だいたい何でも売ってるクライス魔導雑貨店

毒島(リコリス)*書籍発売中

第1話 ツクモ・クライス

 昔から僕は人の影響を受けやすいところがあった。祖父に習って魔導機械や魔道具の作り方を覚えることに熱中したり、兄が話す魔導学院の内容が気になって自分も受験したり、『お前ならすぐに士官になれる』とおだてられて王国軍に入ったり。

 もちろんそれはそれで楽しいこともあったが、人生の大事な分岐点を軽い気持ちで選んだあの頃の僕に言いたい。


 もう少しよく考えろ、さもないと職と味覚、そして大切な人を失う羽目になるぞ。


***


 浅い眠りの中、ここ数ヶ月繰り返し見る悪夢で嫌な汗をかきながら目を覚ました僕は、あまり広くないワンルームをぐるりと見回して


「大丈夫、もう終わったんだ」


 と自分に言い聞かせた。いつの間にか毎朝行う羽目になっている嫌な習慣だ。




 三ヶ月ほど前まで、僕は王国軍特技兵部隊の中でも少人数で作戦に当たる魔導兵部隊の隊長としてそれなりの評価を得ていた。十六歳で入隊してから五年で士官になり、自分で言うのはおかしいかもしれないけど、これからのことも期待もされていたと思う。だというのに、とある大きな任務が終わった直後、僕は突然倒れた。過労と精神的なものが原因だと診断された。


「ゆっくり休め」


 と上司にも部下にも言われ、実質的にクビを言い渡されて退役したのはもう三ヶ月近く前のことになる。皆に言われたとおりしばらく休めば良くなるだろうと思っていたのに、一向に現役時代の悪夢を見なくなる日が来ない。僕が軍人になったことを喜んでくれた家族にも申し訳が立たず、実家に戻ることも次の仕事を探すこともなく、貯金を食い潰しながらのろのろとした生活を送っているところだった。


「うーん……」


 顔を洗っても、慢性的な不眠でいまいちすっきりしない。洗面所の鏡に映っているのは濃い隈に縁取られた三白眼の男だ。祖父譲りの真っ黒な癖毛がいっそう寝癖になっているのを水で直し、小さくため息をついた。




 何もしていなくても腹は減る。一階に入っている喫茶店でモーニングを食べようと、ぎりぎり人前に出られる服を適当に着込んで玄関を出た。細い階段を下りて表に回る。

 通りに面した木製の扉を押すと、ドアベルの音を聞いて振り返った茶髪の女性、カナエさんがにこっと微笑んだ。


「おはよう、ツクモさん。モーニングですね?」

「……おはようございます。お願いします」


 彼女との短いやり取りが最近の唯一の癒しだ。カウンター席に座りながら頷くと、初めから用意されていたかのような速さでトーストとハムエッグ、コーヒーというモーニングセットが出てくる。ポニーテールの後ろ姿に聞こえるかどうかわからない小さな声で礼を言い、程よい色合いのトーストにバターを塗って齧り付いた。この喫茶店のメニューは評判がいいはずなのに、一年ほど前から味がわからなくなっている僕にはとりあえず手軽に空腹を満たす食べ物の一つというだけなのがなんだか申し訳ない。


 ゆっくり食べれば少しくらい味がわかるのではと、半ば訓練のような感覚でもそもそ食べ進めていると、ドアベルが鳴った。カナエさんの『いらっしゃいませ』という声と共に何気なく視線を向けて、


「おっ、ホントにいたぁ」


 寝起きには厳しすぎる陽の気を浴び、僕は思いきり眉をひそめた。


「その顔!」


 あっはっはと笑いながら僕に人差し指を向けるのは、金髪をワックスで流行りの髪型に整えて耳にピアスをいくつも開けた、全身から軽薄さが伝わってくる若い男。


「お姉さん、コーヒー一つ」

「あっ、はい」


 呆気に取られていたカナエさんに爽やかな笑顔で注文すると、男はさっさと僕の隣に座り、頬杖を突いてにやにやと嫌らしい笑顔を向けてきた。


「あれからどうしてるかと思ったけど、意外としぶといじゃん、隊長」

「もう隊長じゃない」


 ちゃらちゃらした男は運ばれてきたコーヒーを馬鹿丁寧に受け取って一口啜り、


「ん、美味しい! 俺も常連になっちゃおっかな、かわいいお姉さんもいるし。俺、ルカって言います。お姉さんは名前なんていうの?」


 早速カナエさんを口説きはじめた。


「ルカさんですか。私は――」

「言わなくていいです。こいつ誰でもナンパするんで」


 清らかで健気なカナエさんにルカのノリは毒だ。僕は本当に名前を教えかけたカナエさんの言葉を遮り、先手を打つ。


「誰でもじゃないよお、かわいいなって思った人だけだよお」

「……何しに来たんだマジで」

「元職場の後輩が先輩を慕って顔見にきたってだけじゃダメ?」


 こてんと首を傾げ、数多の年上女性を籠絡してきたきゅるるん顔で見つめてくるのが気持ち悪い。


「そんな殊勝な奴だったらちゃんと感動できたのに」

「ひっど! お姉さん聞きましたあ? これだから【二つ星の悪魔】は」

「悪魔……?」

「早く飲み終われよ、叩き出すから」


 一般人のカナエさんにこれ以上僕の前職について喋るようなら本気で締め落とすぞと殺気を醸すと、


「いやん、怒らないで。今日はこれを届けにきたんだよ」


 ようやく本題に入ってくれた。見た目の軽薄さとは裏腹の無骨な指で差し出してきたのは、見覚えのあるキーホルダーがついた二本の鍵だった。


「……兄さんか?」


 実家で管理されているはずのその鍵を僕の元同僚に渡せる人間は限られている。


「当たり! 見せればわかるって言ってたけど、ホントだったね。ちなみにどこの鍵か聞いても大丈夫な奴?」

「……じいちゃんがやってた雑貨店の鍵だよ」


 しばらく見ていなくてもすぐにわかった。大きい方が店舗の鍵で、小さい方が住居側の鍵だ。


「へえー! ちなみにこれ、一緒に渡してくれって言われた手紙ね」


 すいっとテーブルを滑らせて渡してきた封筒には、几帳面な字で『ツクモ・クライスへ』と書いてあった。裏には『センリ・クライス』と兄の署名。


「じゃ、確かに渡したからね。お姉さん、コーヒーごちそうさまでした。お代はに請求して」

「おい」

「配達料にそれくらい奢ってよ、?」

「……わかった」

「さっすが、俺たちの隊長! それじゃまたねえ」


 涼やかなベルの音を残し、嵐のように去っていったルカをぽかんと見送った後、


「……またね?」


 不穏な言葉に僕はまたしても眉をひそめる羽目になった。


「ずいぶん慕われていたんですね、ツクモさん」


 空気が読めるカナエさんは深いことは聞かず、くすくすと笑った。


「歳が近い奴らばっかりだったから、馴れ馴れしいだけですよ」


 言いながら風魔法で手紙の封を切り、カナエさんが目を丸くしたところで、そういえば一般的にはこんな簡単なことに魔法を使わないのだったと思い出した。さすがに何か聞きたそうな顔でカナエさんがうずうずしているが、僕は気付かないふりをした。


***


 王国軍特技兵部隊第四小隊の現副隊長ルカは、喫茶店を出ると携帯通信機を取り出した。


「俺です。無事にたいちょ……、ツクモ・クライスと接触できましたよ。いやあ、しばらく現場から遠ざかってたら多少は丸くなるかと思いましたけど、ぜんぜん鈍ってないっすね、あれは。マジで殺されるかと思った」


 一瞬向けられた殺意によって本能的に滲んだ手汗をダメージジーンズで拭き、あははと乾いた声で笑う。


「――大丈夫です。【二つ星の悪魔】は健在ですよ」

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