セイレーンの島

ユウグレムシ

 

 この世界は、すべて恋愛を中心にして回っている。恋をすれば、ほぼ間違いなく怪物になってしまう。だから怪物にならないためには、恋などしないこと。……だけどわたしは、それに気づくのが一足遅かった。恋は突然やってくる。あの頃、恋などせずにいられるほどわたしは大人ではなかった。


 とある絶海の孤島に、わたし達は住んでいる。この島の住人は、みんな、わたしと同じ怪物、《セイレーン》。背中に大きな翼を持つわたし達は、《王子様》に憧れながら、《王子様》に狩られることを恐れて、断崖の切り立つ無人島へ身を隠した。ときどき人間の住む街を偵察し、あたらしく《セイレーン》が生まれたと聞けば、島へ連れ帰って仲間に加えた。

 わたし達には仲間が必要だ。今よりもっと、もっともっと、もっともっともっと多くの仲間が。

 恋に破れ、《セイレーン》と化した女の子は、《王子様》への未練ゆえに、《王子様》の愛を勝ち取った《お姫様》を妬む。けれど独りで戦えば、《王子様》に打倒される運命にある。独りで戦って勝てないのなら、徒党を組んで、軍団を編成し、戦略を練って《王子様》に挑めばいい。もっとも《セイレーン》の目的は《王子様》や《お姫様》を滅ぼし尽くすことでも、人間達の世界を嫉妬の炎で焼き尽くすことでもない。わたし達は奇襲を仕掛け、せめてひとりかふたり《王子様》を攫ってくることを計画している。怪物になってしまったからといって、《王子様》への憧れは無くならない。《王子様》を捕らえ、鎖で牢に繋ぎ、みんなの慰みものにして貪り喰らうまで、嫉妬の炎が、わたし達の身を焦がし、魂を責め苛み続ける。


 人間との戦いを計画する者達のほかに、この世界の成り立ちを研究する者もいる。人間の世界で座学が得意だった子達だ。彼女達が世界各地を飛び回り、人間に紛れて古文書を漁ったところ、分かってきた歴史は以下のごときものだった。

 神話によると、この世界の人間には元々、《役割》などなかった。誰もが人生の意味と目的を持たずに産まれ、手探りで“生き甲斐”を探し、親の都合と自分自身の才能が許す範囲で、いろいろな職業や身分を名乗った。王家に産まれた王子様やお姫様は、恋をしようがするまいが、王子様とお姫様を名乗っていられたし、恋に破れた女の子が怪物になり果てるようなこともなかった。

 そんな世界に呪いをかけたのが、とあるお姫様だった。

 王子様とお姫様が何度でも恋愛と失恋を繰り返していられた頃は、ひとりのお姫様が王子様の愛を勝ち取っても、それで“めでたしめでたし”というわけにはいかなかった。恋破れたライバル達が、いつでも、お姫様から王子様を奪い取ろうと狙っている。別のお姫様が王子様と恋仲になれば、今度はそのお姫様がライバル達から狙われる。ときには命の取り合いにまでもつれ込み、絶え間なく争いが続くのだ。

 そこで、とある頭のいいお姫様が、この世界を創造したもうた神に願いを届けるための秘法を解き明かし、“生まれつき《役割》の決まっている人間しかいない世界”を望んだ。勝者が敗者におびやかされるおそれのない、《役割》という名の運命がすべてを支配する、平和な世界。……そして《セイレーン》が生まれた。


 しかし《セイレーン》のわたしに言わせれば、“争いのない平和な世界”なんてものはしょせん勝者の理屈。お姫様が自分自身の勝ち取った愛を誰にも覆されないようにするため、勝手な都合で神を欺いたのだ。

 わたしは、神を呪った。


 《セイレーン》になりたての者達は、《お姫様》を排除して《王子様》の愛を奪い取ることさえできれば人間に戻れる、と思い込むあまり暴走しがちだが、この世界が呪いの産物だとしたら、いにしえの秘法を解き明かし、創造神に《セイレーン》達の願いを聞いてもらうことで、この島のみんなが人間に戻れる可能性もある。なにも《セイレーン》の都合だけで世界を我が物にしようというのではない。《役割》のない世界は、人間全体を運命の呪縛から解き放つだろう。たとえ絶えざる争いの世界に戻るとしても、負けた者が死ぬしかないような、やりなおしのきかない絶望の世界よりはよっぽどマシだ。《役割》の恩恵にあずかっている《王子様》や《お姫様》が、この世界から《役割》を消そうなんて絶対思うまい。だからこそ、わたし達、《セイレーン》が、この世界を変える必要がある。自由な恋愛のために。

 わたし達は怪物じゃない。失恋したぐらいで怪物になっていい人間なんかどこにもいない。この世界に《役割》なんかいらない。もしも人間達が邪魔をするなら、戦いの用意はできている。

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