第4話 魔導薬剤師のユルヤナ
ただでさえ目立つ容姿の少女を通行人も増えてくる時間帯の外に放置するわけにもいかず、僕はひとまず家の中に入れることにした。
「すみません。引っ越してきたばかりで、まだお茶も買ってなくて」
本当は水だろうが茶だろうがどうせ味がしないし、来客の予定もないので無頓着なだけなのだが、もっともらしい理由を付けて謝ると少女は愛想良く笑って首を振った。先ほど取り乱したばかりとは思えない優雅さだ。
「気にしないでください。突然訪ねたのが悪いんですから」
とは言うものの結局目的の人物はおらず空振りだったわけで、細い肩を更に窄めて落ち込んでいる。
「祖父に何の用だったんですか?」
もし僕や家族で対応できることならと試しに訊ねると、少女はハッと思い出して答えた。
「そうだ! モモタさんにお弟子さんはいませんか? 魔導機械を直してほしいんです」
そして少女は事情を話しはじめた。
「おれ……、私はユルヤナと言います。西のほうで魔導薬剤師として修業をしてました」
「へえ、魔導薬剤師……」
『今、俺って言わなかったか』と思いながらも、僕は彼女が名乗った肩書きのほうに興味を引かれて一旦忘れた。魔導薬剤師は、魔法の効果を付与した薬の製造と販売が許可される国家資格だ。僕が通っていた魔導学院にも専門クラスがあり、商家の子どもに特に人気だった。
「ようやく師匠から一人前のお墨付きをもらったんですが、その時に譲り受けた魔導機械が壊れてしまって」
「それを作ったのが祖父だと聞いて、遠路はるばる訪ねてきたってことですか」
ユルヤナは頷く。
「まあ、元々首都で店を開こうと思っていましたから。でも困りました……。機械が直らないと店が開けません……」
「珍しいですね。魔導士も魔導薬剤師も、機械を使うのを嫌がる人が多いのに」
僕が知る限り、魔導薬剤師の調剤は一つひとつ丁寧に手で行うのが主流――というか、魔導士も魔導薬剤師も魔法が使えることに誇りを持っている奴らは魔導機械を軽視しがち、あるいは仕事を取られると思って敵視していることが多い。故に目の前にいるユルヤナのような、機械がなければならないというタイプはかなり変わり者だ。
「手作業じゃだめなんですか?」
「とんでもない! 効率も精度も桁違いです。一度使い始めたらもう手作業になんて戻れません」
ユルヤナはくっ、と悔しそうにする。家の前にいる時から気になっていたが、見た目は可憐で話し方も柔らかいのに仕草や口調の端々に妙な雑さと力強さが感じられるのは何なのだろうか。
「事情はわかりました。祖父は表向きにはただの雑貨店の店主でしたから、弟子のようなものはいないと思います」
強いて言うなら、僕が弟子の身分に一番近いかもしれない。しかしそれも魔導学院に入学するまでのことで、祖父の隣で遊び半分に魔導機械をいじくり回していただけだったので師事していたとは言い難い。
「そうですか……。知り合いの技師を数人訪ねたのですが、誰に診せても直せないと言われてしまって」
魔導機械には職人の手癖やこだわりが出る。そうでなくても薬剤師が使うような専門的な機械なんて壊したら大ごとだし、迂闊に触りたくないというのが正直な声だろう。
しかし僕は逆に興味が出た。祖父が薬剤師のためにわざわざ作り、他の技師が直せないと口を揃える機械とはどんなものなのだろうか。
「……実は僕も魔導技師の資格を持ってるんです。少し見せてもらえませんか。直せるかどうかは別なんですけど」
「本当ですか! ぜひ!」
ぱあっと変わる表情には老若男女を問わず虜にしてしまいそうな魅力があり、僕は眩しすぎて思わず目を細めた。ユルヤナは足元に置いていた魔導鞄を早速ごそごそと漁る。
「これです」
取り出したのはコーヒーミルを一抱えほどの大きさにしたようなものだった。投入口からふわりと薬草の匂いがする。
「薬の材料を粉にする機械ですか」
「そうです! ここのツマミで素材の硬さを指定して、こっちのダイヤルで粗さを調整して、このボタンを押すと動く、はずだったんです」
言いながらユルヤナは適当な素材を入れて赤いボタンを押すが、何の音沙汰もない。
「師匠のお下がりなので古いことも確かなんですが……。新調しようにも部品は特注になりますし、魔導式が複雑で、再現することも難しいと言われました」
粉砕できなかった素材を取り出し、ユルヤナは深くため息をついた。僕はその間に構造を確認する。
「目詰まりした時のメンテナンスもしやすくしてある。確かに同じ物を作るのは大変そうだな……」
部品の一つひとつが素手で簡単に取り外せるように作られていた。器用な人ではあったけど、まさかこの部品も祖父が自分で作ったのだろうか。感心しながら魔導基板が入っている部分の蓋を開けると、やはりこの家の中にある機械と同じ美しい構造の回路が巡っており、僕は目で追って読み解きながら、無意識に呟いていた。
「……直せるかも」
ぽろりとこぼした僕の言葉を聞いて、ユルヤナは大きな目を更に大きくして詰め寄ってきた。
「本当に!? 直るんですか!?」
「わかりません。でも、たぶん」
祖父が作る魔導回路は小さい頃からよく見ていた。実家で使っていた機械は修理したこともある。同じ感覚で直せるのであれば、そう難しくはないはずだ。
シャツにしがみついてくる小柄な身体を引き剥がし、椅子に座らせて落ち着かせると、ユルヤナは改めて深々と頭を下げた。
「ぜひお願いします!」
「もっと壊れるかもしれませんよ」
「どちらにせよ動かないんです。少しでも希望があるならひと思いにやってください」
今までに相談した技師たちはそこまでお手上げだったのか。確かに学校で習うものや軍で扱っていたものとも全く違う回路と式なので、一般的な機械にしか触れてこなかった技師にとっては特殊な構造なのかもしれない。しかし僕としてはこちらがホームだ。
丁寧に基板を外す様子を見ているユルヤナが金色の目を不安そうに揺らしながら見つめてくるので、軽く説明することにする。
「見た限り部品に欠けや歪みはなかった。他の魔導技師が直せなかったことを考えても、たぶん部品の不具合じゃなくて命令を伝える仕組みに不調が起きてる。ということで今から、回路と魔導式を確認します」
「へぇぇ」
よくわかっていないユルヤナの視線を受けながら、僕はボタンの挙動を察知するほうから順に回路を辿っていくことにした。暗闇をランプで照らすように、微弱な魔力を少しずつ流すことで回路と魔導式を一部分だけ反応させられる。
時計の秒針が規則的に聞こえる中、ユルヤナが一度くしゃみをした以外は静かな時間が流れた。そして、
「あ、ここだ」
「え!?」
僕はとうとう原因と思しき綻びを見つけた。基板に刻まれている魔導式が少し薄れている。本当に数文字だけだが、それでも魔導機械を故障させるのにはじゅうぶんだ。
「たぶん、使ってるうちに入り込んだ薬材の欠片か何かで擦れたんだと思います」
僕は説明しながら必要なツールを見繕う。すると心配そうな顔のユルヤナと目が合った。
「大丈夫、直せるよ」
軍で人命救助任務をしていた時の癖で安心させるために深く頷くと、見る見るうちに表情が明るくなる。よく表情が変わる子だと微笑ましく思いながら、僕は細いペンを取りだした。
「それは?」
「回路に魔導式を書き込むためのインクです」
キャップを外すと万年筆のようなペン先が出てくる。そして僕は小さく呟いた。
「【
途端に基板に書かれた文字が光を帯び、一部だけ浮き上がった。ふわふわと心許なく宙を舞った後、音もなく霧散する。替わりにペン先から伸びた光が細い糸のように剥がれた文字と同じ位置に張り付き、同じ文字を象ると大人しくなった。光る文字はすうっと消え、肉眼では見えなくなる。
「できた。試運転するから、適当な材料を入れてもらっていいですか」
元通りに基板を付け直しながら、ユルヤナに指示する。
「もう終わったんですか!? よーし」
ユルヤナは先ほども使った木片を取り出すと、投入口からおそるおそる入れ、不安そうに僕を見る。僕は再び頷いた。と、粉砕機が途端にガリガリと音を立て、木片は瞬く間に粉々になった。
「う、動いた!!」
ユルヤナは思わず大きな声で叫び、僕はちゃんと動いたことに安心して大きく息を吐いた。
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