第12話 ジュンシーさん
白レンガ通りを北上して一本入ると、急に人通りが減る。ほとんど来たことがない地域だったので少し迷うかと思ったら、目的の店は意外とあっさり見つかった。
というのも、
「んん? モモタさん? なわけないか」
表の植木を手入れしていた六十代そこそこと思しき男性に、向こうから声をかけられたからだ。驚いた様子で目頭を揉み、眉間に皺を寄せながらもう一度まじまじと見られた。
「せがれ……にしては若いな。でもこんなに似てんだ、間違いなく血縁者だろう?」
「モモタは祖父です」
つい先日も似たようなやり取りをした気がする。どうやら祖父は下町一帯に相当顔が利くらしい。そして僕はやっぱり、祖父の若い頃に似ているらしい。
「そっちの娘は薬剤師かい。薬の匂いがする」
「え! ……そう?」
ユルヤナが言い当てられてすんすんと自分の匂いを嗅ぎ、一発で見抜かれるほど臭いのだろうかと不安そうな顔で僕を見上げた。
「整髪料の匂いとかじゃないの?」
「ああ、そっか」
自分を可愛いと何の臆面もなく言えるくらいだ、美容にもこだわりがあるに違いない。真っ直ぐな銀の髪は日差しを受けて今日も遠慮なく輝いているし、少し化粧もしているように見える。化粧品の類いも自分で作っているのなら、薬に詳しい人間にだけわかる匂いがしてもおかしくない。実際、さっき腕を組まれた時には正体不明の爽やかな香りがした。
「……アンタ男か。まあいい、うちに用かい」
僕とやり取りする声を聞いて気付いたようだ。驚くというよりも呆れているあたり、客商売に携わってきた熟練者の風格が見えた。
「はい、師匠から首都で薬材を買うならジュンシーさんのところだと言われて」
薬材卸売店の店主はジュンシーさんというらしい。仕事には誠実なユルヤナは、今回ばかりは最初から声を作ることもせず落ち着いた様子で頷いた。
「師匠? 珍しいな、今時学校出身じゃなくて師弟制とは。モモタさんの孫と一緒にいるってことは……。もしかしてアンタの師はエルメルかい?」
「そうです!」
知った名前が出てきたことで、ユルヤナはパッと顔を明るくした。ジュンシーさんのほうも何か思うところがあったらしく、なるほど、と小さく呟いて頷いた。
「入りな、モモタさんの孫も茶くらい飲んでいくといい」
「ありがとうございます」
見た目には民家にしか見えない建物が、そのまま店舗になっているらしい。入り口までの植木にユルヤナが興味を示していたところを見るに、これも薬になるのだろうか。
異国の雰囲気がある調度品に囲まれた店内に一組だけ置かれた四角い木製のテーブルを勧められて座ると、ジュンシーさんは変わった形のポットを奥から持ってきて、目の前で香りの良いお茶を淹れてくれた。何を飲んでも同じだと思っていたけど、匂いだけでも安心することもあるのだなと今更気付いた。
「扱いを間違えると危険なものも多いんでね。うちは紹介制でしか売ってないんだ」
「当然だと思います。あ、これ、紹介状もあります」
ユルヤナは頷き、手紙を渡した。確かに熊でも眠らせられるようなキノコが一般人にも簡単に手に入れられたら恐ろしいことになる。しかしジュンシーさんは封筒を一瞥しただけで、中身も読まずにフンと鼻を鳴らした。
「それで、エルメルの弟子は何が欲しいんだい」
「ユルヤナです。ええと、トウミンダケと、オトナシグサと……」
僕に処方した睡眠薬の材料を含む様々な薬材を、鞄をごそごそと漁りながら次々に挙げていき、ジュンシーさんはそれらを一つひとつ頷きながらメモしていく。
「あ、オウゴンロクジョウも少なくなってた」
「悪いね、うちも今、在庫が少ない」
「そうなんですか? 困ったなー」
「ロッカクならあるよ」
「じゃあ、一旦そっちを」
僕にはよくわからないやりとりを聞き流しながら、のんびり店の中を眺める。ユルヤナが持ってきた粉砕機から香ったのと似た薬の匂いがする以外は、どちらかというと貴族御用達のオーダーメイドの店のような気品があり、なんとなく落ち着く空間だ。
テーブルで精算を済ませるとジュンシーさんが一度奥に引っ込み、ユルヤナが注文した薬材をトレーに載せて持ってきて、二人で順に確認しながら鞄に仕舞っていく。万が一にも渡したものに間違いがあるといけないからか、この確認作業も薬剤師の間では当たり前に行われる手順のようだ。
ちびちびと飲んでいたお茶を僕が飲み終わる頃、ようやく二人の取引は終わった。ジュンシーさんは立ち上がる僕を見上げ、またしてもしげしげと観察してくる。
「それにしても、モモタさんによく似てるなあ。とうとうエルメルの奴が若返りの魔導薬でも開発したかと思った」
「おれも会ってみたかったなあ、モモタさん」
「写真ならあるぞ。見るかい」
「ぜひ!」
ユルヤナの人懐こさというか、相手の警戒を短時間の会話で解く技術こそ魔法ではないかというレベルだ。もちろん女装しているのも一役買っている気がするので、どこまでが計算でどこまでが天然なのかわからないが、恐ろしい男だと思った。会った当日に部屋を貸している時点で僕も懐柔されているのはわかっている。
「ほら」
ジュンシーさんが持ってきた額入りのモノクロ写真には、ジュンシーさんの面影がある青年を含めた複数人が写っていて、確かに僕とよく似た顔の男が楽しそうに笑っていた。記憶の中の祖父と同じ笑顔だ。
「本当だ、ホクロがなかったらほとんど一緒じゃん。でもモモタさんのほうが好青年に見える。ツクモ、ちょっと笑ってみてよ」
「悪かったな、好青年じゃなくて」
鼻で笑ってやった。ユルヤナはジュンシーさんの手前あまり悪態をつくわけにはいかないのか、小さな声で『可愛くないなあ』と呟くに留めた。そして口を尖らせながら再度写真に目を落とし、
「あれ、師匠もいる」
「どれ?」
それを聞いて僕も再度写真を覗き込む。
「これ。おれの師匠だよ」
細い指が差したのは、出来上がった頃合いの酒場でユルヤナと並べて人気投票させたらちょうど票が真っ二つに分かれそうな、垂れ目が色っぽい美人だった。と思ったら、骨格からしてこのエルメルさんとやらも男だ。そして耳が少し尖っていることから、おそらくは。
「エルメルは相変わらずかい」
「はい、今もこの写真と大して変わりませんよ。長命種ですからね。月に一、二本お得意様に薬を売って、あとはだらだら暮らしてます」
「本当に相変わらずだ」
ジュンシーさんがフンと鼻を鳴らした。祖父とジュンシーさんの若さから言って三十年くらい前の写真のように見えるのに、噂に聞く長命種はそんなに見た目が変わらないものなのか。
すっかり打ち解けたジュンシーさんと三人で和やかに話しているうちに、ユルヤナのお茶がなくなった。あまり長居するのは良くないと、そろそろ撤収することにしたところで、僕は少し迷った。そして思い切って聞いてみる。
「あの。このお茶ってどこで売ってるんですか……」
香りが気に入ったと慌てて説明する。ジュンシーさんは商談中には見せなかったきょとんとした顔で僕をしばし見上げた後、「ちょっと待ってな」と店の奥に行って戻ってくると、袋を僕の手に載せた。
「気分を落ち着ける効果があるハーブティーだよ」
ユルヤナが代わりに説明する。お茶もこの店の売り物だったのか。ということは、なくなったらユルヤナに買ってきてもらわなければならない。しかし、
「代金は」
「飲みかけだ、いらん。次はもらうけどな」
ジュンシーさんは僕とは目を合わせずに、さっさと茶器を片付け始めた。
「僕にも売ってくれるんですか? 薬剤師じゃないのに」
「茶くらいなら構わんさ」
そのやり取りを見ていたユルヤナは、なぜか珍しいものを見るような顔をしていた。
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