第11話 下町の治安
「また来てくださいね」というカナエさんの声に見送られて喫茶店を出た後は、予定どおりユルヤナが師匠から受け取ったメモに書いてある薬材卸売店に向かうことになった。
「その住所なら、もっと北側だと思う」
「やっぱ地元の人間がいると便利だなあ」
頭に地図を思い浮かべた限りでは、目的の店は白レンガ通りから一本路地に入った場所にありそうだった。
「しかし、下町って言ってもやっぱり都会だよね。西のほうじゃ魔導車なんてまだそんなに見ないよ」
なんとか通りと名前が付いているような主要な道は車道と歩道が分けられており、ユルヤナは車輪の付いた鉄の箱が頻繁に行き交うのを面白そうに眺めながら歩く。
「首都でも増えたのはここ十年くらいじゃないかな」
少し前までは車道を走るものと言えば馬車が主流だったのに、最近は魔導車を見ることのほうが多くなった。魔導機械を馬鹿にする古い魔導士たちですら、馬車より魔導車のほうが利便性が高いことに気付いてからは大人しく押し込まれているのがいい気味だと、僕は散歩する度に性格の悪いことを考えている。
「治安も良さそうだしさあ」
「この辺はまだ、表通りに近いから」
首都は広く、様々なバックグラウンドの人間たちが混ざりあって暮らしているため地域によって治安はまちまちだ。中でも下町やそこから連なる工業区の一部には良く言えばカジュアルな、悪く言えば少々ガラの悪い人々が暮らしているため、子どもは近寄らないように言いつけられているエリアもある。
「ユルヤナも夕方以降は細い道を通らないほうがいいよ」
「心配してくれてんの?」
「見てくれに自信があるんだろ?」
「まあねえ」
中身はアレでも見た目は線の細い美少女が人通りの少ない道を一人で歩いていたら、妙な輩に声をかけられることもあるだろう。旅をしてきたからには撃退する術くらい備えているだろうけど、面倒事で無駄な時間を取られないためにも自衛するに越したことはない。
「人が多い分、変な奴が増えるのは確かだし――」
そう言って聞かせているそばから、進行方向の奥がにわかに騒がしくなった。
目を向けると、遠くから帽子を目深に被った男が民衆を掻き分け突き飛ばしながらこちらに向かってくる。その後ろから若い男女が男を追ってくるのも見えた。ユルヤナの身長ではまだ見えていないだろう。
「何? さっそく『変な奴』?」
「うん、見たいなら肩車してやろうか。
無言で脇腹に肘を入れられた。やっぱり非力なりにダメージの与え方を知っているらしい。
追っている男女はおそらく警察隊だろうから、一般市民は下手に手を出さず巻き込まれる前に一旦適当な店の中に避難するべきだけど、と男から注意は逸らさずにその場を離れようとした時だった。
「あっ」
人混みに翻弄されて逃げ遅れた小さな女の子が、男に蹴飛ばされるようにして転んだ。
「ユルヤナ、ごめん。あの子手当できる? 終わったらなるべく道の端にいて」
「え? うん」
一方で僕はさりげなく男の進路を塞ぐ位置に移動する。
「どけ!」
帽子の下からぎらぎらと血走った目を覗かせる男は案の定懐からナイフを取り出し、邪魔な僕に向けてきた。僕は慌てて避けるふりをしながら足払いを掛け、何が起きたのかわかっていない男が仰向けで宙に浮いたところで顎に掌底を叩き込んだ。白目を剥いて背中を強かに打ち付けた男の手から離れたナイフを靴底で踏みつけると、
「おぉー」
ユルヤナをはじめとした観衆から拍手と感心する声が上がり、やり過ぎたなと思った時には男を追っていた男女が呆気にとられた顔で寄ってくるところだった。
「恐れ入ります。同業の方でしょうか」
茶髪の男性が懐からちらりと見せたのは、案の定首都警察隊の身分証だった。
「……元です。この男、落として大丈夫でした?」
僕が右手で拳を作り左胸に当てる軍式の敬礼を軽くやってみせると、二人はなるほどという顔をした。
「どちらにせよ、追っている事件の重要参考人として同行を求めるつもりでしたので、まあ」
曖昧な言い方に留めたが、ほぼ確定で何らかの事件に悪い方向で関わっている人物らしい。新緑色の髪の女性が倒れている男の顔を恐る恐る覗き込む。
「……死んでませんよね?」
「たぶん」
「ずいぶん綺麗に落ちてますね」
私服男性警官が男の顔を暢気にぺちぺちと叩くが、意識を取り戻す気配はなかった。
「すみません、敵意を向けられるとつい反射で」
わざと絡みに行ったとは言わない。ちょっと足を引っかけるだけのつもりだったのに、身の危険を感じて身体が勝手に動いてしまったのは本当だ。
「『つい』であの動きかあ。警察も頑張らないとな……」
転がして背中側で手錠をかけても、男はびくともしない。逃げられる危険はなくなったけど、連行するのは面倒くさそうだ。それこそ魔導車の応援を呼んで放り込むのが手っ取り早いかもしれない。
などと考えていると、
「ツクモ、ケガしてないー?」
ユルヤナがぶりっこ美少女演技をしながら僕の腕に巻き付いてきた。白々しい、一部始終見ていたくせに。とは思いつつも、ここから速やかに離れるための助け船なのはわかったので、ツッコミは入れずに演技に乗った。
「大丈夫」
「じゃあもう行こうよぉ、ここ怖いし。おまわりさん、いいでしょ?」
先ほど的確に肘鉄してきたとは思えないか弱そうな雰囲気を醸しながら目を潤ませ、僕に寄り添いながら警官を上目遣いで見上げる。
「すみません、デート中に。改めてご協力ありがとうございました」
「お仕事おつかれさまでーす」
僕を引っ張って踵を返しながら、ユルヤナが華やかな笑顔を向けて二人にひらひらと手を振った。男性警官が思わずでれっとした笑顔で手を振り返し、女性警官にど突かれたのが見えた。真実を知らないというのは幸せなことだ。
「さっきの子は親が迎えにきたよ。おれ感謝されちゃった」
人混みに紛れるなりユルヤナはさっさと絡めていた腕を解き、誇らしげに胸を張った。
「そっか」
「ツクモもやるじゃん。軍でもああいうことしてたの?」
「うん、まあ……。人助けより人殺しのほうが多かったから、ちょっとくらい善行積もうかなって」
「マジで? 民間人はあんまり聞かないほうが良さそうなやつだな。興味はあるから話せそうだったらそのうち教えて」
「うん」
軍人御用達の魔導薬剤師の弟子だからか、単にユルヤナが気が利くだけなのか、線引きが上手いのが助かる。いっそ洗いざらいぶちまけてしまえばすっきりするのかもしれないと思いながら、まだその勇気は出なかった。
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