GIFT ―才能弱者、旅は道連れ世は乱れ―

天手ウス

第1話 プロローグ

 何が起こったのか、全く分からなかった。

 誰かに足をつかまれて、底知れぬ闇に引きずり込まれるような感覚。顔や体にまとわりつく海水で、自分は海に落ちたのだと理解する。必死に何かに縋りつこうと手を伸ばすが、掴めるものは何もなく、空しく水をかき回すだけだった。


 このままだと死んでしまう ――そう直感し、恐怖が全身を支配していくのを感じる。同時に、この状況で自分には何もできないのだという圧倒的な無力感を感じていた。

 怖い。苦しい。助けて。叫ぼうとするが、声は出せない。声を出せば、かろうじて堪えていたものが一瞬にして崩れ去ってしまうのだと分かっていたからだ。

 沈んでいく自分の体。空回りする腕。次第に体力も奪われ、意識が遠のいていく。そして限界を迎え、きつく結んでいた目と口が、力なく緩み、全身の力が抜けていった。

 沈みながら見上げた海面は、太陽に照らされてキラキラと輝いている。意識が途絶える瞬間、目の前の景色がひび割れるのが見えた。ぼんやりとした意識の中で、綺麗だったのに、残念だなと思いながら目を閉じた。


「ロア!ロア!」

誰かが自分の名前を呼んでいた。聞き慣れた兄の声だった。その必死で今にも泣き出しそうな声に、もう一つ別の声が混ざって聞こえる。

「おい、ロア!しっかりしろ!」

アランの声だ。そうだ、今日はアランと釣りに出かけていたんだった。でも、その後のことが全く思い出せない。まぁ、いいや。もう眠たい。


 次に気がついた時、体は何か柔らかいものの上に横たえられていたが、動かすことはできなかった。その時、ふと誰かが自分の手を握っていることに気がついた。その手の温もりに安心して、ゆっくりと握り返す。

「ロア?」

と聞き慣れた女の声が聞こえて、声のする方へ顔を向ける。重たい瞼をゆっくりと開けると、そこには母さんがいた。母さんの瞳には大粒の涙が溜まっていき、限界を迎えたように、乾いた涙の跡をなぞって次々に涙が溢れた。その顔を見て僕の眼からも涙が溢れて、声を出して泣いてしまった。


 目が覚めてしばらくすると、息を切らせて兄が部屋に駆け込んで来た。

「ロア!」

扉を蹴破る勢いでベッドに駆け寄って顔を覗き込むと、大きく息を吐いて胸を撫で下ろした。そして、心配そうに話しかけてくる。

「大丈夫か?」

「うん、大丈夫。しばらくはまだ寝てなきゃ行けないみたいだけど。お兄ちゃんが助けてくれたんでしょ?」

「あぁ。あと、アランもだ」

「うん、母さんから聞いた」

「そうか、とにかく、お前が無事でよかった」

「ありがとう。お兄ちゃん。ごめんね、ごめんね」

泣き出しそうな兄の顔を見てまた泣いてしまった。そんな僕を見て、兄は、全くお前は泣き虫だなと笑いながら瞳に涙を浮かべていた。


 数日後、僕はもうすっかり元気になっていた。アランにもお礼を言いたくて、今はアランのいる村の港に向かっている。お昼ご飯にはまだ少し早い今の時間は、ちょうど漁から帰って仕事が一段落ついたところだろう。

 港に着くと、思った通り、アランが自分の船からひょいっと飛び降りて、魚の入った麻袋を肩に担いで村に戻って来たところだった。

 アランが魚の計量をするのを待って、声をかける。するとアランは、僕の3倍はありそうな大きな体を屈めて、目線を合わせて言った。

「おお、ロア。体はもういいのか?」

いつも落ち着いているアランが心配そうに僕の顔を見つめてくる。少し恥ずかしくなって、耳の裏を人差し指でポリポリと掻きながら、うなづく。

「母さんから聞いたよ。アランとお兄ちゃんが助けてくれたって。もう少し見つかるのが遅かったら危なかったんだって。ありがとう」

そういうと、アランは少し目を丸くして僕の頭をくしゃくしゃと撫でて言う。

「そうか。わざわざ礼を言いに来てくれたんだな!ありがとうよ。また、釣りに行くか?」

「うん!」

「よし、じゃあ夕方また港まで来い。岬の灯台のところでしよう」

「わかった!またあとでね!」

そう言って、アランと別れ、一旦家に帰ることにした。

 アランとは釣りで仲良くなった。言わば師匠のような人だ。お前は飲み込みがいい、と言われているので、きっと、僕のギフトは『釣り師』なんだと思っている。お兄ちゃんの『統率』のようなかっこいいギフトなら良いなとも思うけれど、僕には少し似合わない気がする。いずれにせよ、10歳の儀式まではあと3年。今から楽しみだ。

 

 約束の時間、港に着くとアランはすでに来ていて、餌の仕込みをしてくれていた。僕が到着したのに気づくと、よし、行くかと言って灯台の方へ歩き出した。

 アランを追って港の入り口の階段をのぼると、急に体がおかしいと感じた。

 全身が震え、とてつもない寒気が襲ってくる。立っていられなくなり、その場に座り込んでしまう。振り向いたアランが、それに気づくと、すぐに駆け寄ってくる。

「ロア!どうした。どこか痛むのか?おい、しっかりしろ!」

必死に声をかけてくるが、声が出ない。体はどこも痛くないので、かぶりを振る。次第に力が抜けていき、ついにはアランの方へ倒れ込んでしまった。

 アランに担がれて漁師が集まる小屋へ連れて行かれた。意識ははっきりしていたので、アランになんとか大丈夫だと伝えて、しばらく横になっていた。やがて震えは収まり、悪寒もなくなったのでゆっくりと起き上がった。

「アラン?」

声をかけると、横でうとうとしていたアランが目を覚まし、僕を見てすぐに尋ねた。

「大丈夫なのか?何があった?」

「分からない。港に上ったら、急に体が動かなくなって、真冬みたいに寒くなったんだ」

「そうか。たぶんこの前の事故がトラウマになっているんだろう。悪かったな」

「トラウマ?」

「ああ、事故の恐怖を体が覚えちまってるんだ」

「もう、僕、釣りできないのかな?」

「いや、そんなことはない。海や川に入るのは難しいかもしれないが、近づくくらいは練習すればできるようになるかもしれない」

「そっか。よかった。僕、アランと釣りするの好きだから」

「そうだな。ゆっくり、試していけばいいさ。今日はジークを呼んだから、迎えが来たら帰ってゆっくり休め」

「うん、ありがとう」


 それからしばらくして、兄が迎えに来た。アランが兄に頭を下げて今日のことを説明すると、ほっとしたような顔になった。

 兄に背負われて帰ると、両親にこっぴどく叱られ、しばらく釣りを禁止されてしまった。

 

 3年後、俺は10歳になった。今年はギフトを調べる儀式もある。

 今でもまだ、水は怖い。だけど、アランと岬で釣りをするくらいならなんとか大丈夫になった。事故の直後のように体が震えたりはしなくなった。最初は遠くから海を眺めるところから始めて、徐々に近づくようにした。そうして、一昨年の夏には、水際から離れていれば釣りもできるようになった。

 家族にはそこまでして釣りなんてしなくてもと言われるが、釣りは唯一得意なことだし、アランと過ごす時間も好きだったから、やめられなかった。

 今日もアランと釣りをしてきた。最近の話題は専ら今度のギフトを調べる儀式のことだ。俺のギフトがなんだとか、こんなギフトだったらあんな仕事に就きたいだとか、いろんなことを話した。

 俺は、儀式のことも、ギフトのこともよく分からない。だから、釣りをしている最中はいつもアランに質問攻めだ。

「アラン、儀式ってどんなことをするの?」

「ん?ああ、そうだな。10歳の子供が集められて、教会で司祭の長ーい話を聞くんだ」

「ええ、つまんなそう」

「そうだな。つまらない。で、そのあと、一人ずつ魔法の祭壇に立たされて、儀式を受ける」

「おおお!それでそれで!?」

「司祭からギフトを知らされる。それで終わりだ」

「それだけ?」

「あぁ、それだけだ」

「ふーん。でも、もうすぐ俺もギフトがわかるんだ。楽しみだ」

アランは、俺の言葉を聞くとフッと穏やかに笑った。いろいろと話す中で、アランのことも聞いた。アランのギフトは釣り師だが、本当は漁師にはなりたくなかったらしい。しかし、海に出るのは好きだと言っていた。広い世界を見られるのが好きだと。だけど、俺はアランが漁師になってくれてよかったと思う。そうでなければ、釣りを教わることも、あの日、助けてもらうこともできなかったかもしれない。


 儀式の日、この日は忘れられない日になった。決していい思い出なんかではない。

 記憶に残っているのは、俺を囲む大人たちの複雑そうな苦笑い。祝いの席で不謹慎なことを言った者を見るような、ねっとりとした目つきだった。

「二つのギフトなど聞いたこともない」

「しかし、このギフトは何なんだ」

そんな囁きが祭壇のあちこちから聞こえた。『理解』と『再現』。それが俺に宿っているギフトなのだそうだ。だが、誰もそれをどう扱えば良いか分からないようだった。

 儀式の日から数日が経ち、俺はいつものようにアランと釣りに出かけた。両親からは、そんなことをしている場合じゃないといわれたが、できることがないのだからどうしようもない。

「俺のギフト、『釣り師』じゃなかったよ」

「そうか」

「『理解』と『再現』だって。聞いたことある?」

「ないな。二つあったのか?すごいじゃないか」

「そうかもしれないけど、何の役に立つかわからないよ」

「そうかもしれないな」

「俺、ずっと楽しみにしてたんだ。これで俺も兄ちゃんみたいにみんなの役に立てるって」

アランはずっと釣り竿の先に目線を向けていたが、ふとこちらに視線を向け、先を促した。

「でもこんなギフトだよ?どうすればいいのか、全然わかんないよ」

「なぁ、ロア。ギフトってのはあくまでも才能だ。どう磨いて、どう成長していくかはお前次第だ。お前のギフトはいつか誰かの役に立つ。この村は狭い。広い世界を見たほうがいい」

「広い、世界……」

そのあとも、アランは穏やかに、それでいてどこか寂しそうに、俺に世界の広さを語ってくれた。その言葉を聞くたびに、俺の中で何かが強く揺れ動いた。

「まぁ、じっくり考えてみろ。時間はまだある。後悔はしないようにな」

 そういってアランと別れた時、その後ろ姿には、どこか寂しさが滲んでいた。

 アランの話を聞いて以降、俺はひそかに旅に出ることを夢見るようになっていった。

 その後の村での生活は、俺にとって苦々しいものとなった。大人からは白い目で見られ、同年代の子供からは馬鹿にされるようになった。14歳になり、同年代が自分のギフトに合った様々な仕事を見つけていく一方で、誰も俺を必要とはしなかった。

 気づけば、俺の味方は家族とアランだけになっていた。

 アランには儀式の日からいろいろと相談に乗ってもらった。しかし、結局はどうすることもできなかった。アランの口利きで漁師になろうとしても、俺のギフトじゃ『釣り師』や『総舵手』のようなギフトの持ち主にはかなわなかった。それもそうだろう。こんな得体のしれないギフトより、より専門的な才能の持ち主が優先されるのは当たり前だ。

 それからしばらくはアランに無理を言って仕事を手伝わせてもらって過ごした。給料はほとんどなかったが、それでも少しずつお金を貯めた。

 そんな村での生活は、どうしようもなく孤独で、息苦しかった。この村にいる限り、解決しないと思った。

 逃げ出したい。――そんな気持ちだけが日に日に強くなっていった。

 16歳になり、ついに家族に「旅に出たい」と告げた。両親は猛反対したが、兄は俺の気持ちを理解してくれた。

「ロア、俺はお前の決めたことなら応援する。確かにこの村は、お前には狭すぎるのかもしれない。一緒に父さんたちを説得しよう」

その言葉に、俺は涙が出そうになるのをこらえてうなずいた。

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