第2話 新居

 兄からの手紙の内容はこうだった。


『ツクモへ

 久しぶり。体調を崩して軍を辞めたと聞いたけど、その分では家に戻ってくるつもりはなさそうだな。

 祖父さんがやっていた雑貨店を覚えてるだろう? 下町の裏通りにあるあの小さな店だ。まだ次の職が決まっていないならそこの管理を任せたい。別に店を再開しろというわけじゃなく、あの家に住んで手入れをしてくれればそれでいい。家賃も浮くし、悪い話じゃないと思う。

 とりあえず気が向いたら様子を見に行ってくれ。難しいなら鍵を返しにきてくれ。ついでに近況を報告してくれると母が喜ぶ。

 センリ・クライス』


 実家には軍を辞めてから一度も帰っていない。久しぶりにルカと話しただけでも疲れたのに、僕と違って安定感のある役所勤めをきちんとこなしている兄の顔を何の心の準備もせずに見たら、逃げ出すか失神するかしていたかもしれない。


「それでルカに預けたのかな……」


 いくら重要な手紙でも郵便で送ると開かずに放置する可能性が高く、かと言って直接渡しに来ると僕が気まずい思いをする。恐らくルカは軍から僕の様子を見にいけと指示されて実家に行き、兄から今の居場所と言付けを聞いたのだろう。


「ツクモさん、お兄さんがいらっしゃったんですか。お手紙をくださるなんて、仲良しなんですね」

「……悪くはないです。僕と違って、気遣いができる優秀な兄で」


 手紙の内容にしたって、店の様子を見に行けば持ち家が手に入り、返すにしても帰りづらくて時間が経つほどに足が遠のいている実家に顔を出す口実にできるという、どう転んでも僕にメリットがある内容。触れられたくないところには触れず最低限の話だけという、弟の性格に合わせた書き方だ。


 どうしたものかと考えながら手の中の鍵をぼんやりと弄んでいると、カナエさんがそっと覗き込んだ。


「綺麗な鍵」


 祖父のモモタが亡くなってから数年経つというのに、金色の鍵はくすむこともなく輝いていた。いつか再び扉が開かれることを願って、誰かが定期的な手入れをしていたかのように。


「キーホルダーは……。何の形でしょう?」

「さあ……」


 確かにキーホルダーは奇妙な形をしていた。薄い板に魔導回路を一部切り取ったような溝が入っているので、祖父の趣味かもしれない。


「雑貨店って言ってましたけど、近くなんですか?」

「クライス雑貨店っていう小さな店です。ここからはちょっと遠いですね」

「ああ、母に聞いたことがあります。目立たないけど品揃えが良くて便利なお店だって」

「へえ……」


 幼少期には幾度となく訪れた場所だが、十数年経った今となってはその記憶はおぼろげで、そんな評判があることも知らなかった。


「とりあえず見に行ってみるか……」


 退役してからろくに散歩もしていなかったことだし、兄も少しくらい外に出ろと言いたいのかもしれない。気晴らしにはなるかと、僕は鍵を持って下町に向かった。


***


 記憶を頼りに工業区との境に足を運ぶと、周辺の環境が当時と様変わりしていて少し迷った。


「こんなだったっけ」


 住宅の多い地域に佇む木造の二階建ては時代に取り残されたデザインと相応の古さがあり、記憶よりも小ぢんまりとしていた。いつの間にか両側には高い集合住宅が建っていて、見下ろされている姿が何とも心許なく、日当たりも望めそうにない。――僕にはぴったりな場所かもしれない。


 二本の鍵のうち大きい方を入り口の鍵穴に差し込むと、祖父が亡くなってから五年近く経っているというのに、何の引っかかりもなくスムーズに開いた。カランカラン、という軽やかなドアベルの音は記憶の中と変わらないが、入った瞬間埃の臭いが鼻をつき、思わずくしゃみが出た。


「……まずは換気だ」


 中が妙に広く思えるのは、所狭しと並んでいた雑貨が棚から撤収されているからだろうか。表の扉はもちろん、家中の窓を開けて風を通すことから始める。鞄からスカーフを取り出して鼻から下を覆い、カウンターから住居になっている店の奥へ進むと、『おお、来たかツクモ』という祖父の笑顔と声が思い出された。


 空気の入れ換えをしたことで多少は呼吸がしやすくなったものの、やはり両側の建物のせいで窓から日が入らず、室内が薄暗い。次は灯りだと、僕はキッチンの壁に据え付けられた薄い箱を開けた。


「綺麗な魔導回路だなあ」


 灯りやキッチン設備など、据え付けの魔導機械を動かすためには魔力が必要だ。と言っても使う度にそれぞれの機械に毎回充填するのは面倒なので、家全体の魔力貯蓄器を一箇所に集め、数日に一度充填する仕組みになっている。小さな家なので軍の設備のような複雑さはないにしろ、高度な職人の技術だというのは知識が増えた今だからこそわかる。本人に聞いたことはなかったが、おそらく祖父は優秀な魔導技師だったのだ。


「動きますように」


 基板の中心にある平らなパネルに手を当てると、魔力を吸われる時特有のチリチリとした感覚があった。僕は人よりも魔力が多いらしい。おかげで軍では非常用魔力供給係としても重宝されたけど、人を貯蓄器呼ばわりするのはどうかと思う。などと思い出したくないことがフラッシュバックしているうちにメーターの目盛りが上限まで点灯し、赤かった魔導回路が緑色に変わった。問題なく充填されたということだ。


 明るくなった室内を見渡すと様々な家庭用魔導機械が整然と並んでいて、祖父の几帳面さが思い起こされる。誰もいない、しかしどこか温かさが感じられる静かな空間は妙に落ち着いた。独立した建物なので、集合住宅のように隣り合った部屋の物音が気にならないのも良い。あとは周辺にある店の位置さえ把握すれば、何の問題もなく暮らせるだろう。


「また引っ越すのは面倒だけど、条件は良いな……」


 兄の思惑に流されている気がしてしばらく逡巡したものの、慢性的な寝不足でぼんやりした頭ではデメリットも思い浮かばず、結局僕はこの元・雑貨店の管理を引き受けることを決めた。

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