第9話 睡眠薬

「ホントに一ミリも覗きにこなかった」

「やっぱり覗いてほしかったんだ……?」

「別にぃ?」


 事前に言っていたとおり本当に美味しくなさそうな濁った緑の液体が入ったビーカーと、ただの水が入ったコップを持って僕の部屋を訪ねてきたユルヤナは、妙に不満そうだった。でも言いつけを守ったのだから批難されるいわれはない。


「はいこれ。ご希望の睡眠薬」


 むすっとしながら渡されたビーカーを寝間着姿で受け取り、匂いを嗅いでみると複数の薬草のほかに何やらスパイシーな香りがした。


「大丈夫そう? 正直おれは絶対飲みたくないんだけど」

「匂いは別に……」


 軍で数日徹夜する必要がある任務の時に支給されていた栄養剤よりはよっぽどナチュラルで安全そうな匂いがする。つい癖で魔力の流れを見ると、ユルヤナの気配がする魔力が液体に薄く均等にまとわりついていた。


 一瞬、実はユルヤナは軍人時代に僕が屠った敵対組織の残党か何かで、これは薬と偽った毒かもしれないという妄想が頭を過ったものの、まあ毒なら魔法で中和できるかとすぐに思い直して一気に呷った。ユルヤナが声には出さずにうわあ、という顔をした。


「マジで味わかんないの? ぜんぜん?」

「うん」


 薬剤師が心配するほどの苦さですら感じることができないとは、いよいよ焼きが回ってしまったなと落ち込む。毒や罠の類いには敏感なほうだったのに。


「じゃあ水は必要ない?」

「いや、欲しいな」


 味はさておき、ざらっとした粉っぽい舌触りが口の中に残ったので流し込みたかった。平然としている僕を見てユルヤナは改めて深刻そうに形の良い唇を歪め、何か言いかけてため息をついた。


「効きはじめるまで少し時間がかかると思うから、その間に処方の説明をしてやろう」


 そう言ったユルヤナは一度僕の部屋を出ていったかと思うと魔導鞄を持って戻ってきて、一つずつ使った素材を説明しはじめた。僕は言われたとおりベッドに横になったまま、手入れの行き届いた指がつまみ上げる干からびた木片のようなものに視線を向ける。


「メインで効果を発揮するのはこれ。トウミンダケっていうキノコ」

「名前からして眠れそう」

「少量でも強烈な眠気に襲われる。一本あればヒグマの成獣も眠らせられる」


 僕は野生の熊か。ユルヤナは続けて乾燥した薬草を複数取り出した。


「次がこれ。悪夢を見るとか嫌な記憶が蘇るみたいな症状には効果抜群だけど、ほんっとにめちゃくちゃ苦い」


 ユルヤナにとっては味そのものが嫌な記憶になっていそうな険しい顔だった。


「これは気分を落ち着ける効果がある。こっちは血行を良くして身体の緊張をほぐすやつ。これは身体を温めるやつ」


 一つずつ説明してくれたけど、僕にはそれらの見分け方がよくわからなかった。

 そしてぶりっこをしていない落ち着いたユルヤナの声を聞いているうちに瞼が重くなり、僕はいつの間にか意識を手放していた。


***


 説明している間にいつの間にか規則的な寝息を立て始めたツクモの顔を覗き込み、ユルヤナは満足そうに頷いた。


「やっぱ興味のない話を延々聞かされるのがいちばん眠くなるよね」


 フンと鼻を鳴らすと、脈を測って体調に問題がないことを確認する。起きている時はぼんやりとしているようで全く隙がなかったのに、今は腕どころか首筋に触れても起きない。症状を聞いた時には手持ちの素材だけでは対処できないかもしれないとすら思ったユルヤナだったが、作った薬がしっかり効いていることに安心した。


「モモタ・クライスが困ってたら助けてやれって言われたけど……。まあ、約束は守ったってことでいいよな」


 うんうんと勝手に納得して頷く。ユルヤナは一人になると思ったことをそのまま口に出す癖があった。


「師匠同士で縁があったとはいえ、よく知らない相手に簡単に部屋を貸すわ、怪しい薬を躊躇いなく飲むわ、お人好しなのか考え無しなのか知らないけど人を信用しすぎじゃないか?」


 濃い隈のある閉じた目元と二連のホクロを眺めながら若干心配になると同時に、変わり者の師匠が全幅の信頼を置いていた相手と同じ気質がこいつに受け継がれているに違いないという謎の確信を持っていた。


「そら軍人には向かないよな。おれは助かったけど」


 大抵のことは要領よくこなす自信があるユルヤナだが、機械の修理、拠点の確保、地元民とのコネといったこれから首都で暮らすにあたって必要な条件が一日で達成できるとは思っていなかったため、正直とてもありがたい。ぶりっこは演技でも、機械を直してもらった時に伝えた感謝の言葉は本物だ。


「もしかして師匠、クライス雑貨店を頼ればなんとかなるって知ってて送り出したんじゃないだろうな……」


 相手に合わせて柔軟に態度を変え人を転がすのはユルヤナの得意分野だが、自分が変わるのではなく因果律をねじ曲げるようなやり方で思い通りにするのが彼の師匠だった。


「考えても無駄か」


 なんとなく安心したところで不意に欠伸が出る。朝から歩き通しだったことに加え、あまり作らないタイプの薬の制作に集中しすぎて思ったより疲れていることに気付いた。


「おれもお風呂入って寝よっと」


 そしてユルヤナは大きく伸びをした後、ビーカーとコップを回収すると、灯りを消して出ていった。

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