁っていたということはそういうことだろうと勘付いたらしい。
「まだ決めてない」
「そうか。……何か困ったことがあったら言ってくれ。できることは少ないかもしれないけど、多少は貴族のほうにも伝手があるから」
兄や僕が何をするにも黙って静かに見ているタイプだった父が、そんな風に言うのは意外だった。ちなみに父は男爵家の三男というほとんど平民の身分から入り婿になったそうだ。自身の実家は長男が継いでいるため年に一度くらいしか帰らず、『こっちが実家みたいなもの』と言っていたのを聞いたことがある。
「そうよ。その……、急に軍を辞めたって聞いた時は、びっくりしたんだから。機密とかで話せないことも多いでしょうけど、理由なんてなくてもいいから、たまには顔見せなさい」
ルカが訪ねてきた時に、経緯や今の僕の体調について聞いたのかもしれない。それぞれなんとなく言葉を選びながら、気を遣って話しているのがわかる。
「それと……」
母の視線がちらりと動いた。何が言いたいかはわかっている。
「ユルヤナのことが気になるってさ」
ちゃんと自己紹介しろと肘で小突くと、ユルヤナは改めて深々と頭を下げた。
「魔導薬剤師としてお店を開くために、スーロイから出てきました。モモタさんを訪ねたらツクモがいて、それからあの雑貨店に居候させてもらってます」
「魔導薬剤師! まあ……」
「じいちゃんと仲が良かった、エルメルさんって人の弟子なんだって。母さん、知らない?」
ジュンシーさんに見せてもらった写真がいつ撮られたものなのかはわからないが、おそらく母はもう生まれていたはずだ。すると、
「エルメルさん……。ああ、あの長命種の薬剤師さん? ものすごい美人の」
「そうです! ツクモママも会ったことあるんですね!」
ママて。僕は突っ込みたい気持ちをぐっと堪えた。
「一度だけね。でも忘れないでしょ、あんな綺麗な人。ユルヤナくんも美人よねえ」
「ありがとうございます。師匠に拾われた理由が『自分と同じくらい美人に育ちそうだったから』なんで、そこだけは自信あります」
「拾われた?」
「うん、おれ両親いないから」
「初耳……」
そういえば、まだユルヤナの身の上を聞いたことがなかった。なかなか重そうな話の気配に母が若干身構えた。しかしユルヤナはあっさりと言う。
「西のほうじゃ珍しいことじゃないですよ。特におれが住んでた辺りは国境に近かったから治安が悪くて。拾われたおかげで、良い生活ができるようになりました」
「そうなの、大変だったのねえ……」
まずい、この流れは。
「出てきたばかりじゃ知り合いも少ないでしょ。ユルヤナくんも何かあったら相談してね」
「助かります」
まだ出会って一時間も経っていないのに母が懐柔された。人のことは言えないけど、ちょろすぎる。
「……そろそろ帰るよ」
「夕飯はいらないの? センリも話したがってたのに」
「また今度にする。兄さんには鍵のこと、ありがとうって言っておいて」
この分だと母は僕が好きだった料理を作ってくれるだろうけど、不味そうに食べている姿を見せるのも、味の感想を言えないのも心苦しい。
「急に来たから、今から食材買い足さなくちゃいけなくなるだろ。次は先に連絡してから来るから」
「でもちょっと痩せたんじゃない? ちゃんと食べてる?」
「大丈夫だよ、近くにハンナおばちゃんの食堂もあるし」
「そういえばそうね。じゃあ、大丈夫よね」
どうにか説得に成功し、ようやく実家を後にした。喋り足りなそうな母はもちろん、父も何か言いたそうにしていたので、また近々時間を作ろう。
帰り道、僕はユルヤナに訊ねる。
「ユルヤナの両親って、亡くなったの?」
「うん。商人だったんだけどスーロイで仕入れ中に強盗に襲われてさ。おれは可愛かったから売り物になるって生かされて、なんとか逃げ出して孤児やってたところを師匠に拾われたってわけ」
暗くなりそうな話なのに、本人は誇らしげに胸を張った。つまりこの美少女顔のおかげで生き延びてきたと言っても過言ではない。外見に自信を持つわけだ。
それはおいておくとして、僕はユルヤナの自己紹介と今の話を聞いて、思い当たることがあった。
「……強盗がスーロイの人身売買業者と繋がってたってこと?」
「うん。それが?」
考え込む僕を見て、ユルヤナは怪訝そうに頷いた。
「潰しに行ったな、そこ。一昨年くらいに」
「え!? あれツクモがやったの!?」
軍の仕事は誰がやったと報じられることはないが、貴族も関わっていた事件だったために壊滅したときには新聞でそれなりに大きく取り上げられていた。一面写真の端のほうに小さく僕の顔が写っていたせいでしばらくからかわれたから、よく覚えている。
「てことは、ツクモはおれの親の仇討ちもしてくれたってことじゃん。借りができちゃったなー」
「仕事でやっただけだし、僕だけの手柄でもないし、別にいいよ」
僕のほかにトーマやルカ、そして彼女もいた特技兵部隊の一つ、通称【第四】と呼ばれる魔導士部隊の仕事だ。
「じゃあ寝る前にマッサージでもしてやろうか。よく効くって評判だよ」
わきわきと指を動かし、顔に似合わない悪そうな顔で笑った。
「それはちょっと気になる」
「寝付きも良くなるから覚悟して」
「……覚悟?」
――本人がよく効くと言ったとおり、その日僕はここ一年で最も安らかに入眠に成功した。
***
人の気も知らずにすやすやと眠る男に布団を掛けてやりながら、ユルヤナはまだ隈の消えない顔を悔しそうにジトッと見つめた。そして大きくため息をつき、首を振る。
エルメルに保護されて薬剤師として修業をしながらも、いつかまた例の人身売買組織が自分を見つけて攫いに来るのではないかと、ユルヤナは常に警戒しながら生きてきた。それがようやく摘発されて滅んだと新聞で見た時、これからはこそこそと隠れなくて済むと心底安心したのだ。独立することを決心したのもそれがきっかけだった。
「この程度で返せるなら安いもんだよ。助かった、ありがとう」
本人が起きている時には絶対に言ってやらないが、とユルヤナは鼻を鳴らし、最後に黒い癖毛をぐしゃぐしゃにしてから部屋を出ていった。
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