第3話 奇妙な美少女

 生物以外なら大抵の物が仕舞える容量の大きな魔導鞄は、祖父から貰った最後のプレゼントだった。体調を崩して雑貨店を閉め、実家に戻って療養しているところに僕が軍からのスカウトが来たと報告に行った時のことだ。お祝いだと言っていたけど、何でもなくても初めから渡すつもりでいたように思う。以来一度も壊れることなく僕を物理的にも精神的にも支えてくれて、今もこうして一人で引っ越しができている。


「これでよし」


 寝室の埃を取り除いた後は、フレームだけになっていたベッドにマットを敷き、シーツを被せて掛け布団と枕を置けば、もはやそれだけで僕の拠点は完成する。軍での任務中は硬い床での雑魚寝や野宿が多く、生活環境への贅沢を言わない精神になったことは利点かもしれない。おかげで不眠になったけど。


 それから風呂やトイレといった最低限生活に必要な場所を掃除して動作確認をしているうちに、窓の外では日が傾いていた。


「もうこんな時間か。夕飯、どうしようかな……」


 軍人だった頃は料理が息抜きの一つだったのに、味覚がわからなくなってからはそれもしなくなり、キッチンの掃除も後回しにしている。とはいえこれからここで暮らすとなると、近所で程よい食料品店と飲食店を探さねばならない。カナエさんの喫茶店が遠くなったのはデメリットだ。


 店舗側の出入り口から外に出ると、それなりに人通りがあった。最後に舗装されたのはいつなのか、ところどころひび割れのある道路をゆっくりと歩いていく老人の服に継ぎ接ぎがあったり、雑種の犬を紐も付けずに散歩させている人がいたりと、今まで住んでいた地域よりいくらか庶民的な空気が漂っている。工業区が近いこともあり、油汚れが目立つ作業服の男性ともすれ違った。


「確かこっちのほうに……、あった」


 祖父が健在だった頃、昼食を食べるのによく訪れていた大衆食堂があったことを思い出して試しに探してみたところ、十年近く前のことなのに同じ場所にきちんと存在していた。なんとなくほっとしてドアを開けると、


「いらっしゃいませ!」


 元気な女の子の声に出迎えられた。明るいオレンジの髪を簡単にまとめた快活そうな少女が、席数のさほど多くない店内をちょろちょろと動き回っている。カウンターの端の席に落ち着くと、中では少女と顔立ちの似た女性と小柄な老婦人が忙しなく料理を作り続けていた。


「お兄さん初めてですか? おすすめは日替わり定食です」

「じゃあそれで……」


 少女に流されるままに頼み、棚の上のラジオを聞き流しながら待っていると、そこそこボリュームのある定食が大した時間もかからずに出てきた。隈の濃いもっさりとした男が不味そうに食事をしていても誰も気にしない。早速良い店を見つけて僕はひとまず安心した。


***


 それから暇にものを言わせてせっせと生活拠点を整えること数日、僕は周辺の地理を覚えるついでに人気の少ない朝のうちに散歩をするようになった。不眠と悪夢は相変わらずだし、味覚も戻りはしないものの、やることがあるだけ気分がマシだ。

 軍を辞めてから身体も鈍ってきていることだしと、散歩を軽いジョギングに切り替えて戻ってくると、


「なんで! 今日に限って誰もいないんだ!」


 家の前に膝をついて大げさに項垂れている人影がいた。


「うう、最近また灯りがついてるって話だったのに」


 大きな独り言を呟いているのは小柄な少女だった。家のほうを向いているので顔はわからないものの、肩まで伸びた真っ直ぐな銀髪の艶としなやかな体つきを見るに、おそらくまだ十代。西方の民族衣装と流行りのファッションを合わせたような活動的なスタイルで、背中に背負っているのは魔導鞄のようだった。地元民ではなさそうだ。


「見た限り店もやってなさそうだし、再開はただの噂か……?」


 ぶつぶつと言っている後ろ姿を観察するついでに職業病で魔力の流れまで確認してしまい、魔法の素養があることに気付いて面倒事の気配を察知した。思わず避けて通りたくなったが、なにしろ彼女がいるのは入り口の前。裏口から入るにしても結局横を通り抜けなければならず、姿を隠す魔法でも使わなければ間違いなく気付かれる。


「どうしよう、しばらく待ってれば誰か来るかな。ていうかこんな朝早くに来てもいないなんてことがあるか? まだ寝てるだけだったりして。すみません、どなたかいらっしゃいませんかー!」


 少し様子を窺っていれば何の用なのかわかるかもしれないと思った矢先、少女はドンドンとドアを叩き始めた。細い身体に反してなかなか力強い音が出ているのが聞こえ、壊される前に慌てて声を掛ける羽目になった。


「あの、うちに何か用ですか」


 すると振り返った少女は僕の顔を見るなりぱあっと顔を輝かせた。銀髪がさらりと揺れ、金色の瞳がきらきらと僕を見上げる。今まで出会った中でも一、二を争うほどのものすごい美少女で、僕は馴染みのない華やかな空気に少し怖じ気づいた。


「黒髪で長身の若い男! あなたがモモタ・クライス!?」


 少女の言葉に僕は首を傾げる。独り言の口ぶりからしても用があるのは雑貨店のほうだろうと思っていたが、僕よりも歳下に見えるのにどうして祖父の名前を知っているのだろう。


「モモタは祖父ですが」


 若い男とはどういうことだろうかと思いながら答えると、少女はぽかんと口を開けて固まった後、


「……そうか。師匠から見れば人間の男なんて全部若い男だ……」


 存外低い声でぼそぼそと呟いた。それから改めて顔を上げる。


「それで、モモタさんは今どちらに?」

「ええと……。五年前に亡くなりました」


 すると雷撃でも受けたように目を見開いて固まり、


「そんなー!!」


 再び崩れ落ちた。

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