第16話 実家
小さい頃は特に何も考えず、無邪気に祖父の店を継ぐのが夢だと言っていた。祖父もそれを喜んでくれた。でも社会に出た今は、自分で店をやるというのがどれだけ大変なことなのかわかる。
だからまずは、
「ちょっと実家に帰る」
「なんで!? 店やるんじゃないの!?」
トーマが来た翌日、うだうだと悩んだ末にどうにか決心して出かけようとした僕の腕にユルヤナが巻き付き、引き留めてきた。本気で焦っている顔だ。
「違う、帰るってそういう意味じゃない」
この家を出て実家に戻ると思ったらしい。ちなみに本気の『実家に帰らせていただきます』は僕が魔導学院に入学するよりも前、首都中央の集合住宅で暮らしていた頃に母が一度だけやったことがある。これではまるでユルヤナが夫の立場だ。僕の魔力で家中の設備を使い放題の居候のくせに生意気な。
「じいちゃんが店をやってた頃の資料を見に行くだけだよ」
「え?」
「僕は商売に関しては素人だし、じいちゃんの『仕事』を何も知らないから」
趣味ならただ楽しく魔導機械を弄って好きなものを作っていればいいだろうけど、仕事にするのならそういうわけにはいかない。
「まずはそれを知らないと、本当にできることかどうかもわからないだろ」
ユルヤナは完全に勘違いしているが、前向きに検討するというのは飽くまでも考慮するという意味であって、まだ僕は店をやるとは言っていない。戦場で情報収集を怠ったまま前線に突っ込むような真似はしない。評判が良い名前を継ぐのならなおさら慎重になるべきだ。
するとユルヤナは勘違いしたことが恥ずかしいのか、僕がなかなか首を縦に振らないのが悔しいのか、しばし目を泳がせた後ちらりと見上げて言った。
「おれも行っていい?」
「なんで?」
「モモタさんがどんな人だったのか興味あるし……。昨日の今日だから、ツクモがまた倒れるかもしんないし……」
「前半が八割の理由だろ」
「バレたか」
まあ、ユルヤナの人当たりは僕よりよっぽど良いし、家族には友人とでも紹介すれば大丈夫か――と思ったのが間違いだった。
***
「二年ぶりくらいかな……」
僕の実家は首都の東側にある。雑貨店があるのは西側なので、同じ首都内にいてもあまり縁がない。貴族ほど裕福ではないが食うには困らない程度の中流階級がぞろぞろと暮らしている、比較的治安の良い地域だ。
「ただいま……」
久々に実家に帰ってきた次男を見た母は口をぽかんと開けて僕を見上げた後、その後ろにしおらしく控えているユルヤナに視線を移し、
「あなた!! ツクモが女の子連れてきた!!」
「違う!!」
僕の訂正も聞かずばたばたと廊下を走っていった。おかえりくらい言ってほしかった。一瞬追いかけるべきかとも思ったけど、興奮状態の母にこれまでの経緯を話すのが面倒臭くなったので、下手に刺激せず早速祖父が生前使っていた部屋に向かうことにする。
「放っておいていいの?」
「どうせ落ち着いたら改めて覗きにくるよ」
母のことはきっと父が宥めてくれる。父への挨拶は――これも後でいいだろう。
祖父の部屋に最後に入ったのは五年前だ。僕が軍に入ったのを見届けて安心したかのように息を引き取り、家族で軽く遺品を整理した時以来になる。
ドアを開けると、シーツなどが取り払われたベッドの上に箱がいくつか載っていた。
「たぶん書類はこの辺」
僕が箱を開けている間にユルヤナがカーテンと窓を開けに行き、部屋が明るくなったことで箱の中に入った書類の文字がはっきり見えるようになった。思った通り背表紙に年月が記された帳簿が整頓されて詰まっている。この場で確認していたら泊まりがけになってしまうので、ひとまず箱ごと鞄に放り込む。
「あと、こっちにも何か仕舞った気がするんだよな……」
次に開けるのはクローゼットだ。同じく箱が積んであり、背表紙には年と共に『業務日報』と書いてあった。一冊で一年分らしい。二十冊以上あった。当たり前か、僕が生まれた時にはもうやってたんだから。
「マメな人だったんだねえ」
「うん」
個人でやっていた店なのだから引き継ぎをする必要もないのに、開業当時からの記録が全て残っているようだった。これは役に立ちそうだ。
「ツクモも几帳面な方だよね」
箱をクローゼットの外に出すのを手伝いながら、ユルヤナがぽつりと言う。
「そう?」
「皿とか、ちゃんとサイズと形揃えて同じ場所に仕舞うじゃん」
「……ユルヤナが雑過ぎるだけじゃない?」
本当に、この男がきっちりしているのは仕事に関することだけだ。
「効率が悪いだろ、いつも同じ場所に置いて取り出しやすくしておかないと」
「大体どこにあるかわかってればよくない?」
宗教の違いだ、たぶん。言い争っても平行線になることが目に見えているので何も言わないことにした。共用スペースでは僕のルールを優先してくれるからまあ良い。
めぼしいものはこれくらいかと、部屋を見回して埃まみれの手をはたいていると、部屋の外に人の気配があった。
「ツクモ、おかえりなさい……」
「ただいま」
ようやく情緒が落ち着いたらしい母だった。改めて挨拶を返すと、やはり僕よりもユルヤナを気にしている。
「はじめまして、ユルヤナです。先日からツクモにお世話になってます」
「その声やめて」
なんで僕の母にまでぶりっこ美少女声を仕掛けるんだ。母が案の定あわあわしている。ユルヤナは不満そうに僕を見上げてから母にもう一度頭を下げた。
「すみません、ふざけました。おれは男です。ツクモとは何もないので安心してください」
「え!? お、男の子……!?」
「はい」
急に低くなった声を聞いて、とうとう情報の処理が追いつかなくなったようだ。
「男の子なんですって……」
助けを求めるように、ドアの後ろに話しかける。
「父さん?」
声をかけると、開いたドアの向こうからのっそりと父が顔を覗かせた。
「おかえり、ツクモ」
「ただいま」
ユルヤナは僕と両親の顔を見比べて、
「……あんまり似てないな」
ぼそりと呟いた。
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